プレートテクトニクスとは、地球科学の学説である。
概要
簡単に言えば、地球の表面はマグマの上に浮かぶプレートと呼ばれる岩盤で出来ており、そのプレートが動いて、プレート同士が衝突したり離れたりすることで大地が出来たり、地震が起こったりするという説である。1960年代ごろから提唱され現在では定説となっている。
なお、太陽系でプレートテクトニクスが見られるのは地球だけであり、なぜプレート運動が始まったのかという大きな謎がある。
日本の地質学会での反応
それまでは、なぜ大地が出来たかという疑問には地向斜造山論が唱えられてきた。
これは、平たく言えば、海底に砂が溜まっていきそれが何らかの力で盛り上がって大地が出来るという理論であるが、その「何らかの力」とは何なのかが説明できなかったのに対し、プレートテクトニクスは前述のような謎があるものの、大地が出来るプロセスを合理的に説明できることや、プレートが存在する証拠も次々と出てきたことから、70年代には次々と世界の地質学の分野ではプレートテクトニクスを受け入れだした。だが、日本は違った。
なぜなら、日本の地質学会は共産主義者に支配されていたからである。と書くと「何を言ってるんだ?」と思われるかも知れないが事実なのである。
というのも、地向斜造山論はソ連の地質学者が中心になって発展させた理論であり、プレートテクトニクスは西側の学者が中心になって発達させた理論であり、さらにプレートテクトニクスを裏付ける海底調査もアメリカ海軍の原子力潜水艦が海底地図を作るに当たって協力した事情もあって、どんなに証拠を突きつけられても拒絶し続けたのである。
しかし、プレートテクトニクスは子供でも理解できる平易かつ斬新な学説であったことから小松左京が『日本沈没』(1973年)でプレートテクトニクスを取り入れると、『ドラえもん』でもプレートテクトニクスを下敷きにしたエピソードが描かれ、1973年より高校地学の学習指導要領ではプレートテクトニクスが教えられるなど、80年代にはすでにプレートテクトニクスは一般常識の範囲になりつつあった。だが、日本の地質学会は違った。
結局、日本の地質学会がようやくプレートテクトニクスを受け入れだしたのは80年代後半とも、ソ連が崩壊した後とも言われている。
この事実は、イデオロギーが学説を捻じ曲げた日本のアカデミアにのこる恥部であると言っても過言では無い。
関連項目
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