フィルジル・ファン・ダイク(Virgil van Dijk、1991年7月8日 - )とは、オランダ出身のサッカー選手である。
イングランドのリヴァプールFC所属。サッカーオランダ代表。
ポジションはDF(センターバック)。193cm92kg。利き足は右足。
概要
オランダ・ブレダ出身。強靭なフィジカルと圧倒的な空中戦の高さに加え、足下の技術の高さも売りにしており、世界最高のCBと称されている。リヴァプールのディフェンスリーダーとして2019年にUEFAチャンピオンズリーグ優勝、2020年のプレミアリーグ優勝に貢献。2018年からはオランダ代表のキャプテンを務めている。
少年時代に父親が蒸発したことでアルバイトをしながらサッカーを続け、成長の遅さからサッカー選手の道を断念しかける状況に追い込まれ、プロデビュー後は病魔によって死の淵を彷徨い、2020年には右膝靭帯断裂の大怪我を負うなど彼の人生は様々な困難に見舞われがちであるが、強靭なメンタリティによって困難を克服し、世界的な名声を得られるプレイヤーとなっていった。
オランダのフローニンゲンでデビューした後、セルティック、サウサンプトンでの活躍が認められ、2018年1月から名門リヴァプールに加入。ユルゲン・クロップ監督からの絶大な信頼を勝ち取り、チームの最終ラインに欠かせないプレイヤーとして君臨。2019年にはPFA年間最優秀選手賞、さらにはUEFA欧州最優秀選手賞を受賞。この年のバロンドールでも2位に選出されている。
経歴
生い立ち
オランダ人の父親とスリナム人の母親の間に生まれる。子供の頃に地元のWDS'19という小さなクラブに所属するが、華々しい活躍をしていたわけでもなく、主に右サイドバックでプレーしていた。幼い頃はFCバルセロナの大ファンでロナウドやロナウジーニョといった当時のスター選手に憧れていた。
2009年からヴィレムⅡの下部組織に所属していたが、恵まれた環境とは言えず、12歳の頃に父親が蒸発したため家が貧しかったこともあり皿洗いのアルバイトをしながら練習に参加する日々を送っていた。周囲からはサッカーを諦めてレストランの仕事に専念することも勧められたが、母を楽にさせるためにプロになることを目指していた。
16歳の頃に次のカテゴリーに進めず、サッカー選手を断念せざるを得ない危機に立たされるが、17歳になって身長が20cmほど伸びて189cm台後半にまで達し、現在のCBでプレーするようになる。
あるとき、FCフローニンゲンのスカウトを務めていたロナルド・クーマンの父親であるマーティン・クーマンにスカウトされたことがきっかけで2010年にフローニンゲンのユースチームへと移籍し、その後トップチームへと昇格する。2011年5月にエールディヴィジの試合に出場し、20歳でプロデビューを果たす。
2011-12シーズンには、レギュラーを獲得し、リーグ戦23試合に出場し3得点を挙げて活躍。ところが、2012年4月1日に腹痛を訴えて倒れてしまい、緊急搬送。腹膜炎と腎臓感染症を併発させるほどの深刻な虫垂炎を患い、発覚したときには致命的という状況まで進行しており、生命の危機に立たされてしまう。後に「一歩間違えればあの時にすべてが終わっていた」と振り返っており、母親に対して遺書も準備していたほどだった。だが、強靭な肉体と並外れた体力を持っていたこともあって奇跡的に回復を見せ、生命の危機を乗り越えることができた。
厳しいリハビリを経て再びピッチに戻ってくると、復帰間もない頃は別人と思わせるほど痩せ細った姿になり、周囲からも「病魔に倒れたオランダ人」というレッテルを貼られたが、幸いにも早い段階でコンディションが回復し、チームの主力として活躍。リーグ戦34試合に出場し、そのプレーぶりは国外のスカウトの目に留まることとなる。
セルティック
2013年6月スコットランドの名門チームであるセルティックFCへ移籍。加入後すぐさまポジションを掴むと、オランダと違ってゾーンディフェンスが中心となる戦術を吸収し、プレーの幅を広げていく。また、UEFAチャンピオンズリーグにも初めて出場し、2013年の10月1日のFCバルセロナ戦ではリオネル・メッシと対峙しおおいに苦しめている。次第にDFリーダーとしての地位を確立させ、攻撃面でも貢献できる近代型のCBとして才能が開花。主力としてチームをスコティッシュ・プレミアリーグ優勝に導く。
2013-14シーズンも、圧倒的な高さとフィジカルでセルティックの最終ラインの壁として君臨。公式戦58試合に出場するという鉄人ぶりを発揮し、スコティッシュ・リーグ・カップと合わせての2冠を達成。スコットランドでは太刀打ちできるアタッカーはいないと評された程だった。
サウサンプトン
セルティックでの活躍が認められ、2015年9月1日イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンFC(セインツ)へ移籍。背番号は「17」。移籍金は1150万ポンド。同胞であるロナルド・クーマン監督からの信頼を得ると、ジョゼ・フォンテと共にプレミアリーグでも屈指の最終ラインを形成。レスター・シティのミラクルが注目されたシーズンで、セインツもプレミアリーグでのクラブ史上最高順位となる6位となり、その立役者として高い評価を得るのであった。
2016-17シーズンは信頼関係を結んでいたクーマンがエヴァートンへ引き抜かれることとなったが、変わらずCBのファーストチョイスという位置にいた。ところが、2017年1月22日のプレミアリーグ第22節レスター戦で足首を負傷し、シーズン終盤まで3カ月間の長期離脱を余儀なくされる。
2017年6月すでに移籍市場における人気銘柄となっていたファン・ダイクに対し、リヴァプールFCから正式なオファーが届く。しかし、セインツ側はリヴァプールが不正に接触したとプレミアリーグに訴え、事態は泥沼化。結局、この夏での移籍は実現せず、チームに残留することとなる。この移籍騒動が原因で、2017-18シーズンの序盤は試合に起用されなかった。
リヴァプール
2017年12月27日冬の移籍マーケットにおいて、念願のリヴァプールFCへの移籍が決定する。背番号は「4」。セインツに支払われた移籍金は7500万ポンド(約114億円)とされ、DFとしては史上最高額となった。この巨額の取引に批判的な識者も多かったが、加入してすぐにそのような声を黙らせてしまう。1月5日のFAカップ3回戦、エヴァートンとのマージサイド・ダービーで初出場を果たすと、終盤にヘディングシュートで初ゴールまで奪う活躍を見せる。以後、リヴァプールの泣き所だったCBの不安要素を埋めるピースとなり、守備の要として君臨。CLでもチームの決勝進出に貢献するが、決勝でレアル・マドリードに敗れ準優勝となる。
2018-19シーズンは開幕からチームの最終ラインの柱として活躍し、この頃から世界最高のCBと呼ばれるようになる。ユルゲン・クロップ監督のもと完成度を増したチームは、プレミアリーグではマンチェスター・シティとの史上類を見ないハイレベルな首位争いを展開。優勝こそ惜しくも逃したが、シーズンを通してディフェンスリーダーとしてリーグ最少失点のチームを牽引したことが評価され、PFA年間最優秀選手賞を受賞。CLでは、ラウンド16のアウェイのバイエルン・ミュンヘン戦で1ゴール1アシストの活躍を見せ、勝利に貢献。準々決勝のFCバルセロナ戦では、1st legを0-3で落としたホームでの2nd legで研ぎ澄まされた守備によってバルサの攻撃陣を完封し、「アンフィールドの奇跡」と呼ばれる大逆転劇の立役者となる。決勝のトッテナム・ホットスパー戦でも、相手エースのハリー・ケインを抑え込んでクリーンシートで終え、自身のキャリア初のビッグタイトルとなるCL優勝を経験。決勝戦のMOMにも選ばれる。このシーズン、公式戦50試合に出場し、相手にドリブルで抜かれた回数は0回という脅威的なスタッツを残している。さらに、2019年のUEFA欧州最優秀選手賞も受賞。バロンドールでも2位に選出されている。
2019-20シーズンも、最終ラインの柱としてハイレベルなプレーを続け、開幕から圧倒的な強さを見せて首位を独走するチームを支える。連覇がかかったCLではラウンド16でアトレティコ・マドリードに敗れ敗退するが、プレミアリーグではリヴァプールの最終ラインとして安定したプレーを続け、チームの30年ぶりとなるリーグ優勝に貢献。また、このシーズンでは38試合全試合フル出場を達成。怪我が無かったのはもちろん、センターバックというポジションで累積による出場停止が無いことが彼の凄さを物語っている。また2シーズン連続でプレミアリーグ全試合に出場している。
2020-21シーズンは開幕から失点を重ねる不安定なチーム事情の中、2020年10月17日のエバートン戦で前半11分にジョーダン・ピックフォードの悪質なタックルを受けて負傷。連続でのリーグ戦フル出場記録が途絶えたのに加え、右膝靭帯損傷の重傷を負い、そのままシーズン終了となる。ファン・ダイクの長期離脱の影響はリヴァプールに大きな影響を与え、最後まで穴を埋められず無冠に終わる。
2021年7月29日におこなわれたヘルタ・ベルリンとのプレシーズンマッチに途中出場し、久々にピッチに立つと、2021-2022シーズン開幕戦のノリッジ戦にスタメンに名を連ね、およそ10カ月ぶりに公式戦に出場。フル出場し、完封勝利に貢献している。11月27日のプレミアリーグ第13節古巣のサウサンプトンを相手に復帰後初ゴールを決める。2022年2月27日のカラバオカップ決勝チェルシー戦では、PK戦にもつれこんだ3人目のキッカーを務めると、相手GKの兆発にあえて乗りながらPKを成功させる強メンタルぶりを発揮し話題となる。試合をこなすごとに怪我をする前の圧倒的な能力を取り戻し、公式戦46試合に出場するなど、世界最高のCBの完全復活を印象付けたシーズンとなった。
2022-23シーズンは、2022年8月22日のプレミアリーグ第3節マンチェスター・ユナイテッド戦でジェイドン・サンチョのドリブル突破に対してお粗末な対応で失点に関与したり、10月19日の第10節アーセナル戦ではGKアリソン・ベッカーとの連携ミスで衝突してしまうなど不安定な守備が目立つようになる。クラブOBのダニー・マーフィーからは「怪我から復帰して以降、フィジカルコンタクトを嫌がるようになった」と指摘される。チームの失点数は増え、中断期間までを6位で終える。後半戦も苦戦は続き、ミスが目立つようになったことで不調のチームの原因として批判を受ける。
2023-24シーズンは移籍したジョーダン・ヘンダーソンからクラブのキャプテンを引き継ぐ。プレミアリーグ第3節のニューカッスル戦で前半に一発退場になり、さらに主審へ暴言を吐いたことで2試合の出場停止処分を受ける。復帰後は怪我人が続出するチームの中で、かつてのような安定感を取り戻し、復調を印象付ける。2023年12月6日、第15節シェフィールド・ユナイテッド戦では豪快なボレーシュートを決め、勝利をもたらす。2024年2月24日のEFLカップ(カラバオカップ)決勝のチェルシーFC戦では、延長戦まで気迫の守備を披露すると、延長後半終了間際に劇的な決勝ゴールを決める大車輪の活躍でタイトルをもたらし、MOMに選出される。
オランダ代表
ユース年代では、U-19代表やU-21代表に選出された経歴はあるが、わずかしか試合に出場しておらず、目立った実績は残せていない。
長くオランダでは注目されていなかったこともあり、初めてオランダ代表に選出されたのは2015年10月。24歳のときとやや遅咲きである。UEFA EURO2016予選のカザフスタン戦で代表デビューを果たすと、その後レギュラーに定着する。しかし、この頃の代表は低迷期に差し掛かっており、EURO2016に続いて2018年ワールドカップロシア大会でも予選で敗退。代表として世界の舞台に立つことはできなかった。
2018年3月23日代表引退したアリエン・ロッベンの跡を引き継ぐ形でキャプテンに任命される。この頃の代表キャップ数はまだ16だったが、セインツ時代の恩師であるロナルド・クーマンが監督に就任し、W杯出場を逃しどん底からのスタートとなる新生オランダ代表のニュー・リーダーに指名されることとなった。キャプテンとしての初陣となったポルトガルとの親善試合において代表初ゴールを記録。2018年9月からスタートしたUEFAネーションズリーグでは、ドイツとの2度の対戦でいずれもゴールを奪う。2019年11月には、UEFA EURO2020予選勝ち抜けを決め、オランダを6年ぶりの国際大会への舞台へ返り咲かせる。
2020年10月に負った右膝靭帯損傷の大怪我を負った影響によって2021年6月からのEURO2020を欠場することになる。2021年8月におよそ1年ぶりにオランダ代表に復帰すると、キャプテンとしてチームをまとめあげ、11月13日にオランダを2大会ぶりのワールドカップ本大会出場に導く。2022年11月にはカタールで開催された2022 FIFAワールドカップに初出場。守備の要としてチームを牽引し、ラウンド16までの5試合を2失点に抑える。準々決勝のアルゼンチン戦は2点のビハインドから後半の終盤に同点に追いつき、PK戦までもつれ込む。PK戦では1人目のキッカーを務めるが、GKエミリアーノ・マルティネスに止められてしまい、ベスト8で敗退となる。
2023年6月のUEFAネーションズリーグ2022-2023ファイナルの準決勝クロアチア戦では5失点を許し敗北。3位決定戦のイタリア戦では自身の軽い対応が原因でゴールを許すなど3失点を献上して敗戦。らしくない緩慢な守備対応に批判が集まる。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2010-11 | フローニンゲン | エールディヴィジ | 5 | 2 | |
2011-12 | フローニンゲン | エールディヴィジ | 23 | 3 | |
2012-13 | フローニンゲン | エールディヴィジ | 34 | 2 | |
2013-14 | セルティック | Sプレミアリーグ | 36 | 5 | |
2014-15 | セルティック | Sプレミアリーグ | 35 | 4 | |
2015-16 | セルティック | Sプレミアリーグ | 4 | 0 | |
サウサンプトン | プレミアリーグ | 34 | 3 | ||
2016-17 | サウサンプトン | プレミアリーグ | 21 | 1 | |
2017-18 | サウサンプトン | プレミアリーグ | 12 | 0 | |
リヴァプール | プレミアリーグ | 14 | 0 | ||
2018-19 | リヴァプール | プレミアリーグ | 38 | 4 | |
2019-20 | リヴァプール | プレミアリーグ | 38 | 5 | |
2020-21 | リヴァプール | プレミアリーグ | 5 | 1 | |
2021-22 | リヴァプール | プレミアリーグ | 34 | 3 | |
2022-23 | リヴァプール | プレミアリーグ | 32 | 3 | |
2023-24 | リヴァプール | プレミアリーグ |
個人タイトル
- UEFA欧州最優秀選手賞(2019年)
- PFA年間ベストイレブン(2018-19)
- PFA年間最優秀選手賞(2018-19)
- プレミアリーグ年間最優秀選手賞(2018-19)
- プレミアリーグ年間ベストイレブン : 3回(2018–19、2019–20、2021–22)
プレースタイル
恵まれた体格を活かした圧倒的なフィジカルと的確な読みや判断能力というインテリジェンスを合わせ持った世界最高峰のCB。
強靭な体格を駆使することで対人守備には絶対の強さを持ち、空中戦でまともに競り合ってはまず勝ち目がないほどのエアバトルの強さを持つ。加えてポジショニングが的確で、読みも優れているためフィジカルタイプのCBにありがちな軽率な対応はまず見られない。また、高さとフィジカルを活かしてセットプレーにおける得点源にもなれ、DFとしては得点能力が高い。プレミアリーグでの空中戦の勝率は76.6%というデータが残っている。
同時に巨漢CBでありながら俊敏さを持ち合わせており、2018-19シーズンのCLで最速のスピードを記録するほどスプリント能力も高い。そのためドリブラーとのスピード勝負に持ち込まれても勝利する確率が高い。「Opta」のデータ集計によれば、2018-19シーズンに出場した64試合の公式戦で相手にドリブルで抜かれたことは1度も無かった。つまり、対人守備に関しては無敵の存在ともいえる。同時に裏のスペースをカバーできる読みの良さも持ち合わせ、ハイプレッシングを基本戦術とするリヴァプールにおいて重要な特性となっている。
また、足元の技術も高く、正確なロングフィードで攻撃面でも貢献できる。また、オランダのCBらしく対角線のパスを左右にきっちり蹴り分けることができるため、ビルドアップでも重要な存在となる近代的なCBである。2019-20プレミアリーグ第21節シェフィールド・ユナイテッド戦では、50mほどの距離からの正確なロングフィードを通し、モハメド・サラーのゴールの起点となっている。また、セルティックでプレーしていた頃はFKのキッカーを任され、何度か直接ゴールを決めている。
海外サッカーマニアとして知られる林陵平は、「一番危険な場所を消すのが天才的にうまくて、常にそこにいる。瞬時の判断で相手の選択肢を限定し誘導する能動的な守備が特徴。」と分析している。
人物・エピソード
ユニフォームの名前には苗字ではなく「VIRGIL(フィルジル)」というファーストネームを入れている。理由は12歳のときに家族を捨てて蒸発し、母親や自分に苦しい生活をさせた父親に対する激しい怒りを持っているからだと語っている。
オランダ時代は敵として対戦し、サウサンプトンではチームメイトでもあった吉田麻也は「僕らは時々嫉妬していたよ。僕は練習終わりに毎日ジムへ行っていたけど、その窓から駐車場を見ると、いつも彼が一番番最初に帰っていたんだ。彼にはジムや、特別なリカバリーは必要なかったからね。それぐらい生まれながらにして身体が強くて、他の誰よりもスピードがあった。テクニックもかなり磨かれているし、リーダーシップもある」と評している。
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