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バーリ
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バーリとは…

  1. イタリア南部プッリャ州の都市Bari」。
    1. 1.を本拠地とするサッカーチームASバーリ」。
    2. 1.を由来とするイタリア軍の軽巡洋艦
  2. イギリスの元競走馬「Bahri」。

この記事では2.について記述していく。


バーリ(Bahri)は、1992年まれのイギリスの元競走馬・元種

概要

血統・出自

Riverman(リヴァーマン)、Wasnah(ワスナー)、Nijinsky(ニジンスキー)という血統。生産・所有者はドバイの王族シェイク・ハムダン殿下で、ハムダン殿下アメリカで経営しているシャドウェルファームの生産

ヴァーマンはプール・デッセ・デ・プーリッシュ(通称:2000ギニー)とイスパーン賞を制した名マイラーで、種としても同様にマイル路線で大暴れしたIrish River(アイリッシュヴァー)や凱旋門賞を勝ったのDetroit(デトロワ)とGold River(ゴールドヴァー)など、枚挙に暇がないほどの活躍を送り出す大活躍を挙げた名種

ワスナーは6戦未勝利だが、そのきょうだいには重賞が3頭おり、(バーリの祖)のHighest Trump(ハイエストトランプ)も重賞。バーリから見て5代のDurazna(ドゥラズナ)は1943年の最優秀2歳で、そのはかのミスタープロスペクターシアトルスルーと同じ系祖先のMyrtlewood(マートルウッド)という系である。

ニジンスキーは個別記事を参照。一応書いておくとこの世代の直子にはあの*ラムタラがいる。バーリとは一度も対戦していないが。

善戦マン

イギリスジョンダンロップ調教師に預けられたバーリは、2歳8月に7ハロンの未勝利戦でリチャードヒル騎手とのコンビデビュー23頭立ての10番人気だった上に出遅れを喫したが、それでも勝ちの短頭差2着に入る健闘を見せる。

続けて生涯のパートナーとなるウィリーカーソン騎手上に迎えた1マイルの2戦では前走と打って変わって1番人気(しかも1倍台)に支持されたが半身差で2着。同距離の3戦も逃げを打ったものの捕まって2着に敗れたが、4戦で6ハロン15ヤード(約1220m)に距離を短縮すると、これが奏功したのか6身差で圧勝。ようやく初勝利を挙げた。

3歳時は2000ギニーを標に、4月グリーナムステークス(GIII・7ハロン)から始動。ここでは前年のカルティエ賞最優秀2歳で、レーシングポストトロフィー(2歳GI)を12身差で圧勝して2歳史上最高レーティングを叩き出していた3戦敗のCeltic Swing(セルティックスウィング)が単勝1.44の圧倒的人気に支持されており、5番人気のバーリを含めて残りの8頭は全て単勝オッズが10倍をえていた。そしてレースでは中団から快に抜け出して後続に9身差を付けたものの、残り2ハロン地点で先頭に立ったセルティックスウィングには1身1/4差届かず2着に敗れた。

本番の2000ギニーではセルティックスウィングとサラマンドル賞・デューハーストステークスの2歳GI2勝を含む5戦敗のPennekamp(ペニカンプ)の一騎打ちムードとなり、先に仕掛けたセルティックスウィングとそれをマークしていたペニカンプに届かず3着に敗戦。セルティックスウィングとペニカンプの不在もあり1番人気に推された2000ギニーでは勝負どころでなかなかエンジンがかからず、条件戦から2戦2勝で挑んだSpectrum(スペクトラム)の3着に惜敗した。

ここまでの戦績は7戦1勝2着4回3着2回というもので、相手が悪いレースもあったとはいえ所謂「善戦マン」のそれだった。

善戦マンからの脱却

2000ギニーの次走は3歳限定のマイルGI・セントジェームズパレスステークスとなった。ここにはセルティックスウィングもペニカンプもスペクトラムもおらず、バーリはまたしても1番人気に支持され、2番人気2000ギニー2着Adjareli(アジャレリ)、3番人気にゴドルフィンの期待Charnwood Forest(チャーンウッドフォレスト)、プール・デッセ・デ・プーリッシュの勝ちVettori(ヴェットーリ)、レーシングポストトロフィー2着Annus Mirabilis(アヌスミラビリス)が並んだ。

レースが始まるとバーリは出遅れたが、ゆっくりと中団に位置を戻してレースを進めた。そして9頭立ての4番手から抜け出すと快に加速し、チャーンウッドフォレストに4身差をつけて勝。久しぶりの勝利がGI初勝利となった。

しかし次走のサセックスステークス(GI・1マイル)では先頭に立ったところでやってきたGI4勝の5歳Sayyedati(サイエダティ)との叩き合いでクビ差遅れ2着。経験のない10ハロン戦に挑戦したインターナショナルステークス(GI)では距離を考慮して最後方から追い込んだものの、エクリプスステークス(GI)を含め7連勝中のHalling(ホーリング)に追いつけず、またしても2着に惜敗した。

これで善戦マンに逆戻りかと思われたが、次走に選んだマイルGI・クイーンエリザベスII世ステークスで、バーリは恐ろしいパフォーマンスを見せることになる。

頭脳プレーで大金星

このレースは6頭立てだったが、最大の強敵は同世代ので、1000ギニー・コロネーションステークス・ムーランドロンシャン賞のGI3勝を含む5連勝中のRidgewood Pearl(リッジウッドパール)だった。バーリの単勝オッズは3.5倍で2番人気だったが、1番人気リッジウッドパールのそれは1.62という圧倒的なものだった。レースに先立ってカーソン騎手が必勝を期す秘策をハムダン殿下に伝え、そしてハムダン殿下がそれにゴーサインを出していたことなど、もちろんも知らなかった。

ゲートが開くとバーリ営のペースメーカーであるMuhab(ムハブ)が先頭に立ったが、肝心のバーリはソロッと出たところから斜行して、外ラチ沿いまで行ってしまった。

これこそがカーソン騎手の秘策だった。当日はの影レース前の散のために良馬場といっても湿度が少し高い馬場だったのだが、木陰になる外ラチ沿いはこの影をほとんど受けておらず、非常に馬場状態が良かったのだ。

この作戦は結果的にドンピシャで、バーリは労せずして絶好位を取ることに成功。最終コーナーで集団の頭を取って内に入るとそのまま後続を寄せ付けず、リッジウッドパールを6身ちぎり捨てて圧勝するという大金星を挙げた。

その後バーリはチャンピオンステークス(GI・10ハロン)に出走したが、距離が長かったかゴール前で伸びを欠き、スペクトラムの5着に敗退。これを最後に種入りした。最終成績は12戦3勝2着6回3着2回だった。

種牡馬として

故郷となるアメリカシャドウェルファームで種入りしたバーリは、数少ない初年度産駒から登場したダービー2着Sakhee(サキー)が4歳になってインターナショナルステークスを7身差、凱旋門賞を6身差で圧勝して注を集めた。

ところがサキーの後に続くような大物が出ず、2004年にはハムダン殿下アイルランド運営するデリンタウンスタッドに移動。しかしそこでも大物を出せず、一時は4万ドルだった種付け料が2015年には2000ポンドまで下落するような有様となってしまい、結局受精の低下もあって2015年を最後に種引退現在イギリスにあるシャドウェルスタッドで余生を送っている。

血統表

Riverman
1969 鹿
Never Bend
1960 鹿
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
River Lady
1963 鹿
Prince John Princequillo
Not Afraid
Nile Lily Roman
Azalea
Wasnah
1987 鹿
FNo.13-c
Nijinsky II
1967 鹿
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Highest Trump
1972 鹿
Bold Bidder Bold Ruler
High Bid
Dear April My Babu
Querida

クロス:Nasrullah 3×5(15.63%)、Nearco 4×5(9.38%)、Djebel 5×5(6.25%)

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