プロットアーマー(plot armor)とは、主要キャラクターが窮地に陥っても不自然に助かる展開を揶揄した言葉である。
概要
いわゆるご都合主義の批判のひとつとして、「死ぬのが自然な状況を不自然にも死なずに切り抜けた」時に揶揄のために用いられるフレーズ。生命的な意味での死以外にも、社会的、精神的、能力的、出番的など多くの意味に応用される。プロトアーマーのことではない。
「プロット」とは「話の筋書き」である。よって「プロットアーマー」を日本語に直訳すれば「話の筋の鎧」であり、「致死性のダメージを受けても、話の筋の都合でリアリティを無視してダメージを無効化してくれる見えない鎧」といった意味合いの言葉となる。どんなに命知らずの無茶なことをやらかそうが何故か死ななかったり、圧倒的強者と戦って負けたのに何故か生還したり、銃弾の雨に晒されても何故か一発も被弾しなかったりする登場人物に対して、「あいつが死ななかったのはきっと作者が話の都合という名の見えない鎧を着せたからだ」とする皮肉である。
もちろん、生存に足る十分な理由が作中で示されている場合はこう呼ばれることは少なく、主に作者の都合など作品の外に理由がある(と思われる)場合において用いられるのが一般的。また、その性質上、登場人物がどんどん死んでいくタイプの作品において使用されることが多い。
プロットアーマーの対象は主人公だけに限らず、ヒロイン、ライバル、主人公の仲間、その他人気サブキャラクターなど、「この展開だと死ななければ不自然だが、プロットの都合上ここでは殺せないと思われる登場人物」全てである。このように主人公以外も対象となるため、いわゆる「主人公補正」という言葉とは少し範囲が異なる。また、「主人公補正」という言葉は窮地の不自然な回避だけではなく不自然に持ち上げられる展開なども意味するため、そういった意味でもプロットアーマーとは異なる範囲を示す言葉といえる。
(とはいえ、使用者によっては、上記のように「不自然に上手くいく」ことも含めて主人公補正全体をプロットアーマーと呼ぶ場合もある)
なお、このフレーズで揶揄される作品において、実際に作者本人が「話の筋の都合で作中のリアリティを無視した」と述懐していることを根拠にしているケースはまずない。ほぼ全てのケースが、作者の真の意図を知りようのない読者が「これは作者が自分の都合で作中のリアリティを捻じ曲げているに違いない」と推測し、確証のないまま述べられる憶測であり、つまり、その本質は邪推である。
論点
ある作品において、特定の登場人物だけが恣意的に優遇して扱われているように見える場合、そこに作者の意図を感じ、思わず邪推してしまうことはある程度仕方がない面もある。特に特定の登場人物のリアリティの線引きとそれ以外の登場人物のリアリティの線引きが大きく異なるように見えるならば、そのズレにある種の座りの悪さを感じてしまうことはごく自然なことである。
しかし、プロットの都合上、重要な役割を担う特定の登場人物を途中で退場させられないという状況はほぼ全ての創作において当たり前の前提であり、決して特定の作品だけに見られるものではない。主要登場人物、特に主人公を「今はそういう流れだから」という理由だけで考えなしに途中で退場させることは、その時限りの衝撃は与えられるだろうが、その後の展開を円滑に進めることが非常に困難になるのは想像に難くない。
およそ物語というものは登場人物の生死を描くことが目的ではなく、その生き様を通じて何らかのテーマを描くことを目的としており、登場人物の生死はそのテーマを描くための手段のひとつに過ぎない。登場人物の自然な死にこだわるあまり、テーマを描くことができなくなっては本末転倒だ。その意味において、登場人物の生死が作者の都合で左右されることはむしろ当然のことであり、それ自体が悪いわけではない。
つまりここで問題になるのは、「途中で登場人物を退場させられない」という作者の都合や、それが作品に反映されることそれ自体ではなく、助かった理由が語られていない、語っていてもそれに説得力がない、伏線が足りないという構成力の不足である。プロットアーマーという揶揄フレーズの根底にあるのは、「退場を回避させたい意図があるなら、助かっても不自然でなくなるだけの根拠を事前に積み上げるべきだ」「この展開には根拠が不足している」という主張であり、誰彼構わず殺せと主張しているわけではないことには注意が必要だ。もし単に誰彼構わず殺せとわめいているだけの場合は、遠慮なく無視してよい。
ただし、作中で発生する全ての事象に十分な根拠を提示することは実際のところ非常に困難であり、時には偶然助かった展開に持ち込むしかないこともある。あるいはテーマを語るためにあえて偶然助かった形にすることもあるだろう。それらまでいちいちプロットアーマーと揶揄するのはキリがない。それに、偶然が運命を左右する場合において、必ずしも死ぬのがリアルというわけでもない。重要なのは作者がどのような意図をもって(あるいは特段の意図なく)なぜそうしたのかを慎重に考慮することであって、偶然助かった=これはプロットアーマーだ、と脊椎反射的に断ずることは避けるべきである。
また、どこまでをリアリティのある展開と取り、どこからをご都合主義的展開と取るかはきわめて主観的な判断にならざるを得ず、当然、そこに共通認識のある厳密なラインなど存在しない。自分や賛同者にとってはご都合主義的な展開にしか見えなくても、他者が見れば無理のない自然な展開に見えるということは多々ある。
そのようにあやふやな主観を論拠に揶揄という名の攻撃を仕掛けることは容易に混乱と紛糾を招くため、あえて悪意を持って混乱をもたらしたい場合でもない限り、使用を推奨されるフレーズとは言いがたい。できればもっと穏やかな他の言葉で適切に言い換えることが望ましいだろう。
また、作中には十分な伏線が張られていたが、単に自分がそれを見逃していただけということも十分に考えられるため、その場合は素直に己の落ち度を認める度量が求められるところである。
使用上の注意
この言葉は「この作者には構成力がない」と批判しているに等しいため、特にファンコミュニティで用いる際には非常に気を遣う必要がある。
この手の揶揄フレーズの常として、仮に冗談であっても不快感を示す人間も少なくないため、決して軽々と使用してはいけない。もし何も考えず気軽に用いようものならば、その作品及びファンに喧嘩を売っていると解釈されても仕方がないことを肝に銘じよう。
発祥
いつ頃に生まれた表現であるのかははっきりしない。カタカナ表記よりも英語表記の方が先に存在していたようであり、英語圏で生まれた俗語かと考えられる。スラングに関するクラウド辞書サイト「Urban Dictionary」にも「plot armor」のページ
が存在するが、2016年8月3日現在のところ、この言葉の発祥については同ページで語られていない。おそらく創作物のファンコミュニティなどで自然発生したものと思われ、明確な起源を探るのは困難である。
Google検索を使用して探ってみた範囲では、現在残っている最古の使用例は2006年4月24日に英語圏の創作系サイト「deviantart」に投稿されたコメントのようだ。そこでは「Love the plot armor thing btw」と記されており、plot armorという言葉が既によく知られた言葉であるかのように説明なしで使われている。よって、この投稿が最初の使用例であったと言うより、これより古い使用例(ウェブサイトやインターネット掲示板のログ)が年月の経過によって検索に引っかからなくなってしまっただけという可能性が高い。
カタカナ表記「プロットアーマー」で探して見つかる現存する最古の使用例は、2012年3月に個人のTwitterアカウント上で「プロットアーマーが無いモブは悲惨すぎ…」とツイートされたもののようだ。ただし非公開ツイートや削除済みのツイートは検索に引っかからないため、あくまで「現存する中では最古」というだけである。
関連項目
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