パンチョ・ヴラディゲロフ(1899~1978)とは、20世紀に活躍したブルガリアの作曲家である。
概要
スイスに生まれ、幼少期をブルガリアのシュメンで過ごした。父は法律家で、母は詩人ボリス・パステルナークの親戚という音楽とはあまり関係ない家に生まれたが、幼いころからピアノを弾き、作曲活動を行った。
父を失ってから2年たった1910年にヴラディゲロフ一家はソフィアへ移住。そこで作曲家ドーブリ・フリストフに師事し、1912年に母親が奨学金を手に入れると、双子の弟ルーベンとともにベルリンへ移る。まずベルリン高等音楽学校では、作曲をパウル・ユオンに、ピアノをカール・ハインリヒ・バルトに師事。その後はプロイセン芸術アカデミーにてフリードリヒ・ゲルンスハイムとゲオルク・シューマンに作曲を師事した。さらに、1918年と1920年の二度にわたって、メンデルスゾーン賞も受賞し、作曲家として順調なキャリアを積んでいったのであった。
1920年に卒業後、ヴラディゲロフはマックス・ラインハルトを援助する、ドイツ劇場の音楽監督になったが、1932年についにブルガリアに戻ることを決意。1940年にはブルガリア音楽院のピアノ科教授になった一方、ブルガリア現代音楽協会の創立メンバーとして活躍。国民楽派のスタイルで多くの曲を作曲した。またアレクシス・ワイセンベルクの師匠でもある。
なお、彼の子孫は音楽一家となり、息子アレクサンデル・ヴラディゲロフ、孫のパンチョ・ヴラディゲロフ・ジュニア、アレクサンデル・ヴラディゲロフ、コンスタンティン・ヴラディゲロフはすべて音楽家である。
とくに有名な楽曲は、ブルガリア狂詩曲「ヴァルダル」が知られる。
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