概要
全長82kmの太平洋と大西洋を結ぶ運河で、これがないと太平洋と大西洋を行き来するのに陸路か南米を大回りしてマゼラン海峡やドレーク海峡を行き来しなければならない。
水面の高さを調節する形式の「閘門式運河」となっており、高低差26mを上り下りすることから「船が山を越える」と揶揄されることもある。閘門を満たすための水は運河周辺に作られた人工湖のものを利用しているが、渇水期には水不足に陥ることもあり、2023年にはパナマ運河の通行量が制限された。
パナマックス
閘門式運河である以上、どうしても通過できる船舶の大きさには制限がかかる。この制限のことをパナマックスという。
かつては通行可能な船は全長294.1m、全幅32.3m、喫水12m、最大高57.91m未満であった。2016年に全長366m、全幅49m、喫水15.2mに拡張され、新パナマックスと呼ばれるようになったものの、それでも大型タンカーなどは通行することが出来ない。
歴史
最初はスエズ運河の建設者レセップスが建設に着手したが、資金繰りや現地のマラリアや黄熱病に苦しんで失敗。フランスが撤退した。その後、アメリカ合衆国が引き継ぎ、10年の歳月と3億ドル以上の資金をかけて1914年に開通した。ちなみに、日本人技師の青山士(あきら)も建設に関わっている。
建設から1999年まではアメリカが保有しており、建設前の1903年のパナマ運河条約によって運河収入はパナマに入ったものの、運河の中心から16km(5マイル)の範囲はアメリカの施政権が及ぶものとして領有された。時の大統領であるセオドア・ルーズベルトの棍棒外交の一環と考えられている。
しかし第二次世界大戦が終わると、ナショナリズムの高まりによってパナマ側より土地管理権の返還の交渉が持たれるようになり、人権外交を掲げるカーター大統領政権下の1977年の新パナマ運河条約により、1999年の12月31日を以て返還が合意された。条約は概ね平穏に実行に移され、期日にアメリカ軍の撤退完了によりパナマ運河周辺の領有権はパナマの手に戻った。
軍事関連の話題
- 前述のパナマックスの制限は当然軍艦にも及ぶため、太平洋大西洋両方に海軍を展開しなくてはならない米海軍は保有する軍艦をパナマックスを超えて大型化できないという弱点があった。これを突くために日本が建造したのが大和型戦艦である。
- 前述のとおり、パナマ運河が閉ざされると太平洋と大西洋の行き来のコストと時間が跳ね上がる。そのことを利用して、太平洋戦争中、大西洋の艦隊が太平洋に回されないように、また、東海岸からの物資が西海岸に回されないように、日本軍がパナマ運河の爆撃を計画していたことが知られている。→晴嵐(航空機)
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関連項目
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