バーリとは、以下のものを指す。
この記事では2.について記述していく。
概要
血統・出自
父Riverman(リヴァーマン)、母Wasnah(ワスナー)、母父Nijinsky(ニジンスキー)という血統。生産・所有者はドバイの王族シェイク・ハムダン殿下で、ハムダン殿下がアメリカで経営しているシャドウェルファームの生産馬である。
父リヴァーマンはプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏2000ギニー)とイスパーン賞を制した名マイラーで、種牡馬としても父同様にマイル路線で大暴れしたアイリッシュリヴァーや凱旋門賞を勝った牝馬のデトロワとゴールドリヴァーなど、枚挙に暇がないほどの活躍馬を送り出す大活躍を挙げた名種牡馬。
母ワスナーは6戦未勝利だが、そのきょうだいには重賞馬が3頭おり、母(バーリの祖母)のハイエストトランプも重賞馬。バーリから見て5代母のドゥラズナは1943年の米最優秀2歳牝馬で、その母はかのミスタープロスペクターやシアトルスルーの牝系祖先でもあるマートルウッドという母系である。
母父ニジンスキーは個別記事を参照。一応書いておくとこの世代の直子にはあの*ラムタラがいる。バーリとは一度も対戦していないが。
善戦マン
イギリスのジョン・ダンロップ調教師に預けられたバーリは、2歳8月に7ハロンの未勝利戦でリチャード・ヒルズ騎手とのコンビでデビュー。23頭立ての10番人気だった上に出遅れを喫したが、それでも勝ち馬の短頭差2着に入る健闘を見せる。
続けて引退までのパートナーとなるウィリー・カーソン騎手を鞍上に迎えた1マイルの2戦目では前走と打って変わって1番人気(しかも1倍台)に支持されたが半馬身差で2着。同距離の3戦目も逃げを打ったものの捕まって2着に敗れたが、4戦目で6ハロン15ヤード(約1220m)に距離を短縮すると、これが奏功したのか6馬身差で圧勝。ようやく初勝利を挙げた。
3歳時は2000ギニーを目標に、4月のグリーナムS(GIII・7ハロン)から始動。ここでは前年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬で、レーシングポストトロフィー(2歳GI)を12馬身差で圧勝して2歳馬史上最高レーティングを叩き出していた3戦無敗のセルティックスウィングが単勝1.44倍の圧倒的人気に支持されており、5番人気のバーリを含めて残りの8頭は全て単勝オッズが10倍を超えていた。そしてレースでは中団から豪快に抜け出して後続に9馬身差を付けたものの、残り2ハロン地点で先頭に立ったセルティックスウィングには1馬身1/4差届かず2着に敗れた。
本番の2000ギニーではセルティックスウィングとサラマンドル賞・デューハーストSの2歳GI2勝を含む5戦無敗のペニカンプの一騎打ちムードとなり、先に仕掛けたセルティックスウィングとそれをマークしていたペニカンプに届かず3着に敗戦。セルティックスウィングとペニカンプの不在もあり1番人気に推された愛2000ギニーでは勝負どころでなかなかエンジンがかからず、条件戦から2戦2勝で挑んだスペクトラムの3着に惜敗した。
ここまでの戦績は7戦1勝2着4回3着2回というもので、相手が悪いレースもあったとはいえ所謂「善戦マン」のそれだった。
善戦マンからの脱却
愛2000ギニーの次走は3歳限定のマイルGI・セントジェームズパレスSとなった。ここにはセルティックスウィングもペニカンプもスペクトラムもおらず、バーリはまたしても1番人気に支持され、2番人気に愛2000ギニー2着馬アジャレリ、3番人気にゴドルフィンの期待馬チャーンウッドフォレスト、プール・デッセ・デ・プーリッシュの勝ち馬ヴェットーリ、レーシングポストトロフィー2着馬*アヌスミラビリスが並んだ。
レースが始まるとバーリは出遅れたが、ゆっくりと中団に位置を戻してレースを進めた。そして9頭立ての4番手から抜け出すと豪快に加速し、チャーンウッドフォレストに4馬身差をつけて完勝。久しぶりの勝利がGI初勝利となった。
しかし次走のサセックスS(GI・1マイル)では先頭に立ったところでやってきたGI4勝の5歳牝馬サイエダティとの叩き合いでクビ差遅れ2着。経験のない10ハロン戦に挑戦したインターナショナルS(GI)では距離を考慮して最後方から追い込んだものの、エクリプスS(GI)を含め7連勝中のホーリングに追いつけず、またしても2着に惜敗した。
これで善戦マンに逆戻りかと思われたが、次走に選んだマイルGI・クイーンエリザベスII世Sで、バーリは恐ろしいパフォーマンスを見せることになる。
頭脳プレーで大金星
このレースは6頭立てだったが、最大の強敵は同世代の牝馬で、愛1000ギニー、コロネーションS、ムーラン・ド・ロンシャン賞のGI3勝を含む5連勝中のリッジウッドパールだった。バーリの単勝オッズは3.5倍で2番人気だったが、1番人気のリッジウッドパールのそれは1.62倍という圧倒的なものだった。レースに先立ってカーソン騎手が必勝を期す秘策をハムダン殿下に伝え、そしてハムダン殿下がそれにゴーサインを出していたことなど、もちろん誰も知らなかった。
ゲートが開くとバーリ陣営のペースメーカーであるムハブが先頭に立ったが、肝心のバーリはソロッと出たところから斜行して、外ラチ沿いまで行ってしまった。
これこそがカーソン騎手の秘策だった。当日は雨の影響とレース前の散水のために良馬場といっても湿度が少し高い馬場だったのだが、木陰になる外ラチ沿いはこの影響をほとんど受けておらず、非常に馬場状態が良かったのだ。
この作戦は結果的にドンピシャで、バーリは労せずして絶好位を取ることに成功。最終コーナーで集団の頭を取って内に入るとそのまま後続を寄せ付けず、リッジウッドパールを6馬身ちぎり捨てて圧勝するという大金星を挙げた。
その後バーリはチャンピオンS(GI・10ハロン)に出走したが、距離が長かったかゴール前で伸びを欠き、スペクトラムの5着に敗退。これを最後に種牡馬入りした。最終成績は12戦3勝2着6回3着2回だった。
種牡馬として
故郷となるアメリカのシャドウェルファームで種牡馬入りしたバーリは、数少ない初年度産駒から登場したダービー2着馬のサキーが4歳になってインターナショナルSを7馬身差、凱旋門賞を6馬身差で圧勝して注目を集めた。
ところがサキーの後に続くような大物が出ず、2004年にはハムダン殿下がアイルランドで運営するデリンズタウンスタッドに移動。しかしそこでも大物を出せず、一時は4万ドルだった種付け料が2015年には2000ポンドまで下落するような有様となってしまい、結局受精能力の低下もあって2015年を最後に種牡馬を引退。現在はイギリスにあるシャドウェルスタッドで余生を送っている。
血統表
Riverman 1969 鹿毛 |
Never Bend 1960 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Lalun | Djeddah | ||
Be Faithful | |||
River Lady 1963 鹿毛 |
Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | |||
Nile Lily | Roman | ||
Azalea | |||
Wasnah 1987 鹿毛 FNo.13-c |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
Highest Trump 1972 鹿毛 |
Bold Bidder | Bold Ruler | |
High Bid | |||
Dear April | My Babu | ||
Querida | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nasrullah 3×5(15.63%)、Nearco 4×5(9.38%)、Djebel 5×5(6.25%)
主な産駒
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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