概要
330の島々からなる群島国家。正式名称はフィジー共和国で、首都はビチレブ島スヴァ。ただし最大の都市はナシヌーである。総面積は約1万8000平方メートルで、四国より少し大きい。主な言語は英語だが、フィジー語、ヒンディー語もよく使用される。人口は2017年に行われた国勢調査によると約88万5千人[1][2]。
主に観光業と農業が盛ん。各国から観光客が訪れている。リゾート地としては治安が良好なので、それが人気の秘訣と思われる。しかし宿泊料は割高。
一時は離脱した事もあったが、現在はイギリス連邦に所属。日本からは直接行く事が出来ず、韓国やニューカレドニアなど第三国を経由する必要がある。が、2018年に直行便が誕生。約8時間30分で渡航可能。4ヶ月以内の観光ならビザは不要である。パプアニューギニアと並んで南太平洋のリーダー的存在。フィジーではラグビーが国技になっており、強豪国として名を馳せている。他にも強力なサッカーチームと野球選手を有しており、知名度が低いながらもワールドカップや各大会でよく見かける。
国内の宗教はキリスト教が優勢で、全人口の52.9%が信仰しているとされる。次いでヒンドゥー教(38.2%)、イスラム教(7.7%)など。
略歴
諸説あれど、元々フィジー諸島には13の部族が住んでおり、互いに相争って暮らしていた。絶海の孤島という立地から長らく閉鎖的な生活が続いていたが、大航海時代が始まるとヨーロッパからの船が訪れるようになった。まず1643年にオランダ人が、続いて1774年にイギリス人冒険家が上陸。白人の進出が著しくなってきた19世紀、フィジー初の港町レヴカが誕生。西太平洋貿易の拠点として多くの白人が定住し、繁栄した。沖合いには沢山の帆船が停泊し、イングランド、スコットランド、ドイツなどの商人が出入りした。1861年には良港建設のためスヴァ、ナンディ、ガロアの調査が行われ、スヴァが最適地だとされた。同年、アメリカ南北戦争の勃発で綿花が不足したため、白人の手で綿花の栽培が開始された。しかし南北戦争終結で綿花の需要が激減、綿花に代わる砂糖の生産を始めた。
1874年10月10日、イギリスの植民地となる。長く続く部族同士の戦いに頭を悩ませたフィジー王がイギリスを頼った結果だと言われている。1882年、首都機能をスヴァに移転。レヴカは機能を失い、商人が次々に引き上げて言った。現在はパイナップル工場がある程度で、寂れた港町だという。イギリスは砂糖やサトウキビ生産のためインド人労働者を1916年まで移住させ続けた。このため現在でもインド系フィジー人が沢山国内にいる。日本からもフィジーへの移民が試みられたが、脚気が原因で断念している。第一次世界大戦の勃発により、フィジーからドイツ人が撤退。1921年、ビチレブ島周回道路の開発工事が始まり、1937年に完工。交通の便が飛躍的に向上した。一方、麻疹やインフルエンザの流行により1881年から1936年にかけて一貫してフィジー系住民の人口が減っている。
太平洋戦争開戦前、訓練航海の途中で日本海軍がフィジーに表敬訪問。上陸した青年士官に、権力者の娘が惚れ、「ぜひ婿に来て欲しい」との打診があった。結婚については海軍内でちょっとした論争が起きたが、当の青年士官は丁重に断っている。
太平洋戦争では、大日本帝國がイギリスに宣戦布告したためフィジーも日本と交戦状態に入る。日本軍は米豪遮断作戦の一環でフィジー、サモア、ニューカレドニアの占領を企図していたが(FS作戦)、上層部の意見の対立によりフィジーとサモアのみ占領となった。ところがミッドウェー海戦の大敗で中止となり、両軍の本格的な衝突は起こらなかった。フィジーでは戦争景気で労働者と義勇兵が増加し、都市部の人口が増加。都市部の雇用が増えた事で、出稼ぎ労働者も集まった。他方、フィジー人で構成された部隊がソロモン戦線やニューギニアで日本軍と交戦している。対する日本軍は伊25潜によるスヴァ航空偵察や、近海で伊号潜水艦が通商破壊を行った程度だった。伊25潜に射出・収容される水上機を地元住民が目撃し、慌てて島西部に2門の沿岸砲台が築かれたが、一発も放つ事は無かった。
第二次世界大戦終結後、国内では独立運動が起こり1970年に英連邦王国として独立を果たす。1987年には軍事クーデターで英連邦から離脱したが、1997年に元の鞘に納まった。翌年にはフィジー諸島共和国に改名するが、2011年にフィジー共和国へ再度改名した。
東日本大震災が発生した時には、他国とともにすぐ支援活動を開始。駐日フィジー大使館はカンボジア、中国、インドネシア、マレーシアなどのアジア太平洋諸国と協同で無料のチャリティバザーを行い、収益金を全額寄付した。またバイニマラマ首相は被災学生20名の受け入れを表明。
主要都市
スヴァ(Suva)
フィジー諸島最大の島であるビチレブ島南東部に位置するフィジーの首都。政治的・文化的・商業的中心地であり、同国を支える港湾都市である。
市の中心部では現代的な高層商業施設が建設されつつあるが、植民地時代的なコロニアル様式の建築など歴史を感じさせるものも多々見ることが出来る。
ナンディ(Nadi)
ビチレブ島北西部に位置する町であり、ナンディ国際空港を擁する。この為、日本からフィジーを訪れる際一番最初に訪れる同国の地とも言える。
交通の起点でもあり、航空便以外にもスバ方面への都市間バス、そして周辺リゾート地を結ぶ船がこの町から出発する。
ラウトカ(Lautoka)
ビチレブ島北西に位置する同国第二の都市であり、砂糖産業の中心地。シュガー・シティの異名も持つ。
シンガトカ(Sigatoka)
ビチレブ島南西部に位置し、市街地はシンガトカ川の畔に存在する。
ナンディからスヴァまでバスで向かう際に必ず経由する町であり、バスターミナルの大きさに対して経由するバスの量が多すぎる為この町で出発までバスの座席にて待ちぼうけを喰らう事も多い。
ランバサ(Labasa)
フィジー諸島にてビチレブ島に次ぐ大きさを持つ島、バヌアレブ島の中央部北岸に位置する町であり、同島の中心的な町。
レブカ(Levuka)
ビチレブ島の東に浮かぶオバラウ島に位置する町であり、フィジーのかつての首都。平野部分の狭さが発展の阻害となった為にスヴァへと遷都された。西洋との玄関口であったことから歴史的な街並みが残り、それらは世界遺産として登録されている。
関連リンク
関連項目
脚注
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