プトレマイオス由来の名前
プトレマイオス(古希: Πτολεμαῖος)とは、古代ギリシア(マケドニア)に見られる男性名である。戦争という意味のポレモス(πόλεμος)の、叙事詩における優雅な表現(雅語)のひとつプトレモス(πτόλεμος)に形容詞語尾~アイオス(-αῖος)が付いたもので、「いくさの(強者)」といった意味。
アルファベットでは Ptolemaios (ギリシア語準拠)あるいは Ptolemaeus (ラテン語準拠)。日本では特に学者のクラウディオス・プトレマイオスを指して英語読みのトレミー(Ptolemy)が使われる事も多い。
なお現代ギリシア語ではプトレマイザ(Πτολεμαΐδα)で、これは中世ギリシア型のプトレマーイス(Πτολεμαΐς)に由来する。またヘブライ語・アラム語の男性名タルマイ(תלמי, Talmay, 「耕して畝を作った(畑を持つもの=農夫)」を意味し、男性名バーソロミューの語源でもある)は、音の類似性から後世になってプトレマイオスも指すようになった。
曖昧さ回避
- プトレマイオス朝 - 後述するプトレマイオス1世が建てた古代エジプト最後の王朝(BC305~BC30年)。エジプトと言っても支配者はギリシャ系のマケドニア人で所謂ヘレニズム諸国の一つ。古代ローマに滅ぼされた。美女として有名な女王クレオパトラ(7世)はこの王朝。
王(ファラオ)は同名の人物が15世まで存在するが、これは王名が男性はプトレマイオスのみの固定であったためで、女性もクレオパトラー(7世まで。しかし5世と6世は同一人物とする説もあり)かアルシノエー(4世まで)かベレニケー(4世まで)の3パターンしか無い。
そうしたプトレマイオスのうち、特に有名な人物を以下に記す。- プトレマイオス1世 - マケドニア出身。プトレマイオス朝創始者。アレキサンダー大王の部下としてアケメネス朝との戦争などに従軍。大王の死後はディアドコイ(後継者)の一人としてディアドコイ戦争を戦い、エジプトでファラオになった。アレキサンドリア図書館や王立研究所を作ったことでも知られる。
- プトレマイオス2世 - 現存する旧約聖書の最古の原本を編纂させ、領土を拡張した。
- プトレマイオス3世 - シリア戦争に勝利しプトレマイオス朝最盛期を築いた。恩恵王と言われる。
- プトレマイオス4世 - シリアには引き続き勝利したが大酒飲みで弟を奸臣の言いなりになって殺害するなど王朝の衰退を招いた。
- プトレマイオス5世 - 有名なロゼッタストーンを作らせた人。シリアに敗北し王朝の衰退を招いた。自称顕現神王というなかなか厨二な称号を持つ。
- プトレマイオス8世‐通称フュスコン(太鼓腹)。プトレマイオス7世をはじめ多数の親族を殺した外道でかつぐうたらな王だったので嫌われていたと言われている。
- プトレマイオス10世-別名はアレクサンドロス1世なのに皮肉なことにアレキサンドリアにあったアレクサンドロス大王の墓を略奪し、それに怒った市民に殺害された。
- プトレマイオス11世‐年上は嫌いだったのか結婚した相手を殺害し、それに怒ったアレキサンドリア市民の暴動で殺害された。
- プトレマイオス13世 - クレオパトラ7世の弟。クレオパトラと対立し争うがローマの支援を得たクレオパトラにナイルの戦いで敗れ、ナイル川に叩き込まれ溺死した。
- プトレマイオス14世 - クレオパトラ7世の弟。プトレマイオス13世が死亡したのち、クレオパトラの共同統治者となった。
- プトレマイオス15世 - 別名カエサリオン。クレオパトラ7世とカエサルの子ども。カエサルの後継者争いを恐れたオクタヴィアヌスに殺害された。古代エジプトのラストエンペラー。
- クラウディオス・プトレマイオス - 2世紀にエジプトで活躍したギリシア系の学者。天文学書『アルマゲスト』を筆頭に様々な学問分野で著作を残し、各学問分野やキリスト教など後世への影響は多大である。
関連項目
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