ファンクとは、1960年代にR&B(リズム・アンド・ブルース)から派生したとされる音楽ジャンル、演奏法である。
概要
ブラック・ミュージックの系譜の中で、1960年代後半からソウル・ミュージックの後に台頭してきた音楽ジャンル。最初にファンクと呼ばれる演奏スタイルを確立したのは米国のジェイムズ・ブラウン(通称JB)と言われており、レコードで言えば1965年発表『パパズ・ガット・ア・ブランニューバッグ(Papa's got a Brand new bag)』、1967年の『コールドスウェット(cold sweat)』などが嚆矢である。
名称については、今では「ファンク的」という意味でも使われる「ファンキー」から来ており、「ファンキー」は元を辿れば「匂い」やそこから転じて「土俗的」、そして特定の黒人音楽に対して生活に密着した泥臭さを表現する意味で使われていた。
音楽的特徴
多くの音楽ジャンルがそうであるように、ファンクもまた例外や他ジャンルとのクロスオーバーを経ているため、厳密に何がファンクであるか/ないかを断言するのは難しい。その上で、もっとも狭い意味での「ファンクとは何か?」を定義するなら、それは「ジェイムズ・ブラウンのやっていた音楽」に他ならない。
ブラウンは従来の(それまで彼もやっていた)ソウルミュージックを含めたポピュラー音楽の布陣――ブラウン自身のヴォーカル、ビートを刻むベースやドラムス、上モノを担当するギターやホーンやピアノ――全ての楽器に、リズムを強調するダンサブルで力強い演奏をおこなわせたのである。つまり、リズム/ビートの肝となるベースやドラムはもちろんのこと、本来メロディやハーモニーを奏でる役割を負っていたギターやホーンやピアノ、そしてヴォーカルの歌を、打楽器のように用いて同じフレーズを反復的に重ねたのだ。結果、今までにない全ての音がビートを強調するために奉仕する音楽――ファンクが生まれたわけである。
というわけで、ファンクの狭義かつ厳密な定義とは「ポピュラー音楽の楽器布陣で、全ての音がビートを刻むことに終始している」音楽といえるが、その後のファンク史はブラウンほどの極端な音楽はさすがに作り続けられず(ブラウンは例えば、キャッチーなフック/サビすらも、メロディではなくビートを刻むべきなのだからと排除した)、楽器の演奏がビートを強調しているそれを指す場合などにも「ファンクである」あるいは「ファンク的である」「ファンキーである」といわれることとなった。例えばディスコ・サウンドやヒップホップなどは、ファンクの影響が極めて強いジャンルといえる。
現代でも厳密にファンクというジャンルを名乗らなくても、例えば踊るためにビートが強調されたクラブミュージック等はファンクの影響下にあり、音楽を形容するうえで「ファンク」という言葉はひとつの常套句である。
またファンクの定義のひとつとして、16ビートをリズム隊が刻んだ音楽、というものも有名(例外は多いが)。
ファンク・ミュージシャン
まずは本場アメリカの話をするなら前述した通り、ジェイムズ・ブラウンが究極であり、「ファンクの帝王」の異名を取る。
その次にしばしば挙げられるのが彼の影響下にある多人数バンドの数々であり、ロックとクロスオーバーしたスライ&ザ・ファミリー・ストーン、幾層にも幾層にも無数の楽器がビートを刻む濃厚ファンクが特徴のPファンク(パーラメント/ファンカデリック)、名曲『September』で知られるアース・ウィンド・アンド・ファイアなどが該当する。
1980年代から現代に至り活躍するプリンスは、ブラウン的な多重ビートの強い影響下にありながら、同時に真逆ともいえる僅かな楽器とのその隙間の無音部分がビートを生み出す独自のファンクを築き上げ、こちらも多くのフォロワーを生んでいる。
本邦に目を移すと、80年代からメジャーシーンに登場した久保田利伸が、前述した『Pファンク』のメンバーをアルバムに呼び、また本場アメリカでも活躍するなど、ファンク志向の濃い音楽を作り出している。
その久保田が本場のファンクを本邦で奏でるミュージシャンだとするなら、プリンスの影響が強い岡村靖幸は、本場のファンクのダンサブルさを会得しながら、同時にポップさや日本的泣きの感覚なども融合させ、より邦楽/J-POP的なそれへと落とし込んだ極北であろう。この方向ではスガシカオや、スガと同じ1997年にデビューして陰と陽の関係とも言われる及川光博なども、日本のヒットチャートにファンクを融合させる課題に取り組んでいる。その上で、地元の方言を織り交ぜるなど、より民俗色の強いファンクを日本で展開しているのが藤井風である。
1998年にCDデビューしたダンス☆マンは、日本語での空耳を基にした替え歌カバーで話題を呼んだ。
アイドルでは東京女子流が「どファンク」で有名だったが、2015年の脱アイドル宣言後はファンク色を薄めており、その後はフィロソフィーのダンスがアイドル界のファンク代表に。また、モーニング娘。を筆頭とするハロー!プロジェクトは、生みの親であるつんく♂がボーカルを務めたシャ乱Qでもそうだったように、幅広いジャンルに手を出しつつも代表曲にはファンクが含まれている。
グループそのものや楽曲は非常に有名ながら「ファンクをやっている」と聞くと意外に思う人間が多いかもしれないミュージシャンを挙げると、「君がいるだけで」や「浪漫飛行」で有名な米米CLUBだろうか。デビュー当初からツインヴォーカルの片割れジェームス小野田がメインに立ち、ブラウンへのオマージュが色濃い正統派ファンクを披露していた。
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