ビロライネン(Birolinen)とは、銀河英雄伝説に登場人物で、その名前を持つ人物は以下のふたりが存在する。
活躍した時代に150年の違いはあるが、どちらも自由惑星同盟軍に所属している。両者の関係について、作中で特に明示されていないが、代々続く軍人の家系というものは割とあるので、何らかの血縁関係があるのかもしれない。
本稿では、発言や行動が詳細に判明している2.の人物について記述する。
概要
ビロライネンが自由惑星同盟軍統合作戦本部長の任にあった宇宙暦640年は、自由惑星同盟とゴールデンバウム朝銀河帝国の勢力が初めて接触し、長きにわたる戦争の幕が開いた年である。運命の巡り会わせで、その重要な時期に自由惑星同盟軍のトップにあった彼は、来寇する銀河帝国の大軍を迎撃するため、様々な手を尽くした。特に、後方支援の充実に尽力したようである(後述)。
結果として彼の努力は実を結び、自由惑星同盟は『ダゴン星域会戦』で大勝利をおさめた。自由惑星同盟『建国の父』アーレ・ハイネセン以来、一世紀にわたって続いた自由惑星同盟市民の苦労が水泡に帰すという事態は、ひとまず回避できたのである。
後方から英雄を支援した上司
ダゴン星域会戦の大勝利については、その立役者となったリン・パオとユースフ・トパロウルの名前が非常に知られている。だが、後方で支援した人々の存在も、決して忘れてはならないだろう。ビロライネンも、英雄たちがその力を十分に発揮できるよう、後方支援で力を尽くした一人である。
時代背景(圧倒的な国力と戦力の差)
宇宙暦640年当時、自由惑星同盟と銀河帝国の国力の差は、150年後(ラインハルト・フォン・ローエングラムやヤン・ウェンリーが活躍した時代)よりも大きいものであった。自由惑星同盟の人々にとっては「国家存亡の危機」であった戦いも、帝国軍上層部には「大規模な狩猟以上のものではない」と認識されていたほどである。実際、銀河帝国が動員した将兵440万人・艦艇52600隻という戦力に対して、同盟軍が迎撃に出撃させることができた戦力は将兵250万・艦艇25000隻と、約半分であった。
大胆な人事
圧倒的に優勢な帝国軍を迎撃するにあたって、まずビロライネンが行ったのは、迎撃の任にあたる指揮官の人選であった。彼は迎撃部隊の指揮官として、リン・パオ中将を総司令官に、ユースフ・トパロウル中将を総参謀長に起用するよう、当時の最高評議会議長マヌエル・ジョアン・パトリシオに進言し、採用された。この二人は、能力は抜群だが、性格的にはお世辞にも周囲の受けが良いとは言えない人物であったため、人事に対して、二人と同年輩であった前線指揮官たちからは不平不満のオンパレードであった。
戦いに勝利するためには、問題児とされる二人の能力が必要不可欠であるとはいえ、一歩間違えれば、戦う前から同盟軍が戦闘意欲を失いかねないような大胆すぎる人事であった。そこは発案した者の責任というわけで、ビロライネンは不満を抱く諸提督に対して、「君たちを頼りにしている」と連日のように辛抱強くなだめた。なだめるにあたっては、パトリシオ最高評議会議長、ヤングブラッド国防委員長も協力したという。扱いにくい人間をどのように活用するか、という問題は、いつの時代であっても、上に立つ人間の悩みの種である。
後方勤務本部を設立
後方勤務本部は、同盟軍の補給・補充を担当する機関であるが、これを設置し、その初代本部長となったのがビロライネンである(統合作戦本部長と兼任)。「戦場の外で勝敗を決するのは、情報と補給である」と言明したビロライネンは、若い指揮官たちが戦場で十分に手腕をふるえるよう環境整備に尽力した。同盟軍が勝利できた要因としては、戦場を有利な場所に設定できたことも挙げられるだろう。ダゴン星域は、帝国軍にとっては有史以来はじめて到達した、航路情報もない「お化け屋敷」も同然の場所だったのに対して、同盟軍にとっては「遊びなれた庭先」だったのである。
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