バンブーエール(Bamboo Ere)とは、2003年生まれの日本の競走馬。栗毛の牡馬。
挫折と故障を乗り越えてJBCスプリントを制した、バンブー軍団久々の、そして現時点で最後のGⅠ級ホース。
主な勝ち鞍
2008年:JBCスプリント(JpnⅠ)
2009年:東京盃(JpnⅡ)、クラスターカップ(JpnⅢ)
概要
父*アフリート、母*レインボーウッド、母父Rainbow Questという血統。
父はアメリカGⅠを勝ったカナダの馬で、持込馬として日本に来た産駒の活躍で輸入されると、主にダート種牡馬として活躍しスターリングローズやプリエミネンス、芝でも桜花賞馬プリモディーネを輩出、産駒JRA1000勝を達成した名種牡馬。バンブーエールは輸入後8年目の産駒。
母はイギリスの馬で、自身は不出走だが、伯父に1976年のケンタッキーダービー馬Bold Forbes、半兄にアメリカGⅠ馬Saratoga Sixがいるなかなかの良血。バンブーエールは第7仔。
母父レインボークエストは1985年の凱旋門賞を(Sagaceの降着による繰り上がりで)勝った馬。日本ではサクラローレルの父として知られ、母父としての産駒にはコスモサンビームやアスクビクターモアがいる。
2003年4月5日、バンブーメモリーやバンブービギンで知られる浦河町のバンブー牧場で誕生。兄たちと同じく、そのまま牧場が所有してバンブー軍団の1頭となった。
馬名意味は「冠名+オランダ・エールディヴィジより」。エールディヴィジ(Eredivisie)とはオランダのプロサッカーのトップリーグのこと。なので応援のYellではなく「Ere」である。バンブー軍団の重賞馬にはバンブーユベントスがいるし、2歳上の兄はバンブーロベカルだったりと、バンブー軍団にはサッカー絡みの馬名が多い。
Dirtbaan Eredivisie
2歳~3歳(2005年~2006年)
栗東・安達昭夫厩舎に入厩し、2005年7月24日、安藤勝己を鞍上に小倉・芝1200mの新馬戦でデビュー。3番人気に支持されたが、勝ち馬から1秒離されて3着。
中2週で向かったダート1000mの未勝利戦はブービー13着に撃沈したが、中1週で臨んだ同条件の未勝利戦で、当時はデビュー2年目の減量騎手だった川田将雅を鞍上に先行して逃げ馬をクビ差かわし勝ち上がり、以降はダートに専念する。
勝ち上がりの後は8ヶ月と長めのお休みを取り(怪我などではなかった模様)、3歳となった2006年の4月に復帰。阪神・ダート1200mの平場500万下を、秋山真一郎を鞍上に2番手から抜け出して5馬身差で圧勝し、池添謙一を迎えて1800mへの距離延長となる端午ステークス(OP)へ向かったが、7番人気に留まり、先行したものの捕まって7着。
これで続く中京・ダート1700mの昇竜ステークス(OP)も6番人気に留まったが、前走の負けにも手応えを感じていた池添とともに、上位人気勢が軒並み後方からになったのを尻目に2番手から押し切って快勝、3勝目を挙げる。
ユニコーンステークス(GⅢ)は先行して後方勢に捕まって5着に終わったものの、そのまま池添とともにジャパンダートダービー(GⅠ)に乗りこんだ。この年のJDDはユニコーンSを勝ったナイキアースワークと兵庫CS2着のフレンドシップが人気を分け合ってはいたが、どっちも抜けた感じではなく混戦ムード。その中でもバンブーエールは16.4倍の6番人気(中央勢最下位人気)に留まった。しかし好スタートから行きたがるバンブーエールを池添がなだめつつ2番手で進めると、直線で抜け出し先頭へ。後ろから追ってきたフレンドシップにかわされたものの2着に好走してみせた。
これで引き続き盛岡のダービーグランプリ(GⅠ)へ。4.3倍の3番人気まで評価を上げたバンブーエールは、スタートで少し外にヨレつつも好スタートからハナを切り逃げる態勢へ。直線では2番手で追ってきたマンオブパーサーとの一騎打ちとなり、馬体を併せての熾烈な追い比べとなったが、最後はクビ差競り負けて無念の2着。
好走しつつも惜しくも世代GⅠには届かなかったバンブーエール。……このときもしどっちかでも勝っていたら、このあとの彼の競走生活は、あるいは全く違ったのかもしれない。
4歳~5歳(2007年~2008年)
ダービーGPのあとはゆっくりお休みを取り、明けて4歳、1月の平安ステークス(GⅢ)で復帰したバンブーエール。ところがこの休み明け、彼は2000mの世代GⅠで2戦とも連対したときとは全く別の馬になっていた。池添が他の馬に回ったので上村洋行が騎乗したが、先行策から3角でもう沈んで最下位16着。続いて向かった佐賀記念(JpnⅢ)では池添が戻ったが、ここも先行策から直線でずるずる沈み最下位12着。
この結果に、陣営はすっぱり中距離路線に見切りを付け、デビュー当初の短距離路線に戻すことにした。下手にJDDやダービーGPを勝ってなかったからこそ出来た決断かもしれない。
新たに幸英明を迎えて、阪神・ダート1400mのコーラルステークス(OP)に向かうと、ワイルドワンダーに差し切られたものの先行策からそのまま2着に残し、続く京都・ダート1200mの栗東ステークス(OP)を中団前目から直線鋭く伸びて快勝。
陣営の英断に結果で応え、よし、これで短距離戦線で頑張るぞ! となるはずだったバンブーエールだったが……このあと、彼は左膝を骨折。1年以上の長期休養を余儀なくされることになる。
しかしこの1年2ヶ月の休養は、終わってみれば飛躍への大きなバネだった。5歳となった2008年、7月のプロキオンステークス(GⅢ)で復帰すると、浜中俊が騎乗し、84.9倍の11番人気という全くの人気薄だったが、逃げて4着とまずまずの結果。
続く新潟・ダート1200mの北陸ステークス(OP)では松岡正海が騎乗すると、4番手で進めて直線の追い比べを残り100mで抜け出して快勝。松岡騎手は「イメージ通りの競馬が出来たし、今日のようなレースが出来ればどこの競馬場へ行っても大丈夫。間違いなく重賞級の馬だと思います」と語り、以後は松岡が新たな主戦となった。
引き続き松岡と向かった1400mのBSN賞(OP)では1番人気に支持されると、3番手から直線早めに抜け出し、最後はダイワエンパイアに詰められたもののクビ差押し切って連勝。
続く東京・ダート1400mのペルセウスステークス(OP)では松岡が騎乗停止になってしまったため新人・三浦皇成が代打で騎乗したが、トップハンデ57.5kgもものともせず、断然人気のユビキタスを蹴散らして2馬身半差で3連勝。三浦皇成に武豊の新人記録に並ぶ69勝目をプレゼントし、一気にダート短距離の上がり馬となった。
というわけで松岡が戻り、乗りこんだのは園田1400mでの開催となったJBCスプリント(JpnⅠ)。1.7倍の1番人気は南部杯を勝ってGⅠ級7勝目を挙げてきた8歳の古豪ブルーコンコルド。バンブーエールは上がり馬として、2.7倍の2番人気に支持される。そして3番人気には前走白山大賞典を逃げ切ってから700mの距離短縮となる3歳馬スマートファルコンがいた。
逃げたそうな有力馬がいない(当時のスマファルは普通の先行馬)ことから、安達師とも「行けるんだったら行こう」と話していた通りに、松岡正海は好スタートからハナを切りに行く。手綱をがっちり抑えたままマイペースで逃げると、直線では追いすがるスマートファルコンとの一騎打ちとなったが、むしろ競る相手がいないとソラを使ってしまうバンブーエールは迫ってくるスマートファルコンの姿に気合いを入れ直してもうひと伸び。そのままスマートファルコンを悠々と振り切って鮮やかに逃げ切った。
馬上で大きく左手を挙げた松岡正海は検量室前に戻ると「やったー!」と大きくバンザイ。安達師も嬉しいGⅠ級初勝利。バンブー軍団はバンブーメモリーの1990年スプリンターズS以来、18年ぶりという久々のGⅠ級勝利となった。
ちなみにここで勝てなかったスマートファルコンは、このあと地方JpnⅡ・JpnⅢを荒らし回るいわゆる「ドサ回り」に進むことになるのだが、それはまた別の話である。
6歳~8歳(2009年~2011年)
明けて6歳となった2009年は根岸ステークス(GⅢ)から始動。1番人気に支持されたが直線伸びず5着に終わり連勝はストップ。続いてフェブラリーステークス(GⅠ)に臨んだが、1600mはちょっと長かったが見せ場なく8着に終わった。
このあとドバイから招待が届き、ドバイゴールデンシャヒーン(G1)に参戦。鞍上には武豊を迎え、道中は好位で進め、途中置いていかれたものの直線で盛り返して4着。それまでドバイGSはブロードアピールとマイネルセレクトの5着が最高だったので、日本馬最高着順を更新する健闘であった。ちなみにこれが更新されるのは10年後のマテラスカイ(2着)によってになる。
帰国後は松岡が戻りさきたま杯(JpnⅢ)に向かったが、ここはあれから絶賛ドサ回りで5連勝中のスマートファルコンにあっさりかわされて2着。プロキオンステークス(GⅢ)はトップハンデ59kgがさすがにしんどかったか3着に敗れる。
しかしクラスターカップ(JpnⅢ)では松岡騎手がスローペースを見切ってハナを奪うと、そのままマイペースで逃げ切り、単勝1.1倍の圧倒的支持に応えて勝利。
続く東京盃(JpnⅡ)も1番人気に支持されると、3番手追走から抜群の手応えで直線抜け出し、追い込んできた3歳馬スーニを寄せ付けず完勝。重賞連勝でJBCスプリント連覇へ死角なし!
……だったはずだったのだが、このレースの2日後、右前浅屈腱炎を発症。JBCスプリント連覇、ダート短距離の王者として君臨する道は夢と消えた。
その後は復帰へ向けて治療と調整を続けたが、丸2年間ついに復帰できないまま、8歳となった2011年11月、現役引退、種牡馬入りが発表された。通算25戦10勝 [10-4-2-9]。
引退後
引退時は故郷のバンブー牧場で種牡馬入りと報じられたが、その後イーストスタッドが受け入れてくれることになり、そちらで種牡馬入り。種付け料20万円で募集されることになった。
父*アフリートが2009年限りで種牡馬を引退していたのでその後継としての需要……は特になかったようで、なかなか牝馬は集まらず、種付け数は毎年10頭弱。相手も多くがバンブー牧場の牝馬と、実質的にはバンブー牧場のプライベート種牡馬みたいなものであった。
しかし数少ない産駒は初年度から地方で高い勝ち上がり率をマークし、地方重賞馬がちらほら出始め、2年目の産駒ダンツゴウユウが中央でオープン勝ちまで辿り着くなどして、8年目の2019年から種付け数は増加に転じる。そして2021年、4頭しかいない6年目の産駒からキャッスルトップがジャパンダートダービーを12番人気で逃げ切り勝ち。なんとなんと種付け料20万円でGⅠ級ウィナーの父となった。
こうした結果を受けて2022年は最多の41頭に種付けし、種付け料も2023年は30万円、2024年からは50万円に増加した。10年目の産駒ダテノショウグンが大井で2025年2月現在デビュー8連勝を飾っており、今後に期待がかかるところ。既に22歳と種牡馬としてもかなり高齢になっているが、これからも活躍馬を出していけるだろうか。
血統表
*アフリート 1984 栗毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Polite Lady 1977 鹿毛 |
Venetian Jester | Tom Fool | |
Venice | |||
Friendly Ways | Green Ticket | ||
Ways to Learn | |||
*レインボーウッド 1991 栗毛 FNo.9-f |
Rainbow Quest 1981 鹿毛 |
Blushing Groom | Red God |
Runaway Bride | |||
I Will Follow | Herbager | ||
Where You Lead | |||
Priceless Fame 1975 黒鹿毛 |
Irish Castle | Bold Ruler | |
Castle Forbes | |||
Comely Nell | Commodore M. | ||
Nellie L. |
クロス:Raise a Native 3×5(15.63%)、Nasrullah 5×5×5(9.38%)
主な産駒
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