ピレリとは、イタリア、ミラノ市に本社があるタイヤメーカーである。
概要
1872年に、電線や通信ケーブルなどの企業として創業(ケーブル事業は2005年に売却)、1890年に自動車用タイヤを製造、発売した。
モータースポーツへのタイヤ供給に積極的で、F1世界選手権にも過去4度参入している。
現在は2008年よりWRC、2010年よりGP3、2011年よりF1およびGP2にタイヤを単独供給している。
F1での活動
第1期(1950~1958年)
初年度より、アルファロメオ、フェラーリ、マセラティにタイヤを供給、当初は圧倒的な勝率を誇っていた。
1954年にメルセデス・ベンツが台頭すると勝利を得られなくなるが、翌年途中に撤退すると再び勝ち星を重ねるようになった。
しかし1958年に有力なコンストラクターがダンロップ、コンチネンタルを使うようになり、ぴれりは勝利することができず、その年を以て撤退した。
第2期(1981~1986年)
1981年に活動を再開、ライバルはグッドイヤー、ミシュランだった。当初はアロウズ、フィッティパルディ(コパスカー)、トールマンに供給した(ただし複数メーカーの利用が可能だったため、必ずしも使われるとは限らなかった)。
復帰初年度の開幕戦で、アロウズのパトレーゼがポールポジションをピレリタイヤで獲得するが、表彰台に二回上るまでにとどまった。
1983年にロータスに供給し、ポールポジションと表彰台を1回獲得するが、翌年にはグッドイヤーに乗り換えられてしまう。
1985年途中を以てミシュランが撤退したことで、多くのチームがピレリを選んだことで、大きく飛躍することとなった。第7戦ではブラバムのネルソン・ピケによって28年ぶりの優勝を手にした。
1986年にはトールマンを買収したベネトンが使用。ポールポジションを2回、優勝を1回経験する。
しかしグッドイヤーとの性能に差があったため、性能改良のために2年間の休止を決断した。
第3期(1989~1991年)
活動を再開したピレリは、グッドイヤーよりも安い価格で供給したことで、資金難のチームを中心に使われるようになった。路面の摩擦が少ないストリートコースなどでは圧倒的な性能を誇るも、パーマネントコースでは苦戦する特徴を持っていた。
また、当時使用が認められていた予選専用タイヤ(Qタイヤ)では、一度使用したタイヤの表面を削る(皮むき)ことで再利用ができるものを投入した。
初年度は3位表彰台を2回獲得(ブラバム、スクーデリア・イタリア)するが、翌年にティレルに供給されると、ジャン・アレジよって二度の2位表彰台を手にした。
1991年にはベネトンにも供給した。開幕戦はストリートコースで会ったため、ベネトンのピケが3位、ティレルのステファノ・モデナ、中嶋悟が4,5位を獲得した。
モナコGPではモデナが予選で2判グリッドを獲得、カナダGPではピケが5年ぶりに勝利をもたらし、モデナが2位に入って1-2独占となった。
しかし、パーマネントコースでの性能の悪さが足を引っ張り、それ以上の活躍はできなかった。
この年を以てしばらく撤退することとなった。ちょうど参戦から200戦目だった。
第4期(2011年~
2007年にワンメイク規定になった後、2010年まで単独供給してきたブリヂストンが撤退を決めたことで供給に名乗りを挙げ、2011年より20年ぶりに供給することとなった。
FIAからはショーとしての盛り上げのためにタイヤ交換を頻繁に行わせるよう摩耗しやすいものを求められ、ブリヂストンに比べて特性が違うことは想定されていたものの、タイヤのグリップがある時点で急激に失われる特性は、ドライバーの安全にも関わるため、開幕時よりも批判が集中した。
また、左右へのたわみが大きいことでコーナリング性能が劣り、キャンバー角を付けて補おうとするとブリスターが発生してさらにグリップが減る問題が明らかとなった。
2013年にはトレッド部分の接着方法を変えたが、それが大きくはがれる問題が多発した。イギリスGPでは、4台のマシンがタイヤバーストに見舞われた。
これら問題に対して、ドライバーからは十分な改良が認められなければ出走しないというボイコットを起こされるに至った。
FIAとの契約は3年間であるため、ここで十分な改良が認められなければ延長される可能性も低いだろう。
関連動画
関連項目
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