イチバァーン!!
ハルク・ホーガン(本名:テリー・ボレア)とは、プロレス史上最も有名なプロレスラーの1人である。
概要
ニックネームは超人、ハリウッド、リアル・アメリカン。また、プロレスアナ時代の古舘アナは、彼のことを『現代に蘇ったネプチューン』と評した。
アメリカ、ひいては世界のプロレス界における伝説的な存在であり、彼の影響を受けた・憧憬を抱いているプロレスラーの数は計り知れない。ベビーフェイス・ヒールの両方において頂点を極めた、プロレス史上最も成功した男。
現在は、白い口髭を蓄えた色黒の顔にサングラスの、いかにも陽気そうな顔が特徴。
略歴
1977年、『テリー・ブルドー』のリングネームでデビュー。
1979年、当時テレビで大人気だった「超人ハルク(インクレティブル・ハルク)」に肖った現在のリングネームに変更し、マディソン・スクエア・ガーデンに進出。
デビュー戦から23連勝という前代未聞の記録をぶち上げた。
この時はまだ髭は白くなかった。胸や背中に生えた黒い剛毛が特徴だった。
1980年、来日。新日本プロレスに参戦するや否や瞬く間に大ブレイクし、後のアメリカでのブレイクを匂わせるかのように、日本屈指の人気レスラーとなった。
1983年、「世界中の王者の中からさらに最強を決める」、新日本プロレスのIWGP決勝リーグ戦に参加。
アントニオ猪木と並ぶ同率1位となり、決勝戦で直接対決を行う。当時の日本プロレス界のまさに頂点に立っていた二者が激突したこの試合は、ホーガンのアックスボンバーにより猪木が失神KOされるという壮絶な結末を迎え、プロレスファン達の心に今なお『伝説』として刻まれることとなった。
また、1981年にはアメリカでの活動拠点をAWAに移しており、北部でブレイクを果たした。が、当時の社長には彼の商品価値が評価されず、王者の座はもらえないままだった。
ちなみに1982年には、映画『ロッキー3』に出演し、シルヴェスター・スタローン演じるロッキーと戦う悪役レスラー「サンダー・リップス」を演じており、さらに知名度は上昇した。
猪木との対決が行われた年の12月、WWF(後のWWE)によって突如引き抜かれ、翌1984年の1月には当時の王者だったアイアン・シークを下し王者に君臨。MTVの出演開始も重なって、プロレスファン以外からも爆発的な人気を博す。
1985年にWWEの『レッスルマニア』が開始されてからは、社会現象とさえ呼ばれるほどの人気を博し、最早ファンのみならずアメリカ国民全体からの熱狂的な人気を得た。特に、1987年に行われた『レッスルマニア3』におけるアンドレ・ザ・ジャイアントとの対決は、9万3千人以上の伝説的な動員数を記録している。
1993年、体力的な問題と、その頃低予算映画への出演によって成功していた俳優業への本格的な転向を志し、WWFを離脱。絶頂期を過ぎた自分の起用に関して、社長であるビンス・マクマホンと衝突したとも言われている。
結局キャラが濃すぎるために俳優業は次第に立ち行かなくなり、1994年にはWCWと契約した。
しかし、既に40歳を超えたホーガンは、体力的にも以前のようなイメージを続けるのが難しくなっていた。
1996年、ヒールに転向。nWoを結成し、『ハリウッド』のリングネームを名乗り、WCWのヒールサイドを代表する存在として再び人気を博す。40代でありながら、ここに至って彼の人気は再び爆発し、WCWの人気はWWFを凌ぐまでになった。
nWo解散後は、新しいユニットを組んだりもしたが、結局「家族との時間がほしい」として離脱。この後、2001年には、WCWは崩壊することとなった。
2003年、WWEに復帰。ビンスの刺客、nWo軍の総帥ホーガンを名乗り、WWEでもヒールとして参加。
当時の主役であったザ・ロックを凌ぐほどの熱烈な人気を得るなど、その人気はますます健在であり、特に『レッスルマニアX8』でのザ・ロックとの対決は、かつてのアンドレとの試合と同じくプロレス史に残る名勝負となった。
この後、『ミスター・アメリカ』なるリングネームを新たに掲げ、マスクマンになるが、ストーリーが気に入らずWWEを離脱。
現在は同じアメリカのプロレス団体、TNAに活動の場を移し、リック・フレアーやRVDらとともにさまざまな業務に励んでいる。
パフォーマンス・技
人差し指を高く掲げ、『イチバァーン!!』と叫ぶポーズはあまりにも有名。
日本で活躍する際に、『No.1』を意味する日本語を調べて使ったのだが、結果的にはこれがアメリカに逆輸入され、『イチバン』は「頂点」を意味する日本語として、アメリカでも有名になった。
日本での代表的な技はアックス・ボンバー。
腕をL型に立て、肘を相手の顔面に叩き込むという技で、アントニオ猪木のほか、長州力、藤波辰巳、グレート・ムタ、蝶野正洋などの名だたるレスラー達をリングに沈めた。
元は、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットだという。
アメリカでは、ギロチンドロップを好んで使っていた。
日本名はランニングレッグドロップであり、ビッグブーツで沈めた相手の喉に、ロープで反動をつけてレッグドロップを見舞う技である。「ハルクスターレッグドロップ」とも呼ばれる。
1.ピンチになる
2.体を震わせながら相手の攻撃を耐え、相手のパンチを受けとめる
までの一連の流れでほとんどの相手を倒している。
出演作品
下記の作品は主なもの。他にも出ている。
関連動画
↑ 2003年のザ・ロックとの試合。ヒールであるはずのホーガンの方が声援が強いのが印象的。
↑ 1983年の猪木との試合。日本プロレス史に輝く伝説の試合である。
関連項目
脚注
- *なお、主人公たちのアクションポーズの中には、耳に手を当てるポーズ「エンジェルマニア」がある。元ネタはハルク狂を意味する「ハルカマニア」で、ポーズもハルク・ホーガン自身がやっていたことで知られているもの。
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