ハンナ(Hannah)は、1868年生まれのイギリスの元競走馬・元繁殖牝馬。史上2頭目の英国三冠牝馬である。
概要
父King Tom、母Mentmore Lass、母父Melbourneという血統。父キングトムは種牡馬の皇帝と言われたストックウェルの弟で自身も成功種牡馬であり、母メントモアラスは英1000ギニー馬、母父メルボルンは英国リーディングサイアー2回という筋の通った血統背景を持っている。
馬名は生産所有者のメイヤー・アムシェル・ド・ロスチャイルド男爵の一人娘の名前に由来するが、正式に命名されたのはデビュー後のことで、しばらくは無名馬として走っていた[1]らしい。
ジョセフ・ヘイホー調教師の管理馬となったハンナは、2歳7月にデビューすると3連勝を挙げた。その後有力競走の一つであるミドルパークプレートに駒を進めたが、7ポンド(約3kg)軽い斤量のアルバートヴィクターという牡馬に敗れて3着に終わった。その2日後のレースでもアタマ差の2着で、2歳時は5戦3勝だった。
3歳時は1000ギニーから始動してこれを3馬身差で勝利すると、オークスでも3馬身差で難なく勝利した。その後は牡馬相手のプリンスオブウェールズSでこの年のダービーを2着同着としていたキングオブザフォレストの3着に敗れたものの、秋はセントレジャーに出走。本馬の甥(全姉の仔)でもあるダービー馬ファヴォニウスは陣営が同じだったためか出走せず、本馬が1番人気となった。このレースを1馬身差で勝利し、本馬は3年ぶり史上2頭目のイギリス牝馬三冠を達成した。
続くレースを単走で勝利したが、ニューマーケットオークスでは7ポンド軽いハンデで出走したヴェルデュールという馬の3着に敗れた。
4歳になっても現役を続行したが、4・5歳時はいずれも9戦2勝、それも5歳時の勝ち鞍は下級ハンデ戦が2勝という冴えない成績に終わり、アスコットゴールドカップやジョッキークラブカップといった大きなレースでは結果を残すことが出来なかった。5歳を最後に、通算29戦11勝の成績で引退した。
引退後は繁殖牝馬となったが、初仔のホルムビーを産んだ年の11月に7歳で急死してしまった。ホルムビーも種牡馬となったが成功せず、子孫は発展しなかった。
血統表
King Tom 1851 鹿毛 |
Harkaway 1834 栗毛 |
Economist | Whisker |
Floranthe | |||
Nabocklish Mare | Nabocklish | ||
Miss Tooley | |||
Pocahontas 1837 鹿毛 |
Glencoe | Sultan | |
Trampoline | |||
Marpessa | Muley | ||
Clare | |||
Mentmore Lass 1850 鹿毛 FNo.3-c |
Melbourne 1834 黒鹿毛 |
Humphrey Clinker | Comus |
Clinkerina | |||
Cervantes Mare | Cervantes | ||
Golumpus Mare | |||
Emerald 1841 栗毛 |
Defence | Whalebone | |
Defiance | |||
Emiliana | Emilius | ||
Whisker Mare |
クロス:Whisker 4×5 (9.38%)、Waxy 5×5(6.25%)、Penelope 5×5(6.25%)、Orville 5×5(6.25%)
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関連項目
脚注
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