- プロ野球選手一覧 > ハンク・アーロン
ハンク・アーロン(Henry Louis Aaron、1934年2月5日-2021年1月22日)とは、アメリカ合衆国出身の元メジャーリーガー(外野手)である。
概要
OB | |
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ハンク・アーロン Hank Aaron |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アラバマ州 |
生年月日 | 1934年2月5日 |
没年月日 | 2021年1月22日 |
身長 体重 |
183cm 102kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 1985年 |
引退 | 1976年 |
殿堂入り | 1982年 |
経歴 | |
選手歴 | |
メジャーリーガーテンプレート |
子供の頃は近くに野球チームがなかったため、道具を使って野球の真似事をしていた。
紹介を経てニグロリーグのインディアナポリス・クラウンズに入団していたが、そこで活躍していたことでボストン・ブレーブス(後のアトランタ・ブレーブス)のスカウトの目に留まった。ブレーブスはボストンからミルウォーキーにフランチャイズを移している。
MLB選手時代
1954年にミルウォーキー・ブレーブスに移籍し、キャンプで好アピールしたことでメジャー契約に至った。
首位打者2回、本塁打王4回、打点王4回とメジャーを代表する強打者となり、黒人、白人至上主義故の嫌がらせに遭いながらも、1975年にベーブ・ルースが立てた通算本塁打記録を塗り替えた。
1975年にミルウォーキー・ブルワーズに移籍し、1976年に現役を引退した。通算成績は打率.305、755打点、歴代1位の2297打点。背番号44はアトランタ・ブレーブス、ミルウォーキー・ブルワーズの永久欠番となった。
引退後
アトランタ・ブレーブスの球団副会長などを務めたが、コーチ、監督を務めることは一度もなかった。1982年に殿堂入りを果たした。
2021年1月22日に死亡した。自然死だったとされる。享年86歳。
人物
1974年秋には日米野球のために日本に来日し、当時減益だった王貞治とホームラン競争を行い、アーロンが勝利。2人は2006年に開催された第1回WBCで再会している。王は尊敬する野球選手にハンク・アーロンを挙げている。またアーロンも王が日本で世界の本塁打記録を756に更新した際に祝福している。
2007年にバリー・ボンズがハンク・アーロンの所持していた本塁打記録を塗り替えたが、ボンズには薬物疑惑があったため、式典の出席を拒否している。
1975年にベーブ・ルースの記録を塗り替え、25年後の1999年にハンク・アーロン賞という賞が新設された。
成績
- ■は歴代最高。
通算打撃成績
通算:23年 Total |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
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MLB | 3298 | 13941 | 12364 | 2174 | 3771 | 624 | 98 | 755 | 2297 | 240 | 21 | 121 | 1402 | 32 | 1383 | 328 | .305 | .374 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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首位打者 | 2回 | 1956年、1959年 |
最多本塁打 | 4回 | 1957年、1963年、1966年、1967年 |
最多打点 | 4回 | 1957年、1960年、1963年、1966年 |
表彰 | ||
MVP | 1回 | 1957年 |
ゴールドグラブ賞 | 3回 | 1958年-1960年 |
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関連項目
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