パット・マルティーノ(Pat Martino)とは、
1944年8月25日アメリカ合衆国ペンシルヴァニア洲フィラデルフィア生まれのジャズ・ギタリスト。
ウェス・モンゴメリーやジョニー・スミス、ジョン・コルトレーンからの影響を公言しており、8分音符16分音符からなるロング・フレーズを力強いピッキングで連続させる、いわゆる”マシンガン奏法”を武器とし、また、その道においてカリスマとまで称されるギタリストである。
その”マシンガン奏法”はスリリングかつポップでグルーブな演奏を演出するだけでなく、「I Remeber Clifford」の名演に代表されるような泣かせる演出も万能にこなすところがマルティーノの特徴といえる。泣きの王道テクであるチョーキングやビブラートの使用は消極的ながら、ギター版”シーツオブサウンド”といわれるほど音符が連なるフレーズを駆使して、リズムの変化とタメだけでジャズらしく泣かせる技術は、多くのマルティーノ信者を生み出すものの、他の追従をまったく許さなかったと言われ、純粋なマルティーノのフォロワーというのは皆無に等しいと言われている。
概要
経歴
1944年8月25日アラブ系の父とイタリア系の母の元に生まれる。
12歳の頃からギターを手にし、15歳で当時通っていた学校を中退しニューヨークへと進出する。
1963年18歳でウィリス・ジャクソンのアルバムに参加し、初録音を体験。
1967年23歳で初リーダー作『El Hombre』を発表。
1967年『Strings!』、68年『East!』、同じく68年『Baiyina』、70年『Desperado』を発表し、
プレスティッジ・レーベルに計5枚のリーダー作を残す。
1972年コブルストーン・レーベルから『The Visit』(のちにミューズ・レーベルから『Footprints』として再発)を発表。
その後、ミューズ・レーベルと契約し、同年72年名盤『Live!』を発表。これに収録されている”Sunny”は名演として名高い。
続けて1974年『Consciousness』、76年『Exit』、同じく76年『We'll Be Together Again』を発表し
再発を含む計5枚のリーダー作をミューズ・レーベルに残す。
少し戻るが、1975年にはワーナー・ブラザーズとも契約しており、75年『Starbright』、76年『Joyous Lake』と
2作のフュージョン作品を発表している。
しかし、1976年ツアー中に意識を失うなど体に異常をきたし、療養のため活動を休止する。
1980年再び意識を失い、搬送先の病院で脳腫瘍が発覚。この脳腫瘍の手術により記憶を失ってしまう。
1987年過酷なリハビリ生活を乗り越えライブ盤『The Return』をリリース、奇跡の復活を果たすも
89年90年と相次いで両親を失ってしまい、本格的な復帰には至らなかった。
1994年『The Maker』を発表、本格的な復帰を果たし、現在に至るまで精力的に活動を進めている。
プレスティッジ・レーベル
ミューズ・レーベル
ワーナー・ブラザーズ
復帰後
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