フラッシャーとは、第二次世界大戦中にアメリカ海軍が建造したガトー級潜水艦の一隻である。
概要
フラッシャーは大西洋に生息する魚、マツダイを意味する。体長は1メートルほど。
1942年9月30日、グロートン造船所で起工。翌年1943年6月20日に進水し、9月25日に竣工した。
竣工後は太平洋戦線に投入され、通商破壊に従事する。
1944年1月18日、南鳥島の西南西約250キロの地点で雷撃を行い、貨物船「吉田丸」を撃沈した。この初戦果を皮切りに、2月5日にはミンドロ島沖で海底電線敷設船「大新丸」を撃沈。続く14日にルソン島サンチャゴ岬沖で貨物船「民領丸」を撃沈している。
勢いに乗るフラッシャーは5月3日に貨物船「帝仙丸」を、6月29日に貨物船「日邦丸」を撃沈し、給油艦「能登呂」を撃破。7月7日、ベトナム沖南東で「興東丸」を撃沈。
数々の船を撃沈してきたフラッシャーだったが、ついに帝國海軍の軍艦を屠る機会が巡ってきた。
7月19日、南シナ海で軽巡洋艦「大井」を捕捉したフラッシャーは魚雷4本を発射。3本は回避されたが、残りの1本が直撃し火災発生。「大井」は航行不能となり、洋上に浮かぶだけの存在となる。トドメを刺すべく、フラッシャーはもう一度魚雷を発射。しかし今度は全て外れてしまう。焦燥したフラッシャーは一度現場を離れ、味方の潜水艦を呼び寄せたうえで再度接近。三度目の雷撃を行おうとした瞬間、黒煙を吐き続けていた「大井」が断末魔を上げた。船体が真っ二つに裂かれ、速やかに沈没していったのである。
その後もフラッシャーは通商破壊を続け、7月25日には特設水上機母艦「聖川丸」を撃破。翌日、味方潜水艦「クレヴァル」等と共同で船団を攻撃。「クレヴァル」が貨客船「東山丸」を撃沈したが、フラッシャーは何も沈められなかった。
その後の9月18日、フィリピン沖で特設運送艦「西貢丸」を、27日には姉妹艦「レイポン」とともにミマ11船団を襲撃し、軍隊輸送船「うらる丸」を撃沈した。さらに12月4日、ミンドロ島西方で駆逐艦「岸波」とタンカー「八紘丸」を撃沈。この時、駆逐艦「岩波」を沈めたと記録されているが該当する艦が無い。12月22日、カムラン湾北方でヒ82船団を攻撃し、タンカー「ありた丸」「音羽山丸」「御室丸」を撃沈。
1945年2月13日、フラッシャーは僚艦とともに北号作戦中の日本艦隊と遭遇。航空戦艦「伊勢」「日向」を中核としたこの艦隊は数多の味方の妨害を振り切り、本土を目指していた。フラッシャーは味方潜水艦「バッショー」とともに立ちふさがったが、「日向」の先制攻撃を受け雷撃の機会を逸してしまった。
2月25日、フラッシャーは輸送船「黄浦丸」を撃沈。これが大戦最後の戦果となった。通商破壊を終えたフラッシャーは真珠湾に戻る。アメリカ本土に回航するよう命じられたフラッシャーは西海岸へ赴き、整備の後グアムで出撃準備を整えていたが、ここで終戦を迎えた。
1946年3月16日、ニューロンドンで西洋予備艦隊に編入される。静かな戦後を送ったのち、1959年6月1日に除籍。
1963年5月31日に売却解体され、その生涯を閉じたのだった。
撃沈スコアは10万231トンに上り、ガトー級の中で最大の戦果を挙げた。10万トン以上の戦果を挙げたのはフラッシャーのみである。ところが撃沈したとされる駆逐艦「岩波」に該当艦は無く、この「岩波」を除外した場合、撃沈スコアが10万を下回ってしまう。どうやら10万以上のスコアにするため水増しした模様。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 0
- 0pt