フランソワ・ケネー(François Quesney、1694年〜1774年)とは、フランスの医師、経済学者である。重農主義の創始者。
概要
- 12人兄弟の8番目として生誕。16歳にして医師となる。
- 当時のルイ14世、15世の元、コルベールが推進していた重商主義に対して農業を重視する政策を唱えた。これは後にアダムスミスによって重農主義と呼ばれるようになる。
- 代表作は「経済表」世界初のマクロ経済的視点の経済分析書である。この書は後にアダムスミスに影響を与えることになった。
ケネーの経済論
ケネーの経済思想は1758年に出版された「経済表」に表される「重農主義」に代表される。さらに国家による自由権と財産権の保護、そしてあらゆる規制を廃して市場の自由放任を主張。この思想は後のアダム・スミスに引き継がれ、古典派経済学が成立する土壌を築いた。
重農主義とは?
ケネーは重商主義に対抗して、農業のみが真に生産的であると主張した。
そもそも重商主義とは?
重商主義とは、一国の政府が貿易を通じて金を儲けよう。その為に政府が指導して自国の経済の保護をしよう、という考えである。18世紀当時のフランスやイギリスは、高い関税をかけて輸入を減らし、一方で輸出奨励金を出し自国の輸出を増やすなどの政策をとっており、更に国際競争力を高める為に国民の賃金は低く抑えられ重税がかされた。
一言で言うと「金こそが富である」とする立場が重商主義である。
それに対しての重農主義
ケネーは重商主義に対して「金というのは価値が具現化した姿に過ぎず、農業のみが純生産物を生み出す」と主張した。これは言い換えれば「あらゆる産業の中で農業のみが投入したコストを上回る成果(純生産物=剰余)を生み出す」ということである。
またケネーは商工業は農作物を加工するに過ぎないので、農業を発展させることが国家を豊かにする最善の政治だと主張し、関税を始めとした農業にかかっていた規制の撤廃を求めた。これは後に反穀物法同盟へと繋がっていく。
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