ブリティッシュ・レイランドとは、かつて英国に存在したrubbish自動車製造会社である。
概要
時は1968年、当時英国最大級の自動車メーカー「ブリティッシュ・モーター・ホールディングス(BMH)」と1896年から続く老舗メーカー「レイランド・モータース」の合併によって誕生。
英国の主な車メーカー(ローバー、ジャガー、デイムラー、MG、オースチンなどなど)が大集合した一大グループであったが、業績悪化により国有化されたことで英国面どころか暗黒面に落っこちた。黒歴史とも言えるブリティッシュ・レイランドの誕生である。
その後、車も作らずせっせと焚き火ばかりしてたら予想通り英国ごとオワコンになってしまい、栄えある英国の車産業は一時的にせよ完全消滅してしまった。車にあまり詳しくない人に代表的なイギリス車を聞いても、
みたいなリアクションしか帰ってこないのは十中八九こいつらの責任である。rubbish!
具体的にどれほどひどいかというと、走行中にパーツがボロボロ落っこちる、パネルとパネルの間に指でなく腕が入るほどの隙間がある、雨漏りが日常茶飯事、サビに極端に弱い、正面から見た時に左右の長さが違うなど工業製品として欠陥品を通り越した何かというレベルだったそうな。
なお、TopGearでももしかしたら運良く怠惰の網を潜り抜けたマトモなクルマがあったのでは?と司会者3人が1200ポンドの自腹を切って検証したのだが・・・
なお、1981年からローバーブランドに移行後の1994年まで、本田技研工業(ホンダ)と技術資本提携を結んでおり、バラード、レジェンド、コンチェルト、ドマーニなどの車種がエクステリアの一部を変えてBL→ローバーブランドで発売されている。
余談ではあるが、ここに所属していたブランド(メーカー)は現在全てBMWやタタ・モーターズなどの海外メーカーの傘下またはブランドとなっており、英国の自動車メーカーのなかで今も独立してやっているのはマクラーレンやノーブルなどの少数生産のスーパーカーメーカーくらいである。
経営が行き詰まった原因
ブリティッシュ・レイランドの経営が行き詰まり、ひいてはイギリスの自動車産業どころか重工業が存亡の危機に陥った原因は、概ね以下の4つに集約される。
無闇矢鱈に合併しまくった
合併を繰り返した事で、別件で経営悪化していたロールス・ロイスなど一部を除き、英国中の殆どのメーカーが一つの屋号に集まった。つまり何かの拍子で経営が行き詰まると、集まったメーカー全てが一蓮托生でピンチになる。というか実際なった。
企業の合併自体はベースの経営体力を大きくする、また共通設計・開発を行っていく事で合理的にコストを減らしていくといった利点があるが、ブリティッシュ・レイランドの場合そういった利点は全くなかった。ただ単に寄って集まって会社がでかくなっただけだったため、ジャガーをはじめ合併前より品質が下がるブランドもあったのである。
ロクに投資しなかった
時は1970年代、主な輸出先のアメリカでは排ガス・安全に関する規制が強化されていき、ドイツやフランスやイタリアなど既存のライバルに加えて日本車も台頭しだした時代。本来であれば投資して新技術を手に入れたり、生産設備を更新して品質と生産性を向上させたり、従業員を教育したりして、動力性能や環境性能の向上した車をより高効率・高品質で生産できるように努めるべきである。だがそういったことに全然投資しなかったことで品質や生産性は悪化し、技術で完全に置いてきぼりを食らった影響がグループ全体に及んだ。
政府の救済策がカスだった
経営が悪化した時に国有化すること自体は悪くはない。国有化した上で政府が信用を担保し、有利子負債を整理、投資資金を調達し(これは政府の貸付でも可)、経営再建を行っていくのであれば。
だが社会主義政策を推し進めようとしていた労働党政権にそのような発想はなかった。有利子負債の整理や投資をして経営再建とか、そんな唾棄すべきブルジョワの発想は思いつきもしなかった。一応政府もただ見ているだけではなく、110億ポンド(1970年代の1ポンド=約400~800円)もの巨額の公金を投入したものの、やったのはせいぜい雇用を守る事、つまり車を作ろうがサボろうがとにかくクビにしない、ただそれだけだったのである。
労働者が度々ストライキした
ただでさえ品質も生産性も低下しているのに、さらに労働者がストを頻発させたら状況はより悪化する。彼らは労働党政権だから自分たちをクビにしないだろうとタカを括り、労働条件の改善と雇用の維持を求めてストライキを頻発させ、結果として自分たちの会社の首を締めてしまった。
経営者、労働者、政府の全員が選択を間違うとこうなってしまう、という典型であろう。
マーガレット・サッチャー首相の登場
ブリティッシュ・レイランドと同じような状況が製鋼、造船、鉄道など重工業の様々な分野に及び、国の産業全体が二進も三進もいかなくなっていた。これが所謂イギリス病である。
そうした情勢下の1979年。政権交代で保守党政権が誕生し、マーガレット・サッチャーが首相に就任した。彼女が最初に行ったのは上記の産業の民営化、要は政府が持っている株式を売却し、関係企業を純民営に戻すことである。本来は経営再建後に売却するのが筋だが、いずれの業界もとっくの昔に死んだも同然だったので、サッチャーは経営再建を民間企業にゆだねる事にした。ブリティッシュ・レイランドも同様で、各ブランドは海外メーカーの傘下に入る、或いは資本提携や業務提携を行い、別々の道を歩んでいく事になる。
サッチャーのこの政策判断については今でも毀誉褒貶が激しい。新自由主義政策で国をぶっ壊したという意見もあれば、あの時点では当然の判断であったという意見もある。ではブリティッシュ・レイランドの場合はどうだったのだろうか?
一つはっきり言えるのは、サッチャーの就任前にブリティッシュ・レイランドはもう死に体だったということである。
我々が学べる事
この壮大なオウンゴールから学べる事は多々ある。
- 合併や提携は、利点と欠点を良く考えて行う
- ちゃんと投資を行う
- 組合活動は程ほどに
- 国は経済活動が活性化する環境整備に勤しみ、個別の救済を行う際には経営再建に留意する
- 雇用環境の改善と、雇用維持に腐心して経営を怠ることを履き違えない(経営が悪いと、結局は雇用が危機に陥る)
といったものが代表的だろうか。
もう一つ重要な事を述べておくと、ブリティッシュ・レイランドに起きた事は運命でもなんでもなく、ただ単に当時のイギリスで関係する全ての人間が判断を誤っただけということ。現に、他のヨーロッパ諸国ではイギリスのようなことは起きていない。今現在経営が悪くなっている自動車メーカーもあるが、少なくともブリティッシュ・レイランドよりは長生きしている。
実は巷の一部では「大規模産業は先発国から後発国に移行するもの」という、ある種の運命論が唱えられ、1970年代のイギリスと日本の自動車産業が例として挙げられるのも少なくない(そして日本滅亡論に繋げる)。だがこれは間違いなのである。これまでの内容を読んでもらえれば分かるが、あんなことやったら先だろうが後だろうが関係なく企業は終わってしまう。
例えば発展途上国で開発独裁の形で何らかの産業が勃興している場合。少なくとも投資を行って設備を更新したり、従業員の教育を行っている。それによって単に製品を生産するだけではなく、効率化・高品質化も行っているわけだ。もし経営陣が投資をロクにせず、政府が雇用の維持「のみ」に腐心していたらどうなるだろうか?先進国の同業社に追いつくことができるだろうか?。当然、そんなことはない。
ブリティッシュ・レイランドは先とか後とか関係なく、全ての国々の資本家、経営者、労働者、政府にとっての反面教師なのである。
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関連項目
- 英国面
- Topgear
- モーリス・マリーナ
- 共産主義
- ジャパンディスプレイ
- オースチン(フルラインブランド)
- モーリス(大衆車及び中級車ブランド)
- MG(小~中型乗用車及びスポーツブランド)
- トライアンフ(同上)
- ローバー(中~上級車ブランド)
- ジャガー(高級車及び大型スポーツブランド)
- デイムラー(最高級ブランド)
- バンデン・プラ(高級車ブランド)
- ランドローバー(4WD部門)
- レイランド(商用車部門)
- グループB(MG・メトロを魔改造したメトロ6R4を製造、実際に参戦した)
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