フリードリヒ・リスト(Friedrich List, 1789-1846)とは、19世紀前半に活躍したドイツの経済学者である。いわゆる「ドイツ歴史学派」の先駆者として知られている。
概要
フリードリヒ・リストは、今日では経済学者に分類されているが、いわゆる「象牙の塔」のイメージとは無縁の精力的な活動家であった。その活動は多岐にわたり、新聞等のメディアを用いて多くのアイディアを発表したため、その思想の全体像を理解することは非常に難しい。主著は『政治経済学の国民的体系』(Das nationale System der politischen Oekonomie)。
ここでは、リストが唱えた思想などをいくつかのポイントに絞って(かなり大雑把に)叙述する。
ドイツ関税同盟
フリードリヒ・リストが活躍した19世紀前半、ドイツには多くの領邦国家が林立する状況だった。それぞれが独自の政府を持ち、それぞれが独自に関税を定め、それぞれが独自に産業政策を推し進めていたため、ドイツ全体の経済を発展させることは困難だったのである。また、英国など早くから産業革命が進展している国に比べ、ドイツ諸邦の産業は未発達な状況であった。
そこで、リストはドイツ諸邦が「関税同盟」を結成し、ドイツ内部での関税を廃止する一方、ドイツ外部に対する共通関税を設定することにより、ドイツの経済圏を統一・強化する必要があると訴えた。紆余曲折はあったが、1834年にドイツ関税同盟が実現した。
幼稚産業保護論
先進的な英国の工業に比べ、当時のドイツ諸邦の工業は立ち遅れていた。このため、(相対的に安価で高品質な)英国製品がドイツに無制限に流入すると、いつまで経ってもドイツの工業製品は(相対的に高価なくせに低品質なので)売れず、よってドイツの工業が発展できない、とリストは認識していた。
そこで、当時の英国において一般的に受け容れられていた自由貿易論を批判し、関税同盟を実現させた暁には、英国などから入ってくる工業製品に高い関税を設定することによって、ドイツの「幼稚」な工業を保護する必要があると考えた。これが現在でも引き合いに出される「幼稚産業保護論」である。ただし、ドイツが本格的な保護関税を導入したのはリストの死後とされる。
鉄道網の整備
フリードリヒ・リストは、領邦国家という小さな経済圏ではなく、ドイツ全体を大きな一つの経済圏として発展させるためには、これまでよりも高速かつ安定的な輸送網の整備が欠かせないと考えた。中でも重視したのが、鉄道網の整備である。
当時、鉄道は最先端の技術であり、莫大な資本が必要であったため、各国政府や大資本家の理解が不可欠であった。そこで、リストは鉄道建設についても積極的にその必要性を説いて回った。特に、中部ドイツのライプツィヒからドレスデンまでの鉄道建設に貢献したと云われている。
欧州連合(EU)との関係
フリードリヒ・リストは、ドイツが多くの領邦国家に分断された19世紀当時にあって、経済面からのドイツ統一を志向していた。その手法は、ドイツ内部の領邦国家が関税同盟を結ぶことでドイツ内部の関税を廃止し、物品の取引を容易化するとともに、ドイツ外部からの輸入品に共通関税を課することでドイツ内部の経済発展を加速化しようというものであった。
この手法は、そのまま欧州諸国の経済同盟を結ぶ際に応用されることになった。第二次世界大戦後、当時の西ドイツおよびフランスは、両国を含めた経済同盟を結ぶことによって、欧州諸国の経済成長を促そうと考えた。そこで、欧州経済共同体(EEC)を設立し、共同体の域内関税を廃止し、物品の取引を容易化するとともに、域外からの輸入品に共通関税を課することで域内の経済発展を加速化することにしたのである。EECは現在の欧州連合(EU)へと受け継がれている。
ドイツのライプツィヒ中央駅に建てられたリストの像には、"Vordenker der europäischen Einheit"(欧州統一の先駆的思想家) と記されている。
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