ビリー・ジョエル(Billy Joel)とは、アメリカ合衆国のピアノ・マンである。
「ピアノ・マン」の名の通り、ピアノを弾きながら歌うのが特徴である。
一方で、「ガラスのニューヨーク」「マター・オブ・トラスト」のようにハードロック志向の曲もある。
代表曲として「ピアノ・マン」「ニューヨークの想い」「イノセント・マン」「アップタウン・ガール」、日本で有名な曲として、CMにも使われた「素顔のままで」「オネスティ」などがある。
概要
本名はウィリアム・マーティン・ジョエル(William Martin Joel)。
ニューヨーク州サウス・ブロンクスに生まれ、ロングアイランドの新興住宅地で少年時代を過ごした。
父がクラシック音楽をよくしピアノを演奏した影響で、幼い頃からピアノを学ぶ。いじめに立ち向かう為にボクシングを習い、一時期はアマチュアボクサーとして活動するも、怪我により断念している。
14歳でバンド活動を開始する。高校時代にバーでピアニストとして働き、熱中するあまり単位を落として中退した。
この時「俺はコロンビア大学に行くんじゃない。コロムビア・レコードと契約するんだから高卒じゃなくてもいい」と宣言しており、その後本当にコロムビア・レコードと契約している。
しかし鳴かず飛ばずの日が続き、重度の鬱病を患って精神病院に入院。以後、メンタルの問題は長らく彼を悩ませることとなった。
1971年のアルバム『コールド・スプリング・ハーバー』でソロデビュー。
ヒットするが、当時所属していたレコード会社によって録音テープの速度を勝手に上げられ、別人のような歌声になっている。こうした事から人間不信に陥り、更に鬱は加速してしまった。
その後、ビル・マーティンの名義でクラブでのライブ活動を行いつつ、1973年にアルバム『ピアノ・マン』で再デビュー。これが大ヒットし、彼にとって初のゴールド・ディスク認定となった。
その後も次々とアルバムを制作。5枚目のアルバム『ストレンジャー』で全米2位を記録。また同アルバムに収録の「素顔のままで」は、1978年のグラミー賞を受賞している。
1978年には初来日。以後日本でもビリー・ジョエルの知名度と人気が爆発することとなる。
しかし1982年にバイク事故を起こし、1ヶ月の入院を強いられる。アルバムのレコーディングは休止となり、当時マネージャーだった妻との関係も悪化。翌年に離婚する。
私生活のトラブルの影響か、1982年にリリースされたアルバム『ナイロン・カーテン』は、アメリカの社会問題をテーマにした、重い内容となっている。メンタルの問題も継続しており、ヒットを飛ばした後の作品の売上が落ちると鬱になるなど、芳しくない状況が続いた。
翌年、シングル「アップタウン・ガール」をリリース。底抜けに明るいラブソングは大ヒットし、全英チャートで初の1位を獲得している。
1986年のアルバム『ザ・ブリッジ』収録の「ベイビー・グランド」では、憧れの存在であったレイ・チャールズとのデュエットが実現。その他にもシンディ・ローパーやスティーブ・ウィンウッドとの共演が話題となった。
1989年のアルバム『ストーム・フロント』もヒットし、同アルバム収録の「ハートにファイア」もシングルカットされた。
同曲はビリーが生まれた1949年以後、世界史に関する様々な事象・人物を並べた歌詞で、学校で歴史の教材として使われるというユニークな出来事も起きている。
1993年のアルバム『リヴァー・オブ・ドリームス』を発表後に引退を示唆し、以後はライブを主体とした活動を継続。何度かエルトン・ジョンとも共演、2008年には翌年に取り壊されるシェイ・スタジアムを舞台に、ポール・マッカートニーをはじめとするゲストを迎えてライブを行った。
2001年、初のクラシック作品『ファンタジーズ&デリュージョンズ』をリリースしている。
2002年にはビリーの楽曲を基としたミュージカル『ムーヴィン・アウト』が上演。2003年のトニー賞を受賞し、日本でも2006年に公演されている。
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