ブラッド・ビンダー単語

ブラッドビンダー
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ブラッド・ビンダー(Brad Binder)exitとは、南アフリカ共和国出身のMotoGPライダーである。


1995年8月11日生まれ。2011年からMotoGPMoto3クラスに参戦しはじめ、2016年Moto3クラスチャンピオンいた。2017年からMoto2クラスに参戦することになり、2018年ランキング3位、2019年ランキング2位となっている。

2020年からは最大排気量クラスに移り、KTMワークスに所属して参戦する。

第4戦(開幕戦でMotoGPクラスキャンセルとなったため、事実上の3戦)のチェコGPにおいて、最大排気量クラス優勝を遂げた。これは、KTMワークスにとっても最大排気量クラス優勝である。南アフリカライダーが最大排気量クラス優勝するのも初。また、ルーキーイヤーのライダーがいきなり優勝するのは2013年マルク・マルケス以来である。

  

ゼッケン、レーシングスーツ、ヘルメット、好みのデザイン

ゼッケンは33を使用している。ブラッド・ビンダー(Brad Binder)の頭文字BBで、それが33に見えるため(動画exit)。

2009年から2011年までレッドブルルーキーズカップに参戦していたが、そのときはずっと41番を付けていた(画像exit)。

2011年シーズン後半の第11戦インディアナポリスGPになってMotoGP125ccクラスに参戦するようになったが、そのときは14番を付けている。第7戦オランダGPでルカグルンワルドという選手が41番を使ってスポット参戦していて、41番が先に登録されてしまったので、14番を付けた。

2012年から2019年までずっと41番を付けていた。2020年に最大排気量クラスに挑戦することになったが、このクラスではアレイシ・エスパルガロがすでにゼッケン41番を使用していたので、33番に変更することにした。

2019年11月バレンシアテストでゼッケン33番を披露した。そのデザインをよく見てみるとexitアメリカ発祥のチョコ菓子のM&M’sexitによく似ている。


レーシングスーツフランスIxonexit契約している。この会社は×をそこら中に付ける傾向があり、この写真exitを見ても肩や膝や手の甲や胸元に×が見える。2014年のころにはすでにIxonを着ている(画像exit)。

ヘルメットアメリカ合衆国BELLexit契約している。2016年まではAraiを使っていたが(画像exit)、2017年からBELLに変わった(画像exit)。


ヘルメット南アフリカ共和国の国旗exitをあしらうのが好み(画像1exit画像2exit)。

南アフリカ共和国出身だからか、チーター(斑点のあるネコ科の動物地球上で最も足が速い)の絵を好んでいる。サインボードexitヘルメットの後頭部exitレーシングスーツのお尻exitチーターの絵が見える。


サインボードexitをよく見てみると「BRADICAL」と書いてある。BRADRADICALを組み合わせた言葉で、RADICALとは「過」という意味。2009年レッドブルルーキーズカップで戦いはじめた時、オーストラリア人のアーサー・シッシスexitから「BRADICAL(過ブラッド」とあだ名されて、それを気に入って名乗っている(記事1exit記事2exit)。
 

経歴

カートでレースを始め、その後にバイクへ転身する

ブラッド・ビンダーは、1995年8月11日南アフリカ共和国ヨハネスブルグから南西に100kmほど離れたポチェフストルームexitで生まれた。

ポチェフストルームにいた期間はわずかで、すぐに40kmほど北西に離れたカールトンヴィルexitに移った。このカールトヴィルというは、の鉱脈が豊富に存在しており、の鉱山があちこちにある。

一家カールトヴィルに住んでいたのは、2006年頃まで、つまりブラッドが11歳になる頃までだった。その間中、父親トレヴァーは、ブラッドやそののダリンに、バイクを与え続けていた。そのため、当然のようにブラッドとダリン好き・バイク好きに育っていった。

ブラッドが先に始めたのはカート(小レース用4輪)で、8歳か9歳の頃にカートレースを始めた。それと同時に、8歳の頃、バイクレースもしていた。始めてレースをしたのは、ズウォルトコプス・レースウェイexitだった。

しばらくして、カートに飽きて、10歳の頃からバイク専門のレーサーになった。乗ったのは50ccの小さなバイクである。走ったサーキットは、パキサ・フリーウェイ(ウェルコムサーキット)exitキャラミサーキットexitミッドヴァール・レースウェイexit。この3つのサーキットはいずれもヨハネスブルグ周辺にあり、ヨハネスブルグ近くに住むブラッドにとって非常に行きやすい場所だった(場所1exit場所2exit場所3exit)。

南アフリカ共和国子供向け内選手権で勝ちまくったブラッドは、ヨーロッパへ進出することになった。


※この項の資料・・・記事1exit記事2exit
 

12歳のころからヨーロッパでレースを始める

ブラッドは、12歳のころからヨーロッパレースをするようになった。

ブラッドは、2008年英国へ渡り、そこでアプリリアスーパーティーンズ・シリーズに参戦した。

このアプリリアの若手向け選手権は、ケーシー・ストーナーカル・クラッチローダニーケントも参戦したものである。カル・クラッチローの記事にも記述がある。

ただ、ブラッドはあまり英国レースに多く参戦せず、2つのレースに出ただけだった。スペインに行ってスペイン選手権に出たり、レッドブルルーキーズカップに出たりしていた。とくに多く出場したのがレッドブルルーキーズカップである。

レッドブルルーキーズカップには2009年14歳)から2011年16歳)の3シーズンに参戦した。2009年ランキング14位と低迷したが、2010年ランキング5位で、2011年ランキング7位となっている。

また、2011年16歳)からは本格的にヨーロッパに拠点を持つ必要が出てきたので、スペインに移住し、南部モライラexitという町に母親と一緒に住みながらレース活動をすることになった。ちなみに、父親のダリン南アフリカ共和国に残った。

※この項の資料・・・記事1exit記事2exit記事3exit
  

2011年(16歳)からMotoGPのMoto3クラスに参戦開始

2011年16歳)はレッドブルルーキーズカップフル参戦したが、MotoGPMoto3クラスに参加する「アンダルシア・バンカ・シヴィア」というチームに入ってMotoGPデビューした年でもある。

シーズン中盤の第11戦インディアナポリスGPでスポット参戦し、シーズン終盤の第14戦日本GPから最終戦の第17戦バレンシアGPまで連続して参戦した。第14戦の前にミゲール・オリヴェイラ解雇され、その代わりにブラッド・ビンダーが加入したのである。

2011年シーズン後半の「アンダルシア・バンカ・シヴィア」は財政難になっていた。ミゲールの持参よりもブラッドの持参が勝っていたものと思われる。

ちなみにこのチームメインスポンサーバンカ・シヴィアexitという銀行で、2011年当時は危機っ最中であったのでシーズン途中で払いが渋くなったのである。

2012年17歳)はMoto3クラス初年度だった。この年に強いのはKTMだったが、ブラッドはRW Racingというオランダチームに加入してKALEX-KTMというマシンを走らせた。このマシンは、KALEXが作ったシャーシにKTMエンジンを積んだものである。ランキング21位に終わった。


2013年18歳)と2014年(19歳)はアンロジオ・レーシングに加入した。アンロジオ・レーシングとはフィオレンツォ・カポネーラexitというイタリア人の名物監督が率いるチームである。フィオレンツォ・カポネーラの率いるチームは最軽量級で2000年2002年チャンピオンを獲得している。また、若手を抜するに優れており、マルコシモンチェリや中上貴晶やヨナス・フォルガーやジャウメマシアを起用している。

フィオレンツォ・カポネーラ監督に抜されたブラッドは、2013年の前半はSuterのシャーシにホンダエンジンを積んだマシンで走り、2013年の後半から2014年はマヒンドラマシンで走った。

2014年になると、ブラッドは見事な快走を繰り返した。シーズン中盤からシングルフィニッシュが当たり前になり、第9戦ドイツGPで2位、第15戦日本GPで3位に入った。マヒンドラ非力マシンで速く走るブラッドに対して、アジョ・モータースポーツアキ・アジョ監督exitを掛けて引き抜いていった。

ちなみに、マヒンドラ非力マシンで頑って走ったライダーが、後に出世していくケースが多い。ミゲール・オリヴェイラフランチェスコ・バニャイア、ブラッド・ビンダー、ホルヘ・マルティン、鈴木生など。非力マシンでどうやって速く走るか必死に考えたことで、ライダーとしての技量が高まったのであろう。
 

2015年(20歳) アジョ・モータースポーツで実力を高める

2015年は名門チームアジョ・モータースポーツに入団した。そして、名物クルーチーフマッシモ・ブランキーニ(Massimo Branchini)exitと組んでレースをすることになった。

2015年のマッシモ・ブランキーニは、Moto2クラスでヨハン・ザルコを担当しておりexitヨハンチャンピオンに導いていた。それと同時にMoto3クラスでブラッド・ビンダーを担当していた。

マッシモ・ブランキーニの腕前は非常に素らしく、「2015年にマッシモ・ブランキーニから学んだことは信じられないほどの量だ」「2015年に学んだことの量は、2014年以前に学んだこと全てよりも多い」とっている(記事exit)。

また、2015年は、ミゲール・オリヴェイラシーズン後半に恐るべき速さを発揮していた。終盤6戦で4勝し、2位が2回だった。ミゲールのような速いライダーチームメイトにいると、そのセッティングを参照できて大いに勉強になる。

2015年は表台を4回獲得し、ランキング6位になった。
 

2016年(21歳) Moto3クラスのチャンピオンに輝く

を大いに高めた2015年を経て迎えた2016年は、ブラッド・ビンダーの快進撃が続き、第14戦アラゴンGPを終えた時点で4戦を残してチャンピオンを決めてしまうほどの圧勝となった。

この年のクルーチーフジョルディ・ガヤルド(Jordi Gallardo)で、この画像exitブラッドの後ろに立っているガッチリした感じの人である。この人も腕前の良さに定評がある

圧巻だったのは第4戦スペインGPだった。予選で2番手タイム叩き出したのに、承認されていない電子制御ソフトを使用したことを咎められて、ブラッドは技術違反で最後尾スタートになった。しかしながら、そこから追い上げて、全員を抜き去って優勝を決めた。最後尾からスタートしておきながら(動画exit)、3.3差を付けてぶっちぎって優勝動画exit)。

なお、ブラッドは最終戦にも似たようなことを再現している。決勝2周で接触に巻き込まれ22番手にまで後退したが、そこから次々とパッシングを重ねて追い上げて、0.056差の僅差で優勝している(記事exit)。


この年の結果はこうなった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
2 3 3 1 1 1 2 12 8 2 re 1 1 2 2 1 17 1

 
とくにミスらしいミスも犯さず、完璧シーズンとなった。本人は「チーム完璧仕事をしてくれた」と謝辞を述べている(記事exit)。

第17戦マレーシアGPは他者がまき散らしたオイルに乗っての転倒(動画exit)、第9戦ドイツGPと第11戦チェコGPは豪雨が降ってのヘビーウェットだった(動画1exit動画2exit)。この年のブラッドが自分のミスで大きく順位を落としてそのまま下位でゴールしたのは第8戦オランダGPぐらいである。

ミスをしないブラッドに対して、ライバルは次々とミスをしていった。ホルヘ・ナヴァーロは肝心なところで転倒してポイントを失うし、第9戦ドイツGPを終えた時点でランキング3位に付けていたロマーノ・フェナティは第10戦オーストリアGPの直前に「チームの規に従わない行動が繰り返されたため」と称してチームによって出場停止となった。
 

2017年 怪我に苦しむが、終盤3戦で好成績

2017年からはMoto2クラスに移った。所属するチームは、それまでと変わらずアジョ・モータースポーツのままである。アジョ・モータースポーツMoto3部門からMoto2部門へ転属した。

この2017年からKTMワークスMoto2クラスに参戦する事が決まっており、その活動体としてアジョ・モータースポーツが選ばれていた。このため、ブラッドMoto2クラスでもワークスチームという恵まれ環境に身を置くことが可となった。

しかし、好事魔多しとしかいいようのない不運ブラッドを襲った。2016年11月バレンシアテストの際、10コーナーしい転倒をしてしまい、左腕を大きく打った。バレンシアサーキットの記事でも解説されているように、10コーナー久々タイヤ右側を使う場所で、転倒が多い。その魔所で沈んでしまった。この記事exitに転倒の様子が映っている。

左腕の橈骨(とうこつ radius)exit骨折したので、チタン製のプレート)を入れた。チタンは体液に反応しにくいため、骨折の治療に使われる。

閲覧注意の痛々しい画像がSNSに上げられた(画像1exit画像2exit)。左腕の負傷のため、思うようにトレーニングができず、筋が落ちてしまったとっている(記事exit)。

チタンプレートが入ったまま2017年シーズンの開幕を迎えたが、開幕戦は20位で、第2戦アルゼンチンGPも9位だった。そして4月初旬のアルゼンチンGPの後に、左腕のチタンプレートが動いたことが分かり、再手術することになった(記事exit)。

またまた閲覧注意の絶句級画像がSNSに上げられた(画像exit)。もうメチャクチャ痛そう。

このため、2017年ブラッドは第12戦イギリスGPまで下位をさまようことになった。しかし、9月初旬の第13戦サンマリノGPから成績が上向き始め、4位になっている。

終盤の3戦では2位を2回、3位を1回という好成績で終えた。このとき、チームメイトミゲール・オリヴェイラが3連勝を飾っており、アジョ・モータースポーツKTMワークス)の大躍進を皆に印づけた。
 

2018~2019年 Moto2クラスで強豪の地位を保つ

2018年ブラッドは引き続きアジョ・モータースポーツKTMワークス)に所属しており、チームメイトミゲール・オリヴェイラだった。

ミゲール・オリヴェイラチャンピオン争いを繰り広げる中、Moto2クラス2年ブラッドも成績を上向かせており、非常に順調なシーズンとなった。ドイツGPとアラゴンGPとオーストラリアGPで優勝して、年間3勝、ランキング3位である。


2019年はいよいよブラッドMoto2クラス役となるかと思われたが、この年はKTMの方がイマイチの出だしとなった。2019年からMoto2クラストライアンフエンジンを使うことになったが、このエンジンKTM製シャーシの相性が今ひとつ悪く、チャタリング(微振動)が頻繁に起きて非常に乗りにくいマシンになっていた。このため、第7戦カタルーニャGPまで表台なしという、不振としかいいようのない状況になっている。

これに対してKTMは次々と新シャーシを投入し、ブラッドもシャーシのテストを懸命にこなした(記事exit)。その甲斐あって、第8戦オランダGPから成績が上向き始め、尻上がりに成績が伸びていった。

2019年の成績は以下の通り。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
12 6 re 5 4 15 11 2 2 re 1 3 6 1 2 12 1 1 1


KTMの頑りというものが伝わってくる成績表と言える。最終的に、チャンピオンとのポイント差たった3だけのランキング2位になった。

ブラッドは終盤3戦で3連勝を飾った。これはライダーにとって非常に価値が高い。シーズン終盤というのは各チームマシン理解度が上がり、各ライダーの運転技術やレース勘もピークに達し、レースレベルが上がっているものである。成長していくライダーを見つけるにはシーズン終盤の成績を見ればいいのだが、そこから考えてもブラッドは成長する可性を秘めたライダーだと言える。
  

2020年 最大排気量クラスに移る

2020年は最大排気量クラスに移り、なんといきなりKTMワークスに入ることになった。

もともと、2019年7月に「2020年にTech3に移籍する」と発表されていた(記事exit)。ところがなんと、KTMワークス所属のヨハン・ザルコが、チームと合意した上で2020年分の契約を解除してしまう(記事exit)。

KTMワークスはかなり時間を掛けてヨハンの後任を探した。ジャック・ミラーを掛けたり(記事exit)、ダニ・ペドロサを掛けたり(記事exit)、ミカ・カリオを検討したり(記事exit)、と時間がかかった。そして、ブラッド・ビンダーを起用するというもが驚く選択をした。
  

ライディングスタイル

かなりしく攻めるタイプで、ブレーキングが非常にハードである。

レミーガードナーが「ブラッド・ビンダーは悪魔のようにブレーキングしていました。彼がどうやってマシンを止めているのか、さっぱり分かりません」とコメントしている(記事exit)。

ブラッド自身も「の最も強みとする分野はブレーキングです」と発言している(動画exit)。

この動画exitの、オレンジ色の軌跡を通って走るライダーだと考えておいて良さそうである。


アグレッシブなパッシングを強引に行う姿がしばしば見られる。この動画exitは、わずかながら接触しているようであり、なかなかアグレッシブなところがある。他のライダーにとっては非常にやりづらいライダーだと言える。

マルセル・シュロッターが「ブラッド・ビンダーのしでかしたことは信じられません。彼は極めて強引に走り、接触しつつ他のライダーを抜いていて、他のライダーレースを破壊していました。・・・レース運営者がこのことをちゃんと監視することを希望します」とったことがある(記事exit)。


インタビューなどにおいては、ブラッド・ビンダーはいかにもと言った感じの優等生・好青年なのだが、サーキットに入ってヘルメットシールドを閉めると、暴れん坊になるというわけである。


リアタイヤをズルッと滑らせるのが好みで、カウンターステアになることが多い。2019年からMoto2クラストライアンフエンジンになり、リアタイヤを滑らせにくいマシンになったのだが、ブラッド・ビンダーはそのマシンでもリアタイヤをズリズリと滑らせていた。他のライダーよりもリアタイヤのスライド量が多いがしばしば見られた。

この動画exit2018年日本GPの1コーナーで、この動画exit2019年マレーシアGPの1コーナーである。どちらも、相当なカウンターステアになっている。
 

トレーニング

モトクロス凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)、ダートトラック坦な土の路面を滑りながら走る競技)、スーパーモタード坦な土の路面とアスファルト路面を同じバイクで走る競技)、トライアル(岩などの障害物をバイクでよじ登る競技)といったバイクに乗るトレーニングをしている姿が多く見られる(画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit画像6exit画像7exit画像8exit画像9exit画像10exit画像11exit画像12exit画像13exit)。

自転車も大好きで、多く画像が上がっている(画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit

この画像exitは、ホアン・オリヴェと100km自転車競走に参加した時のもの。2019年のホアン・オリヴェはMarcVDSチーム監督を務めているが、それ以前はアジョ・モータースポーツライダーコーチをしていて、同チーム所属のブラッドしい。

スペイン南部アリカンテ州の海岸沿いに住んでいるので、マリンスポーツが好き。高いところから飛び込む画像もいくつか上がっている(画像1exit画像2exit)。

SNSではあまりスキーの画像が上がっていないが、この記事exitでは「スキーも好みのトレーニングです」とっている。

ジムにも通っていて、懸垂トランポリンの画像が上がっている(画像1exit画像2exit)。
  

家族・彼女・弟・マネージャー

両親

ブラッド父親トレヴァー・ビンダー(Trevor Binder)exitで、母親シャロン・ビンダー(Sharon Binder)である。

トレヴァーはレース好きで、ブラッドやそののダリンが生まれた後にバイクレースを始めた。普通バイクレースを始めるのは10代後半とかその程度である。結婚して子どもができた後にレースを始めたトレヴァーは非常にしいタイプの人だと言える。

トレヴァーは、2スト250cc4スト600cc4スト1000ccバイクに跨がってレースをしていた。どうやら仕事で忙しかったのだろう、レースのための練習などはほとんどせず、いきなりレースに臨んでいた。

トレヴァーはブラッドと組んで一緒にレースをした事がある。ブラッド子ども同士で50ccバイクに乗って20分間レースして、トレヴァーは大人同士で20分間レースして、合計成績で表するというものである。ブラッドが3位になって「トロフィーをもらえる!」と思っていたらトレヴァーが4位になってトロフィーをもらえなかったという。ブラッド5歳か6歳の時の話で、ブラッドにとっては生まれて初めてのバイクレースだった。

そんなトレヴァーの仕事は、採鉱(miningである。ビンダー一家が住んでいたカールトンヴィルexitという土地には鉱山がいくつもあるのだが、そので採鉱の仕事をしていた。ブラッドが11歳になる2006年頃になると、ビンダー一家クルーガーズドープexitという町へ引っ越したのだが、この土地にも鉱山が多く存在する。

カールトヴィルクルーガーズドープはの鉱山で有名だが、それ以外の鉱物も眠っている。マンガンアスベスト石灰など。

採鉱の仕事で手堅く利益を得ていたトレヴァーは、その稼ぎを一杯ブラッドやそののダリンに投資していた。トレヴァーが息子2人に費やしたお金は、うんざりするほど(sickeningの額に達した。

2016年の第14戦アラゴンGPでブラッドMoto3クラスチャンピオンを確定させたのだが、そのとき両サーキットに来ていた(画像1exit画像2exit画像3exit

この動画exitでは両インタビュアーが訪問し、両紹介している。



※この項の資料・・・記事1exit記事2exit
 

彼女

ブラッドには彼女がいて、コートニー・レニアーズexitという。Instagramのアカウントがあるexit

1994年4月25日生まれ(画像1exit画像2exit)、南アフリカ共和国モデルをしている。

2019年11月MotoGP年間表式にも、ブラッドの両とともに参加している(画像exit)。


コートニーにはがいて、名前アスティンという。2016年3月にWarren Michael Piperという人と結婚して(画像1exit画像2exit画像3exit)、2019年5月Capriという出産している(画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit
 

弟 ダリン・ビンダー

ブラッドダリン・ビンダー(Darryn Binder)exitで、2020年MotoGPMoto3クラスを走ることが決まっている。

1998年1月21日生まれ。ブラッドよりも2年5ヶ年下。

TwitterexitInstagramexitFacebookexitアカウントがある。英語版Wikipedia記事exitあり。好みのゼッケンのゼッケンよりも1少ない40番。

と同じような経歴でMotoGPにやってきた。ブラッドとの関係は非常に良好で、一緒にトレーニングする画像が多くSNSに上がっている。


かなり危険な暴れん坊で他ライダーとの接触を全く怖がらない。ブラッドもけっこうな暴れん坊だが、ダリンをさらに上回る。G+のMoto3クラス解説を務める坂田和人さんが「自分がこの中でレースをしているのなら、ダリン・ビンダーのそばを走りたくない。巻き添えを食う可性が高い(2019年アメリカGPMoto3クラス決勝)」と発言するほどのライダーである。

リン・ビンダーの走りを徴する動画と言えばこちらexitとなる。チャンピオン争いっ最中のアロン・カネットに思い切り接触し、アロンばかりでなくさらに追加で2人を巻き込み、自分は転倒せず走り去っていった。

リン・ビンダーのには「遠慮する、引く」という思考が刻み込まれていないのか、決勝レースで「引く」という行為を選ばない傾向があり、体当たりのヒットマンと化すことが多い。

射撃場で銃をぶっ放す動画があるexit画像の右端の>マークを押すと動画ページになる)。上記の接触動画を見た後にこの射撃動画を見ると、なにかもうイメージそのままとしか言えないだろう。

コースの中では接触上等の殺し屋なのだがコースの外になると満面の笑みを振りまくナイスガイ変身する例は多い。マルコ・シモンチェリexitはまさしくそのタイプだったが、ダリン・ビンダーもその仲間である(画像1exit画像2exit画像3exit
  

マネージャー

2014年まではマネージャーを雇っておらず、自分だけで営業をしていた。2014年の途中から、ワッサーマンexitボブムーアマネージャーとして雇った。ワッサーマンアメリカ合衆国スポーツ選手向けマネージメント企業で、英語圏のMotoGPライダー契約交渉を委託することが多い。

ワッサーマンボブムーアについては、カル・クラッチローの記事の「友人アシスタントマネージャー」の項にも詳細記述がある。
 

生活の拠点

南アフリカ共和国のクルーガーズドープ

南アフリカ共和国クルーガーズドープexitに両があるので、ブラッドはそこにしばしば帰省している。ヨーロッパから南アフリカ共和国に移動する際は時差があまり発生しないので、移動しやすい。

クルーガーズドープはヨハネスブルグ地から西に少し離れた郊外で、空港からも近い。

どういうかというと、外観はこんな感じexitで、結構大きいプールexitがあるである。

鳥を飼っているexit。また、雹(ひょう hail)が降ったこともあるexitヨハネスブルグ周辺はが降る事で有名である(検索1exit検索2exit)。



クルーガーズドープ地から西に離れたこのあたりexitには、クルーガーズドープ動物保護区(Krugersdorp Game Reserveという地区がある。その地区は1500ヘクタールの広さ(東京ドーム320個分)である。都市近郊にもかかわらずライオンキリンサイシマウマなどの野生動物が生息しており、手軽にサファリ体験ができる。日本旅行会社もクルーガーズドープ動物保護区を回るツアー計画を多く組んでいる(検索exit)。Youtubeにも動画が多く上がっている(検索exit)。

ブラッドもしばしばクルーガーズドープ動物保護区で自転車トレーニングしているようで、シマウマに遭遇するなどしている(画像1exit画像2exit
 

スペイン南部のアリカンテ州

スペイン南部アリカンテ州のモライラexitに拠点を持っている。ここはバレンシアよりも南で、一番寒い最低気温が6.0度である。鹿児島市の一番寒い最低気温は4.6度なので、鹿児島市よりも暖かい。避寒地としてぴったりで、高級リゾート地になっている。

ライラに住み始めたのは2011年で、ブラッド16歳のことである。SNSにも「から遠く離れた」「第二の故郷」というコメントが付いている(画像1exit画像2exit


Morairaというタグを付けてこの画像exitを上げている。多分、モライラから西に離れたこのあたりexit自転車で走ったときの画像だろう。

ライラのすぐそばのベニタチェルexitという場所で自転車トレーニングする動画が上がっている(動画exit)。

2019年5月の記事では「アリカンテ州のハヴェアexitに住んでいる」と報道されている(記事exit)。ハヴェアは、モライラから北に10kmほど離れたである。
 

UAEのドバイ

中東の産UAEアラブ首長国連邦)のドバイexitにも拠点を持っていると報道されている(記事1exit記事2exit

ブラッドがときおり書いているレッドブルブログにも「ドバイに数日滞在」という文章が見られる。(記事1exit記事2exit

Facebookにも「ドバイのイベントに出現exit」という書き込みがある。
 

その他の雑記

ヘビが嫌い(記事exit)。

新しいレーシングスーツを着たときに、わざと地面に転がる儀式をしている動画がある(動画exit)。この儀式は、かつてコーリン・エドワーズも行っていた。コーリンの日本語版Wikipedia記事exitに記述がある。

カル・クラッチローや、カルの親父デレク・クラッチローとは顔見知り。この写真exitで、デレクと一緒に映っている。

インタビューにおいての口You know(ユーノー)。「皆さんご存じでしょうが・・・」という意味(動画1exit動画2exit動画3exit)。

2016年オーストラリアGPの事前イベントジャック・ミラーマルク・マルケスとともにクリケットをしている(画像1exit画像2exit)。クリケット英語圏の人たちにとって必修の遊び。

2018年ドイツGPの事前イベントでは鉱山に行っている(画像1exit画像2exit)。ブラッド父親が採鉱関連の仕事をしているので招待されたのだろうか。

子どもの頃の写真がいくつか上がっている(画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit画像6exit画像7exit画像8exit)。
 

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ブラッド・ビンダー

1 ななしのよっしん
2020/08/09(日) 21:55:42 ID: Ofov0iEty2
最高峰初優勝おめでとう!!!
検索してみたらまさか記事があったとはw
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2 ななしのよっしん
2020/08/09(日) 23:11:55 ID: 17f8G8ro+z
>>1
>検索してみたらまさか記事があったとはw
この2,3年むちゃくちゃ詳しい人が編集者として活動してくれてるんで、おそらくオンライン百科事典ではニコニコ大百科MotoGPについて一番詳しくなってる。Wikipediaの方は日本語版がここ数年更新が止まってるのもあるしね。

それにしても、KTMワークス2020年のうちに勝つなんてだれも思わなかったろうな。
それもMotoGPクラスルーキーのビンダーが遂げるとは。
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