バヤコア(Bayakoa)とは、アルゼンチン生まれアルゼンチン・アメリカ調教の元競走馬・繁殖牝馬である。
神経質でカリカリした気性とその裏返しの快速で、牝馬によるGI最多勝記録(当時)を達成した女王。
ブラッドホース誌選定・20世紀のアメリカ名馬100選では95位にランクイン。
南十字星の元
父はボールドビダー(スペクタキュラービッドの父)の産駒で、半姉ウィンディズドーターの七光りで種牡馬入りしてアルゼンチンに輸入されたコンサルタンツビッド、母は19世紀にアルゼンチンに輸入された牝馬アンテディエム(アメリカ三冠馬サーバートンの4代母の半妹)が端緒となり100年近くに渡り育ってきた牝系の出身であるアリューシャ、母父はアメリカが誇る超名馬・ナスルーラの代表産駒ナシュアの子で、競走成績は凡庸だったがアルゼンチンや南米で大種牡馬として大活躍してその血を守ったグッドマナーズという血統。
アリューシャの牝系からは、南半球に残った分枝から*マラコスタムブラダ(レシステンシア、グラティアスの母)や*ソラリア(カレンブーケドールの母)が、北半球に帰った分枝からティズナ(ティズナウの父シーズティジーの祖母、キタサンブラックの母シュガーハートの曾祖母)やレーティング上げのために無駄に追われて故障した疑惑があるホークウイングが輩出されており、南米屈指の牝系から生まれたお嬢様といえる。
……が、なぜか舌をベロンベロンさせながら走るくせがあったらしい。なんかお下品。
彼女は1984年生まれ、後に活躍するアメリカであればパーソナルエンスンと同い年にあたるが南半球は半年遅れで馬の繁殖シーズンが訪れるため半年遅い10月の生まれである。
そんな彼女はナスルーラの多重クロス(4×4×4、父が3×3持ち)故の激しく神経質でカリカリした気性、それと裏返しの闘争心とスピードを兼ね備えた期待馬として86/87シーズンの夏、1987年の2月にデビューし2着とすると4月の2戦目で勝ち上がる。
が、気性面や若さが足を引っ張るのか3戦目に挑んだ2歳GIでは潰れて完敗。その後ノングレードの一戦ではのちのGI馬を4馬身差切って捨てて勝ち86/87シーズンは4戦2勝としてまずまずのスタートとなった。
87/88シーズンは7月、GIに挑むがまたもぶっ潰れて9着と惨敗。GI級かどうかは怪しい扱いになってきつつあったが、8月にダートのマイル戦で行われるアルゼンチン牝馬クラシック第1戦ポージャ・デ・ポトランカス大賞、通称アルゼンチン1000ギニーでは勝ち馬にこそ離されたが2着に食い込んでみせた。[1]
前走後に転厩したホルヘ・マチャド厩舎の気風が神経質な彼女にマッチしたのかもしれない。
その後選んだのは10月の古馬との芝マイルGI・サンイシドロ大賞であったが、50キロという軽量を活かせたとはいえ2着に粘り込み実力をアピール。11月の芝マイル上半期最大GI、日本でいうと安田記念に当たるパレルモ大賞[2]へと駒を進めた。
前走よりはほんの少し負担が増えたとはいっても50.5キロという軽斤量を活かせたとはいえ、馬なりで12馬身ぶっちぎって並み居る強豪マイラーを圧倒的スピードで撃破。一躍当代のアルゼンチン最強マイラー候補に躍り出たのであった。
しかし、このレースを見たアメリカはカリフォルニアに本拠を構えるロン・マッカナリー師が彼女に目をつけ、アメリカでも通じると懇意にしていた馬主であるホワイタム夫妻に購入を勧めるとトントン拍子にトレード話が進み、彼女は87/88シーズンの前半戦を終えたところでアメリカのマッカナリー厩舎に移籍した。
アルゼンチンでの通算成績は3歳時の4戦1勝を加え8戦3勝。パレルモ大賞の勝ちっぷりがとてつもなかったためか87/88シーズンのアルゼンチン最優秀マイラーに選出されている。
新天地
さてアメリカに到着した彼女であったが、環境が激変しすぎて気性難が暴発。自分すら傷つけるような不安定な精神状態になってしまっていたという。
しかしそこは超気性が悪くてタマをスパーンされたジョンヘンリーを史上最強格のせん馬に育成したマッカナリー師の得意分野。半年近く静かな環境において精神面のケアを重視しながらじっくり仕上げていった。
そして1988年5月に芝マイルの一般競走でアメリカデビュー。後に全盛期をともに戦うことになるラフィット・ピンカイJrの手綱で初勝利を挙げる。
しかしこの後はパレルモ大賞で圧勝したはずの芝でフランスから移籍してきたバルボネラ(産駒にゴルディコヴァの父アナバーや*アラムシャーの父キーオブラックがいる名牝)にボコボコにされたりとあまりいいところがない一方、ダートでは彼女同様にGIで素晴らしい実績を残し移籍してきたチリ生まれのカリタトスタダをぶっちぎったりと優れたダート適性を見せていた。
どうも彼女はパワー型の快速馬だったらしい。圧勝したパレルモ大賞は重馬場、日本以上に高速を極めた極限の軽さを誇るアルゼンチン芝とはいえパワーが必要な馬場で行われていたのも傍証になるだろうか。
マッカナリー師もそれに気づき、1988年11月に芝のハンデ戦で惨敗して以降は全てダート戦への出走となった。この後成績が安定していく。……いや、安定していくどころの話ではなくなる。
アイドルをぶっつぶせ
ダートに完全に転向し、一般競走を2戦し1勝2着1回としてついに初の重賞となるGIIサンタマリアHに出走。一般競走でも2着に負かされた、チリでGI2勝を挙げて移籍していた馬ミスブリオの前にまたも2着に敗れる。
しかし僅差の負けであったため陣営は強気にGIサンタマルガリータ招待Hに出走。対戦済みのカリタトスタダの他に西海岸が誇るスーパーアイドル・GI7勝馬*グッバイヘイローとの対決となった。
結果はバヤコアが118ポンド(53.52キロ)、*グッバイヘイローが124ポンド(56.25キロ)と6ポンド(2.7キロ)ハンデを貰ったとはいえ猛烈なスピードでアイドルをねじ伏せ2馬身差付けて快勝。ついにアメリカ初の重賞・GI勝利を飾ったのであった。
その次走アップルブラッサムHでも*グッバイヘイローと対戦。前回は6ポンド貰っていたハンデ差はバヤコアが120ポンド(54.4キロ)となったため4ポンドと差が詰まったのだが、着差は4馬身差とさらに開いた。
GIIホーソーンHで三度顔合わせしたときにはついに1ポンド差、453gまで差が詰まっていたが4馬身半差付けてレコードで圧勝。ついでにこのレースから1番人気も奪い取った。
その後*グッバイヘイロー不在のGIミレイディHをまたも圧勝して臨んだヴァニティHではついにトップハンデも奪ったバヤコアが5馬身差つけて勝った……のは2着に食い込んでみせた前走ミレイディHで2着に負かしたフライングジュリア。3着に敗れた*グッバイヘイローとは8馬身半の大差が付いた。もはや覆しようがない決定的差であった。
とまあ快進撃を続けていた彼女だが、チュラヴィスタHでは6頭立ての6着と不可解な惨敗を喫してしまい*グッバイヘイローやフライングジュリアにも敗れた。127ポンド(57.6キロ!)の斤量が流石に厳しかったのかもしれないし、資料には「デルマー(競馬場。チュラヴィスタHの会場)でしゃっくりをした」という記述があるのでレース中にしゃっくりを起こして走るどころじゃなかったのかもしれない。
英語でしゃっくりを意味するhiccupという語には「一時的な問題」のような意味もあるので本当に原因不明の大凡走だったのかもしれないが。
閑話休題、BCディスタフを大目標に東海岸に殴り込んだ次走ラフィアンHでは年始に負かされていたミスブリオ(前走で初GI制覇)、古馬の代表格コロニアルウォーターズ、トリプルティアラ含む10連勝中の*オープンマインドに挑みかかり、前走が嘘のような圧倒的スピードでねじ伏せる。
続くBCステップの定量戦スピンスターSではもう勝負付け済んだからと言わんばかりの走りでかつてのアイドルを11馬身差の2着と影にすら届かない位置に置き去り。BCディスタフに20万ドルの追加登録料を支払って挑む。
1番人気に推され、その期待に応えるかのようにもう勝負付けの済んだ*グッバイヘイローら、まだ勝負付けの済んでいなかった3歳ゴージャス、衰えきってはいたが前年のヒロインであったウイニングカラーズらを歯牙にもかけず、スローペースと見るやペースアップし向こう正面で先頭に躍り出ると、スピード任せにそのまま押し切ってコースレコードを叩き出し1着。
ジョンヘンリーでは(全盛期がBC創設前夜だったこともあり)縁がなかったマッカナリー師にBC初勝利をプレゼントしてみせ、年度末表彰でもエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選出された。
女王VS快速姫
1990年も現役続行。書類上6歳ではあるが、南半球生まれなのでまだ5歳半とまだ若さはあった。そのためか力に陰りは見えず牝馬限定GIを2連勝。
アルゼンチン時代以来久々の牡馬挑戦となる春の西海岸最大GIであるサンタアニタHに出走。しかし牡馬に混ざってもトップハンデタイの斤量が苦しかったか、あるいはマイラーであった彼女に初出走となった10F戦は酷であったか最下位に惨敗。
牝馬限定戦に回帰したがこの年GIIに格下げを食らっていたアップルブラッサムHでゴージャスの2着に敗れるなどリズムを崩したかに見えたが、その後は立ち直り127ポンドとか背負っても牝馬限定戦では負けなしで驀進した。
……牡馬に混ざるとGIIIでもコロッと負けているので牡馬が混ざるとキィィィィィってなっちゃうようになってしまっていたらしい。
そのため11月に入るとBCクラシック制覇ではなくディスタフ連覇を目指し出走。
*グッバイヘイローから奪取して以来サンタアニタHも含めて16戦連続1番人気中のバヤコアが1番人気かと思われたが、このBCディスタフでは彼女から人気を奪い去るニューヒロインが登場していた。
GI7勝を誇る東海岸総大将・3歳馬ゴーフォーワンドである。とかく勝ちっぷりが圧倒的な快速馬で、東海岸ベルモントパーク競馬場で開催ということもありバヤコアすらねじ伏せて見せるだろう! と人気をさらっていた。単勝オッズはゴーフォーワンド1.7倍、バヤコア2.1倍、3番人気のコロニアルウォーターズが15.2倍と完全な一騎打ちムードである。
かくして始まったレースは、スタート良く先行した彼女に内からゴーフォーワンドが食らいつき前に出るという展開。半マイル通過が46.4、6F通過が70.4というハイペース。スローになってバヤコアが捲り潰した前年とは対照的に消耗戦となった。
直線に入っても全く譲らず激しい叩き合いを演じ、パーソナルエンスンVSウイニングカラーズVSグッバイヘイロー以来の名勝負になる! と観客が盛り上がる中、決着はあっけなく付いた。残り1Fを切ったところでゴーフォーワンドの右前脚が砕け散り転倒、競走中止となってしまったのだ。
ゴーフォーワンドがいないなら後続もはや影を踏むことすら能わず、バヤコアはライバル亡きレースをそのまま押し切って史上初のBCディスタフ連覇を達成した。
ゴーフォーワンドがその場で安楽死、鞍上のランディ・ロメロ騎手も救急搬送となり、陣営が悲しみに沈む中バヤコア陣営は表彰式に臨むこととなったが当然全く喜べる状況ではなく、ホワイタム夫妻は泣きながらトロフィーを受け取り、マッカナリー師も「彼らは私達の娯楽のため、そして彼らが生きるために走っています」と神妙な面持ちで述べる他なく、勝ったのにとてもそうは見えないという状況になった。
年度末表彰ではこの年も当然エクリプス賞最優秀古馬牝馬を受賞。バヤコアの名声は確固たるものとなったのであった。
1991年も現役続行したが、流石に6歳半ともなれば年齢故の衰えがあるだろうし、神経質な彼女に隣で脚を砕け散らせた同胞の姿が目に入ったのは精神面にマイナスがあったと推察され3戦して1勝も出来ず引退。通算成績は39戦21勝。
牝馬によるGI12勝は前述の通り2010年にゼニヤッタが更新するまでアメリカ記録として19年に渡り君臨した大記録となった。
繁殖入り後
ブルックサイドファームで繁殖入りしたバヤコアは4頭の産駒を産むが、末っ子の牝馬アルルセア(綴りがバヤコアの母と同じArluceaで読み方に困る)以外は不出走2頭未勝利1頭、アルルセアも7戦1勝と散々な結果であった。
あとひと月で13歳になる1997年6月に蹄葉炎で12歳で死亡してしまったため、巻き返しを図ることも叶わなかった。
その後1998年にアメリカで殿堂入りをしている。
さて産駒は散々な結果であったバヤコアだが、初子となったトリニティプレイスは繁殖牝馬として芝ダート問わず大活躍したアファームド産駒アフルーエントを生んだ。どうもバヤコアの真価は隔世遺伝にあるらしい。
さらには末っ子のアルルセアはBCクラシックを勝ったフォートラーンドを産み、バヤコアの血を再びBCで輝かせたのであった。
夫を飛行機事故で失いながらもバヤコアの血を守るべく奮闘し、フォートラーンドも所有したジャニス・ホワイタム夫人にとってはとても嬉しいBCクラシック制覇となったであろう。
血統表
Consultant's Bid 1977 鹿毛 |
Bold Bidder 1962 鹿毛 |
Bold Ruler | Nasrullah |
Miss Disco | |||
High Bid | To Market | ||
Stepping Stone | |||
Fleet Judy 1963 鹿毛 |
Fleet Nasrullah | Nasrullah | |
Happy Go Fleet | |||
Solid Miss | Solidarity | ||
Henpecker | |||
Arlucea 1974 鹿毛 FNo.9-g |
Good Manners 1966 鹿毛 |
Nashua | Nasrullah |
Segula | |||
Fun House | The Doge | ||
Recess | |||
Izarra 1964 栗毛 |
Right of Way | Honeyway | |
Magnificent | |||
Azpeitia | Corindon | ||
Bidasoa | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nasrullah 4×4×4(18.75%)、Count Fleet 5×5(6.25%)
関連動画
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関連項目
脚注
- *余談ではあるがアルゼンチンは芝とダートに決定的格差がなく、クラシックも芝ダート混合になっている。例を挙げるとアルゼンチンの牡馬クラシックはD1600m、T2000m、D2500mで施行。
- *現在は施行条件がダートマイルに変更されている。
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