プロ野球監督とは、日本のプロ野球球団における指揮統率を行う役職のことであり、一般的に一軍監督を指す。
この項目では日本野球機構(NPB)傘下のリーグの記載を主とする。
概要
野球チームとしての球団のトップに立つ人物であり、チームを勝利に導くことが最大の仕事。つまり、チームの成績や選手管理について一番大きな責任を負う人物である。そのためマスメディアへの露出もスター選手と同じぐらい、あるいはそれ以上に多く、球団の顔としての役割も担う。ドラフト会議で指名した選手や、FA宣言した選手との交渉に出馬することも多い。
とはいえ、会社組織としての球団フロントのトップには球団オーナーや球団社長がおり、プロ野球監督は基本的にフロントと契約を結んで雇われた、雇われ監督である(球団取締役を兼ねたダイエー時代の根本陸夫のような例もあるが)。なのでフロントの満足のいく結果を残せなければ契約は延長されず退任となる。だいたい3年~5年で次の監督に交替するのが一般的で、連続して6年以上務めればフロントからの信頼も厚い長期政権と言える。
なお、プロ野球ではシーズン途中で監督が解任され、完全に新しい監督に交替することはほぼない。極端な成績不振で事実上解任される場合でも、「休養」という形で現場を離れ、シーズン終了をもって正式に辞任という形になることが多い。そのようにシーズンの途中で成績不振や体調不良などにより監督が休養した場合は、ヘッドコーチなどが一軍監督代行として残りのシーズンの指揮を執る。監督代行が結果を残した場合や他に監督のなり手が見つからない場合などは、代行がそのまま翌年から正式な一軍監督に就任することも多い。
ひとくちに監督と言っても、その権限は球団の方針や監督自身の人望・人脈などによって異なる。監督の意思でフロントさえ動かせる強権を持った監督もいれば、逆に采配や選手起用までフロントに指示を受ける権限の弱い監督もいるが、実際のところ監督がどの程度の権限を持っているのかを外部からうかがい知るのは難しく、ファンは関係者の証言から類推するしかない。
主な仕事としては、開幕前にはキャンプやオープン戦で今シーズンの戦力を把握し、シーズンの戦い方の基本方針を立てる。開幕後は試合ごとに、試合前には練習を見て選手の調子を判断し、その日の試合の打順や選手の起用方針を決め、コーチとともにその試合での作戦を練り、選手に伝達する。試合中はベンチに座り、ヘッドコーチなどと相談しつつ選手に作戦指示を送り、また代打、代走、投手交代などを審判に告げる役目を担う。自軍の守備時は、重要な場面では投手コーチがマウンドに向かって指示を伝えるが、コーチでなく監督が立ち上がると一般的には投手交代を意味する。また、審判の判定に異議がある場合にはリクエスト(ビデオ判定)を要求する。試合後にはマスコミに対し、その日の試合について会見をするのが通例。試合の合間には調子の悪い選手に二軍落ちを通告したり、二軍の首脳陣と連絡を取り合って一軍に昇格させる選手を決めるなど、決められた一軍登録枠内の選手運用を考えるのも大事な仕事。シーズンが終わると秋季キャンプで若手を鍛えたり、前述の通りドラフト会議で引き当てた選手やFA選手の交渉に出馬したりする。
プロ野球にはサッカーのような指導者ライセンス制度がないため、一軍監督になるのに特に必要な資格はない。球団の顔という役割があるため、引退したスター選手が解説者として一旦外部から野球を見たり、何年か球団でコーチ経験をするなどを経て一軍監督になるコースが一般的。中には引退即一軍監督という例も。毎年シーズンの終盤からオフにかけては、どこかの球団で新監督人事の話題が盛りあがる。
読売ジャイアンツは、一軍監督については生え抜き純血主義をとっている。他球団でも、強いリーダーシップを持った人望厚い選手などは、現役のうちから将来の監督候補と見なされる。もちろん、名選手=名監督とは限らないわけだが……。
退任した監督は、球団フロント入りするか、退団して解説者などになる。監督やコーチとして実績のある人物は、他球団に請われて再び監督を務めたり、他球団のコーチになる場合も多い。
チームの勝敗の責任を負う立場ゆえ、勝てないときは批判の矢面に立たされることもあり、肉体的にも精神的にも非常に負担が大きい仕事である。長期政権を務める監督が少ないのは、この負担の大きさも一因だろう。低迷している球団では短期間で監督がコロコロ変わることが多く、監督がじっくり腰を据えてチーム作りをできない体制が低迷の要因のひとつと言われることも多いが、長期政権になればなったで采配や選手起用の硬直化、選手と監督の間に馴れ合い関係が生まれて緊張感が失われるなどの弊害もよく言われる。
なお、二軍のチームには二軍を指揮する二軍監督がいる。読売ジャイアンツや福岡ソフトバンクホークスのような三軍のあるチームには三軍監督もいる。一軍監督候補が、監督経験を積むために二軍監督を務める例も結構多い。
在任中の監督(2024年シーズン)
セントラル・リーグ
チーム | 監督 | 就任年 |
---|---|---|
読売ジャイアンツ | 阿部慎之助 | 2024年(1年目) |
東京ヤクルトスワローズ | 高津臣吾 | 2020年(5年目) |
横浜DeNAベイスターズ | 三浦大輔 | 2021年(4年目) |
中日ドラゴンズ | 立浪和義 | 2022年(3年目) |
阪神タイガース | 岡田彰布 | 2023年(2年目)※通算では7年目 |
広島東洋カープ | 新井貴浩 | 2023年(2年目) |
パシフィック・リーグ
チーム | 監督 | 就任年 |
---|---|---|
北海道日本ハムファイターズ | 新庄剛志 | 2022年(3年目) |
東北楽天ゴールデンイーグルス | 今江敏晃 | 2024年(1年目) |
埼玉西武ライオンズ | 松井稼頭央 | 2023年(2年目) |
千葉ロッテマリーンズ | 吉井理人 | 2023年(2年目) |
オリックス・バファローズ | 中嶋聡 | 2020年(5年目)※2020年は代行 |
福岡ソフトバンクホークス | 小久保裕紀 | 2024年(1年目) |
日本一を経験した監督
プロ野球80年超の歴史の中で、日本一を手にした監督は2023年現在では36名。
※1936-1949年までの1リーグ時代の優勝監督も日本一としてカウントしている。
- 藤本定義 - 1936秋・1937春・1938秋・1939-1942年(巨人)
- 東京巨人軍初代監督。戦後には阪神の監督も務め、2度のリーグ優勝も。
- 石本秀一 - 1937秋・1938春(大阪)
- タイガースを初の優勝へと導いた。戦後は広島カープの初代監督に。
- 中島治康 - 1943年(巨人)
- 選手兼任監督として巨人軍の6連覇を達成。
- 若林忠志 - 1944年(阪神)
- 選手兼任監督としてチーム勝利の8割以上を稼ぎ、選手としても6年ぶりの優勝に貢献。
- 鶴岡一人 - 1946・1948・1959・1964年(南海)
- 復員直後に選手兼任監督に就任し、戦後初の優勝。以降20年以上監督を務めた。
- 三原脩 - 1949年(読売)、1956-1958年(西鉄)、1960年(大洋)
- 巨人の戦後初の優勝へと導く。その後は西鉄・大洋などの弱小球団の監督としてチームを育て上げた。
- 湯浅禎夫 - 1950年(毎日)
- 2リーグ分立後に開催された日本選手権シリーズにおける初優勝監督。
- 水原茂 - 1951-1953・1955年(読売)、1962年(東映)
- 1949年にシベリア抑留から帰還し、1950年に巨人復帰と共に監督就任し、4度の日本一を達成。
- 天知俊一 - 1954年(中日)
- 中日ドラゴンズの初の日本一を成し遂げた。戦後では唯一のプロ野球の選手経験がない日本一監督。
- 川上哲治 - 1961・1963・1965-1973年(読売)
- 巨人の第二次黄金期を築き、V9を達成した。日本一11回は最多記録。
- 金田正一 - 1974年(ロッテ)
- 巨人のV10を阻止した中日を破り、10年ぶりのパリーグ球団の日本一を成し遂げた。
- 上田利治 - 1975-1977年(阪急)
- 戦後では最年少となる38歳で日本一を成し遂げ、以降3連覇を達成。
- 広岡達朗 - 1978年(ヤクルト)、1982・1983年(西武)
- 厳しい選手管理を徹底させ、チーム戦力の底上げを実現。西武では森監督へと続く黄金時代を築く。
- 古葉竹識 - 1979-1980・1984年(広島)
- 山本浩二や衣笠祥雄などの生え抜き選手を擁し、2連覇を成し遂げた。
- 藤田元司 - 1981・1989年(読売)
- 長嶋・王などの人気選手がチームを去る中で指揮を執り、2度の日本一を達成。
- 吉田義男 - 1985年(阪神)
- 掛布・バース・岡田の主力打線が爆発し、戦後初の日本一を達成した。
- 森祇晶 - 1986-1988・1990-1992年(西武)
- 広岡監督の後任として西武黄金時代を引き継ぎ、8度のリーグ優勝と6度の日本一を成し遂げた。
- 野村克也 - 1993・1995・1997年(ヤクルト)
- データを駆使したID野球を展開し、低迷していたヤクルトを復活させた。
- 長嶋茂雄 - 1994・2000年(読売)
- 「ミスター」の愛称で親しまれる。松井秀喜を育て上げ、2度の日本一を達成。
- 仰木彬 - 1996年(オリックス)
- 「がんばろうKOBE」を合言葉に95年にリーグ優勝・96年には悲願の日本一。
- 権藤博 - 1998年(横浜)
- マシンガン打線を武器に38年ぶりの日本一を達成。
- 王貞治 - 1999・2003年(ダイエー)
- 南海時代から続いていた低迷期を脱し、35年ぶりの日本一。
- 若松勉 - 2001年(ヤクルト)
- 近鉄のいてまえ打線に打ち勝ち日本一を達成。
- 原辰徳 - 2002・2009・2012年(読売)
- 監督1年目で日本一を達成。その後、リーグ3連覇を2度成し遂げ、内2度日本一となった。
- 伊東勤 - 2004年(西武)
- 現役時代は西武黄金時代の司令塔として活躍。12年ぶりの日本一。
- ボビー・バレンタイン - 2005年(ロッテ)
- ペナント2位ながら、CS優勝・31年ぶりの日本一を達成。また外国人監督として初の日本一。
- トレイ・ヒルマン - 2006年(日本ハム)
- 新庄剛志・小笠原道大・ダルビッシュなどの選手を擁し、44年ぶりの日本一。
- 落合博満 - 2007年(中日)
- 日本一に縁のなかったチームを54年ぶりの日本一へ導いた。
- 渡辺久信 - 2008年(西武)
- 愛称は「ナベQ」。前任の伊東監督同様、1年目でリーグ優勝・日本一を達成した。
- 西村徳文 - 2010年(ロッテ)
- ペナント3位ながら日本シリーズへ進出し、中日を退けて最大の下剋上を達成した。
- 秋山幸二 - 2011年・2014年(ソフトバンク)
- 2011年シーズンは2位と17.5ゲーム差をつけ優勝。2年連続セリーグ王者・中日も退け日本一。
- 星野仙一 - 2013年(楽天)
- 優勝監督としては史上最年長となる66歳で日本一を達成。楽天初の優勝・日本一監督。
- 工藤公康 - 2015年・2017-2020年(ソフトバンク)
- 2015年はコーチ経験がなく、監督1年目ながらリーグ優勝・日本一。2017年からは4連覇を達成。
- 栗山英樹 - 2016年(日本ハム)
- 一時は首位と11.5ゲーム差を付けられるも、大逆転でリーグ優勝・日本一を達成。
- 高津臣吾 - 2021年(ヤクルト)
- 前年最下位のチームを6年ぶりの優勝へを導き、9年ぶりのセリーグ球団の日本一を成し遂げた。
- 中嶋聡 - 2022年(オリックス)
- 2年連続のマジック点灯なしでのリーグ制覇、26年ぶりの日本一を達成。
- 岡田彰布 - 2023年(阪神)
- 38年ぶり2回目の日本一を達成。
複数球団でリーグ優勝を経験した監督
3球団
- 三原脩 - 1949年(読売)、1954・1956-1958年(西鉄)、1960年(大洋)
- 西本幸雄 - 1960年(大毎)、1967-1969・1971・1972年(阪急)、1979・1980年(近鉄)
- 星野仙一 - 1988・1999年(中日)、2003年(阪神)、2013年(楽天)
2球団
- 藤本定義 - 1937春・1938秋・1939-1942年(巨人)、1962・1964年(阪神)
- 水原茂 - 1951-1953・1955-1959年(読売)、1962年(東映)
- 広岡達朗 - 1978年(ヤクルト)、1982・1983・1985年(西武)
- 野村克也 - 1973年(南海)、1992・1993・1995・1997年(ヤクルト)
- 仰木彬 - 1988年(近鉄)、1995・1996年(オリックス)
- 王貞治 - 1987年(読売)、1999・2000・2003年(ダイエー)
- 梨田昌孝 - 2001年(近鉄)、2009年(日本ハム)
新人監督としてリーグ優勝・日本一を経験した監督
太字は日本一を指す。2021年終了時点で18名。内、日本一を達成したのは10名。
- 湯浅禎夫 - 1950年(毎日)
- 西本幸雄 - 1960年(大毎)
- 川上哲治 - 1961年(巨人)
- 古葉竹識 - 1975年(広島)
- 藤田元司 - 1981年(巨人)
- 森祇晶 - 1986年(西武)
- 阿南準郎 - 1986年(広島)
- 権藤博 - 1998年(横浜)
- 原辰徳 - 2002年(読売)
- 伊原春樹 - 2002年(西武)
- 伊東勤 - 2004年(西武)
- 落合博満 - 2004年(中日)
- 渡辺久信 - 2008年(西武)
- 西村徳文 - 2010年(ロッテ)
- 栗山英樹 - 2012年(日本ハム)
- 工藤公康 - 2015年(ソフトバンク)
- 真中満 - 2015年(ヤクルト)
- 中嶋聡 - 2021年(オリックス)
連続6年以上の長期政権を務めた監督
太字は10年以上。6年目の途中で休養した場合は除く。
- 藤本定義 (巨人、1936年-1942年、7年)
- 鶴岡一人 (南海、1946年-1968年、23年)
- 藤本定義 (大映、1948年-1956年、9年)
- 水原茂 (巨人、1950年-1960年、11年)
- 白石勝巳 (広島、1953年-1960年、8年)
- 別当薫 (毎日・大毎、1954年-1959年、6年)
- 三原脩 (大洋、1960年-1967年、8年)
- 水原茂 (東映、1961年-1967年、7年)
- 川上哲治 (巨人、1961年-1974年、14年)
- 西本幸雄 (阪急、1963年-1973年、11年)
- 野村克也 (南海、1970年-1977年途中、8年)
- 与那嶺要 (中日、1972年-1977年、6年)
- 金田正一 (ロッテ、1973年-1978年、6年)
- 西本幸雄 (近鉄、1974年-1981年、8年)
- 長嶋茂雄(第1次) (巨人、1975年-1980年、6年)
- 古葉竹識 (広島、1975年途中-1985年、11年)
- 大沢啓二 (日本ハム、1976年-1983年、8年)
- 上田利治(第2次) (阪急・オリックス、1981年-1990年、10年)
- 森祇晶 (西武、1986年-1994年、9年)
- 野村克也 (ヤクルト、1990年-1998年、9年)
- 長嶋茂雄(第2次) (巨人、1993年-2001年、9年)
- 仰木彬(第1次) (オリックス、1994年-2001年、8年)
- 東尾修 (西武、1995年-2001年、7年)
- 王貞治 (ダイエー・ソフトバンク、1995年-2008年、14年)
- 星野仙一(第2次) (中日、1996年-2001年、6年)
- 若松勉 (ヤクルト、1999年-2005年、7年)
- ボビー・バレンタイン(第2次) (ロッテ、2004年-2009年、6年)
- 落合博満 (中日、2004年-2011年、8年)
- 原辰徳(第2次) (巨人、2006年-2015年、10年)
- 渡辺久信 (西武、2008年-2013年、6年)
- 秋山幸二 (ソフトバンク、2009年-2014年、6年)
- 栗山英樹 (日本ハム、2012年-2021年、10年)
- 工藤公康 (ソフトバンク、2015年-2021年、7年)
関連項目
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