ブラックボックスとは、
- 問題なく扱えるが、中身の構造はよくわかっていない装置や状態のこと。
- 航空機に搭載されているフライトレコーダーのこと。
フライトレコーダーの概要
FLIGHT RECORDER DO NOT OPEN |
フライトレコーダー(航空機におけるブラックボックス)とは、航空機に搭載されている
以上2点の通称、及びそれらが収められている頑丈な強化スチール製の物体である。
構造
ブラックボックスと名前はついているものの、実際は箱型のみならず円筒形・球体など様々な形のものがあり、墜落などの事故後残骸の中から発見しやすいよう上記のようにオレンジ色であり、表面に「フライトレコーダー・開けるな!」という注意書きが各航空機製造会社の所属国の言語でなされている。(そのため、上記のように必ずしも英語で書いてあるとは限らず、フランス語[エアバス社製]やロシア語[ツポレフ社製]のものもある)
ブラックボックスの由来は、第二次世界大戦時のイギリスで用いられていた電子機器類を入れる非反射性の黒い箱が由来である。当時、航空機に搭載する電子機器は飛行計器類を妨害する電波を発信しないように黒い箱に収められていた。その後、デイヴィッド・ウォーレン博士によって最初の実用的フライトレコーダーがイギリスに持ち込まれた際にもこの用語が使用され続けたため、現在までこの名称が残ったのだと言われている。(詳細は後述/由来はその他にも諸説あり[1])
航空機は現在人類が一般的に利用する中で最も速いであろう乗り物(平均マッハ0.8/時速860km前後)である。その分墜落などの事故時にはとてつもない衝撃がかかり、生存者やおろか事故原因となった部品すら破壊されてしまうこともあり事故調査は困難を極める。
事故調査に必要なたった2つの手掛かりを確実にこの世に残すため、ブラックボックスは記録を残すフラッシュメモリを分厚いスポンジで覆った上から強化スチールで更に覆っており[2]、墜落事故時一番損傷の可能性が少ない機体後部に配置され、現在下記の耐衝撃試験に耐えられるものが使用されている[3][4]。
耐衝撃 | |
耐火・耐熱 |
|
耐水圧・耐海水 | |
耐侵食 |
この試験内容を見ても分かる通り、ブラックボックスは相当な衝撃にも耐えられる設計になっているが中にはこの条件すら上回ってしまう事故も発生している。
- 1987年12月7日に発生したパシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故では通常高度からほぼ垂直かつ音速を超えるスピードで地面に落下したため、機体やブラックボックスには試験の衝撃を1,600Gも上回る5,000Gを超える力が加わったと推定された。
- FDRは無残な状態になりCVRは辛うじて形を保っていたものの外殻(オレンジ部分)の強化スチール製ボックスが剥がれてしまっていた。
- この事故で見つかった遺体の中で一番大きかったのは「靴の中に残った足首」であった。
- また通常なら墜落後航空機は炎上するが、この時はあまりの衝撃で軽い物体は衝突後反作用で地面高く舞い上がったため延焼を回避し、通常の墜落事故とは逆に多くの砕け散った残骸や事故証拠品を残した。といえばこの事故の衝撃の凄まじさが理解できるだろう。
- しかし、調査官の懸命な復旧作業によりCVRは完全な状態で復元でき、FDRも箱の中に墜落寸前の6秒間を記録したテープが残っていたため事故原因の特定に大いに役立った。
なお、どちらの事故もブラックボックスの頑丈性を証明した他、調査の結果原因がアレだったことも共通している。
導入前史
初期開発
一番最初のフライトレコーダーといえるものは、1939年にフランス人のフランソワ・フセノット(François Hussenot)によって開発され、彼とポール・ボードゥアン(Paul Beaudouin)によって売り出された「Type HB レコーダー」である。
これは、現在のものとは違って高度・速度などによって傾いた鏡に当てられた細い光線を、88mmフィルムで連続撮影した写真によって機体情報を保存するというものであった。このレコーダーは開発者の名にちなんで「フセノグラフ(Hussenograph)」とも呼ばれている。ただ、このHBレコーダーはフィルムで情報を保存するため上書きができず再利用が不可でありテスト飛行時にのみ用いられていたが、発明国フランスでは70年代まで使用されていた。
第二次世界大戦中には現在のレコーダーの先駆けとも言える耐衝撃性能を持ったレコーダーがイギリスのレン・ハリソン(Len Harrison)とヴィック・ハズバンド(Vic Husband)によって開発された。こちらは音楽レコードと同じように、銅箔テープに針(スタイラス)で溝を付けて記録していくいうものである。両名は戦争後にイギリスで特許を取得している。
時を同じくして、フィンランドでは1942年にヴェイジョ・ヒエタラ(Veijo Hietala)によって開発された「マタ・ハリ(Mata Hari)」と呼ばれるレコーダーが、ハリソン達が開発したものと同様の構造でフィンランドの戦闘機開発に大いに貢献していた。ちなみこのマタ・ハリは本当に黒色の箱に収納されている。現在はタンペレにあるメディア博物館(Vapriikki Museum)に展示されている[5]。
ここまでは、FDRの開発について触れてきたがCVRの開発はもう少し時代を下ってから始まることになる。コックピットでの会話の録音ということに限れば、第二次世界大戦中の1943年にアメリカ・イギリスの両軍がナチス占領下のフランスで任務中のB-17爆撃機の電話通信をワイヤーレコーダーで録音。見事に成功し2日後にアメリカで内容をラジオ放送している。
CVRの開発と実用化
1953年、世界初の量産型ジェット旅客機であるコメット連続墜落事故の調査を担当していたオーストラリアのデイヴィッド・ウォーレン(David Warren)は、メルボルンの展示会でたまたま見かけたドイツ製ポケットワイヤーレコーダーを見て[6]、「これをもし航空機に積み込めれば事故調査が大幅に改善するぞ!」と思いつき翌年1954年には早くも「航空事故調査支援装置(A Device for Assisting Investigation into Aircraft Accidents)」として構想を発表。
1958年に将来の航空機への日常的な搭載を考慮した世界初のFDR/CVR一体型フライトレコーダーのプロトタイプを完成させた。当初はあまり注目されなかったもののこの開発研究はイギリスの目にも留まり、2カ国の共同開発の結果「RED EGG」としてついに実用化に成功した。1965年には現在と同じく機体後部に配置されるようになった。こちらは現在シドニーのパワーハウス博物館(Powerhouse Museum)に展示されている[7]。
ウォーレン博士の母国、オーストラリアは1960年に発生したトランス・オーストラリア航空538便墜落事故を契機に1966年から世界で初めて旅客機にCVR導入を義務付けた。
一方、アメリカでは独自に「ジェームズ・J・ライアン(James J.Ryan)」によって、名前そのまま「フライトレコーダー」がウォーレンと同時期の1953年に開発された。彼もウォーレンから2年後の1956年にフライトレコーダー導入による航空会社運用の有益性を訴えている。
さらにCVRの方も1961年にロッキード社の「エドマンド・A・ボニファスJr.(Edmund A. Boniface, Jr.)」によって「CSR/Cockpit Sound Recorder」として開発された。こちらも現在のCVRと同じく耐衝撃性容器に入れられたテープレコーダーにコックピット内での会話・音声が録音されるものである。彼は開発して1961年に一度特許を申請しているが、パイロット組合から「プライバシーの侵害だ!」と弾劾を受け一度は取り下げている。しかし、1963年に安全に飛行が終わった時にプライバシー保護のため録音を消せるよう録音消去装置をつけてもう一度特許を申請し取得し直している[8]。
導入の義務化
上記の通りオーストラリアでは早くも1966年から導入を義務化しており、その他の国も重大事故が起きるたびそれに追従していった。
アメリカでは、1964年に「パシフィック航空773便墜落事故」が副操縦士が管制塔に入れた最後の連絡「撃たれました!私達は撃たれました!助けてください!!(I've been shot! We've been shot! Oh, my God, help!)」という言葉から、乗客の「フランシスコ・ポーラ・ゴンザレス(Francisco Paula Gonzales)」がパイロットを撃ち殺して墜落させたという衝撃の事故原因が判明した。(音声は関連動画を参照) 今後このような事故の原因を早期に特定するため1967年3月1日までに4発以上のエンジンを持つ機体は必ずCVRを装備しなければならないと義務付けられた。(皮肉にも事故から23年後にこの規則は再び役立つことになる)
日本では、1966年のYS-11による「全日空松山沖墜落事故」がFDR/CVRとも未搭載だったため原因が特定できず未解決で終わり、さらに5年後の1971年には当時日本史上最悪の航空事故となった「全日空機雫石衝突事故」も発生したため、1975年から全ての旅客機にフライトレコーダーの搭載が義務付けられるようになった[9]。(ただしその2年前の1973年3月には航空局局長指導通達によって各会社とも自主的に全機材に装着している)
イギリスでは、1972年に起きた「英国欧州航空548便墜落事故」が搭載されたFDRから調査した所異常なほどの低速で飛んだ結果失速し墜落を招いたと特定され、さらに残骸からドループと呼ばれる低速飛行の際に必要な前縁フラップをパイロットが誤って格納してしまっていたことが判明した。しかし、CVRが搭載されていなかったため誰が・何故誤ってドループを引いてしまったのかがわからずこちらも未解決に終わってしまったため以降CVRの搭載が義務付けられるようになった。
以降、航空機に搭載されたFDR/CVRが数々の航空機事故を生き残って貴重なデータを持ち帰り、現在の航空機の安全輸送に貢献していることはいうまでもない。
ちなみに余談だが、上記のウォーレン博士は9歳の時に父親を航空機事故で亡くしており、このことも実用的CVR開発を推し進めることに繋がっている。彼は2010年に85歳でこの世を去ったが、彼の棺には、あの注意書きにちなんでFLIGHT RECORDER INVENTOR DO NOT OPEN(フライトレコーダー開発者・開けるな!)と注意書きがなされている。
2つのレコーダーと航空交通管制
初期のレコーダーはRED EGGのように2つのレコーダーが一緒になっていたが、時代が下るにつれ2つに分けられていく。理由は単純で、耐衝撃性を追い求めた結果どんどんブラックボックスが大きくなってしまい、だったら2つに小さく分けて確実に衝撃から守るほうが良くない?となっていったためである。
通常は機内照明などと同じくエンジンで発電された電気によって稼働しているが、またDC-10かの代表例「アメリカン航空191便墜落事故」のようにエンジンが不具合で止まってしまったり、機体から外れてしまったりすると記録がそこでストップしてしまうため現在では予備のバッテリーも装備して事故ギリギリまで記録できる体制が取られている。
FDR/フライトデータレコーダー
前述のフセノグラフ以来80年近い歴史を持つレコーダーで、初期のものは簡単な高度・速度等しか記録できなかったが、FAA(連邦航空局)基準で2002年までは最低29項目を、現在ではパイロットの操作入力を含む最低88項目を1秒間に数回づつ17~25時間分記録している。
一部のレコーダーではデータが急速に変化するとドライブレコーダーのように自動で作用して記録頻度を大幅に増す機能がついているものもある他、パイロットが「イベントボタン」を押して手動で編集点のような記録をつけることができるものもある。
記録方法も、①写真(フセノグラフ)→②銅箔・スチール箔(マタ・ハリなど~60年代)→③磁気テープ(70~90年代)→④フラッシュメモリ(現在)と時代を追うごとに最新のものに進化し続けている。
CVR/コックピットボイスレコーダー
一般的にブラックボックスと言えばこちらのほうを想像する方も多いであろう。その名の通り、パイロットのヘッドセットや天井に取り付けられたマイクなどからコックピットの音声を録音し記録するものである。世界初のコックピットボイスレコーダーは前述のウォーレン博士によって1957年に発明された、「ARL Flight Memory Recorder」[10]であり、ボニファスJr.が開発した前述のCSRも同じくワイヤーレコーダーにより録音するものだった。(詳しい構造は脚注8番を参照)
その後主流となったのは磁気エンドレステープにより30分間録音するもので、テープが終端部に達すると自動的に上書きされ繰り返し記録される構造だった。長らくこの形式が主流だったが、FDRと同じく現在では2時間を超える録音が可能となったフラッシュメモリによる記録となっている。
NTSBをはじめとして世界の各調査委員会は1944年制定の国際民間航空条約(通称:シカゴ条約)によってCVRの一般公開を禁止しているが、尖閣諸島中国漁船衝突事件の映像流出のように一部事故では一般に流出してしまっている。
その結果、日本航空123便墜落事故の高濱機長らのように必死の奮闘が録音されパイロットの名誉を回復する例もあれば、LAPA航空3142便離陸失敗事故のように警報に対する杜撰な対応を醜態として全世界に晒してしまう例もある。(どちらの音声も関連動画を参照) ちなみに123便のものは本来の記録時間を超え32分間記録されていたが、これは長年の使用によりテープが伸びていたためであり、その結果偶然ではあるが事故発生前からの録音が記録され原因究明に大いに役立った。
ちなみに、公開禁止の例外として1972年日本航空ニューデリー墜落事故のCVRはインドでの公判中証拠として裁判所内で公開され、その際の音声をマスコミが入手したことによって間接的に公にされることになった。
ATC(航空交通管制/Air Traffic Control)
CVRには、コックピット内の音声のほかにもう一つ録音されるものがある。それは、航空管制官から自機を含めた各航空機に対しての指示(ATC)である。この航空管制官の指示はCVRと同じく地上にて常時録音されており事故発生時には勿論真っ先に調査が入る。ブラックボックスが発見できなかった際には、このATC録音のみがパイロットの言動を記録する事故の貴重な手がかりとなる。そして事故時には何故かこちらも流出していることが多い。
通常時、交信は基本的に全て英語で行うが異常時には正確なコミュニケーションのためパイロットや管制官の母国語で行う場合も多い。(前述の日本航空123便墜落事故など)
1977年に発生した世界最悪の航空事故:テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故では、ATC録音と事故機(KLM機)のCVRを聴き比べた結果、管制官の意図しないタイミングでヘテロダイン現象(混信)が発生しKLM機側のみにノイズが入り管制塔からの指示を誤解した結果、事故に繋がる大きな原因となってしまったことが判明した。
平常時でも無線機を空港に持っていけば、誰でも実際の交信内容をリアルタイムで聞くことができる。ちなみに交信内容を公にすることこそ違法であるものの、ただ無線機で航空管制を聞く分には全く違法ではない。
何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線通信(電気通信事業法第四条第一項又は第百六十四条第三項の通信であるものを除く。第百九条並びに第百九条の二第二項及び第三項において同じ。)を傍受してその存在若しくは内容を漏らし、又はこれを窃用してはならない。
真水に漬けろ!
ニコニコ動画内では、航空事故関連の動画でブラックボックスが出てくるとメーデー民によって「真水に漬けろ!」というコメントが行われる。
これはブラックボックスが海水に浸かった状態で発見された場合、地上でそのまま中身を取り出してしまうと塩分によって中身が錆び、せっかくの事故の証拠が完全に消え去ってしまう危険性があるためであり、海上から引き上げられた後塩抜きのためすぐに真水入りのクーラーボックス等に入れられ調査機関まで運ばれるためである。航空事故調査を取り扱ったナショナルジオグラフィックのドキュメンタリー番組、「メーデー!:航空機事故の真実と真相」ではこのシーンが余りにも多く毎回のように取り上げられたため、例え海上以外への墜落事故であってもお約束としてこのコメントが行われるようになった。
本来ならば地上や河川への墜落の際真水に漬ける必要はないのだが、中には河川への墜落だったものの泥抜きのために真水に漬けられた「シルクエアー185便墜落事故」のような事例も存在するため上記のコメントはあながち間違いではないのかもしれない。
ちなみに、メーデー!の中にはブラックボックス未搭載の航空機の事故を取り上げた回もあるため、その回では真水に漬けることが出来ない悲しみに明け暮れるメーデー民達のもの悲しげなコメントを閲覧できる。(アトランティック・サウスイースト航空2311便墜落事故など)
関連動画
- その他事故
PART1に日本航空ニューデリー墜落事故、PART2にLAPA航空3142便離陸失敗事故、補完編にパシフィック航空773便墜落事故の音声あり。
- ニアミス事例(ATCのみ / テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故と似たような事例)
関連項目
- 航空機
- 航空事故
- 日本航空123便墜落事故
- LAPA航空3142便離陸失敗事故
- エールフランス447便墜落事故
- ピトー管
- メーデー!:航空機事故の真実と真相
- フィクションじゃないのかよ!騙された! (メーデー!視聴に必須の用語集)
- フライトレーダー24 (インターネット版FDRとも言えるインターネットサイト)
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脚注
- *「事故が起きるまでデータを取り出せず、何が記録されていたかどうかが一切わからない様が1-Ⅰのブラックボックスとまったく同じであるから」など 下の脚注5番も参照
- *詳しくはこちらのyoutubeの動画を見るほうが早い→What's inside a Black Box?
- *フライトレコーダのはなし (海上保安庁 - 関西空港海上保安航空基地)
- *ブラックボックスが伝えるもの:フライトレコーダーの秘密 (カスペルスキー公式サイト)
- *Bytes: Some origins
- *Dr David Warren, AO, Research Scientist & Inventor (1925-2010) (MUSEUMS VICTORIA COLLECTIONS)
- *Sectioned 'Red Egg' flight recorder - MAAS Collection
- *Cockpit sound recorder - LOCKHEED AIRCRAFT CORP
- *航空機のフライト・レコーダ・システム - 武政嘉治著 (J-STAGE)
- *ARL Flight Memory Recorder (MUSEUMS VICTORIA COLLECTIONS)
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