ヘイト消費とは、特定のものや作品を叩く・攻撃することを目的とした、あるいは攻撃を楽しむことを前提とした「ヘイトで消費する」様を指す言葉。
英語では似たような言葉として「ヘイトウォッチング」という言葉があり、そちらは「嫌いなテレビ番組を貶す目的で鑑賞する」といった感じの行動を意味しているようである。
概要
人は不快なものや嫌いなものに直面した場合、ただそれを避けようとする以外に攻撃を行うことを選択する場面がある。その理由自体は様々だが、人によってはそこから攻撃と憎悪の魅力に取りつかれて深みに嵌り、自制心と罪悪感を投げ捨てていった結果、攻撃その物を娯楽・目的とした行動原理を基本としてしまうことがある。
その原動力はヘイト消費の名の通り「憎しみ」であり、対象への慈悲や妥協などは存在せず、一方的な要求が通ることのみを目的として対話などが成立する余地がほとんどないのも特徴である。
そうして変化した人間性に基づく、人や物・作品や愛好家などを貶し嘲笑うことで楽しむ姿勢は娯楽的側面においてはいわゆる「アンチ」の姿勢とも共通する。しかしその他にも自分を安全圏において常に攻める側・マウントをとれる側にいたいという自己保身の欲求や、仕事などの日頃の生活のストレスから憂さ晴らしのために無意識下でサンドバッグを求める感情など、ヘイト消費を行う層もまた一筋縄ではいかない。
ただし共通して多くの場合行動自体を楽しんでいる本人はその中毒状態には無自覚であり、自分は至極健全に対象をネタとして楽しんでいると強く思っている。しかし現実にはその拗らせた否定癖によってマイナスの印象を積み重ねていき、(特にリアルの場において)ちっぽけなプライドによる冷笑家という印象が定着して敵を増やしがちである。
ヘイト消費の目的
ヘイト消費の目的としては対象の個人、もしくは組織の誹謗中傷、衰退、破滅、そして消滅などがあげられる。改善の要求はヘイト消費にはならないがその内容が特定個人の追放や衰退が決定的な内容になるとヘイト消費になる。ヘイト消費の目的の特徴として何かを作る、新しい物を求めるというポジティブな内容ではなく、対象に謝罪、中止、辞任、解散などネガティブな要求を求めるのが特徴である。また自身の目的が達成されようとも対象に対して称賛などの何らかの恩恵を与えることもあり得ないのもヘイト消費の特徴でもある。
ヘイト消費の段階
自ら進んで否定を行う段階
何らかの理由により直面してしまったネガティブな対象に対して、あえて近づいて否定をするようになる状態。不快感を感情的に解消するための排除や、何らかの義憤・正義感などに突き動かされた攻撃を行うような層も含めることが出来る。
大抵の場合「わざわざ見なければいいのに」とか「嫌なら見るな」とか言われるような段階でもある。攻撃対象についてはまだ否定的な感情が大勢を占めており「(嫌いなので)無い方が良い・改善されたほうが良い」などの意識を持っている。
攻撃自体を楽しむ段階
当初は不快な物事に対する反応であった攻撃行為が次第に娯楽化していき、叩くことに自己正当化できる確かな意義を確立させようとしている段階。このあたりから「嫌だから見る」と言わんばかりに自発的に攻撃対象を求め始め「ネタとして楽しむ」「弄っているだけ」といった何処かで聞いたような事を言い始めるようになり、主張の増加に対して他人の話には「自分は健全で間違っていない」とばかりに耳を貸さないようになっていく。そのため対象については「なくなってしまっては困る」とある種の逆コースへと思考が変化していく。
また、創作関連では例えばクソアニメ・クソ映画愛好趣味などを自称して、それらのクラスタにヘイト消費者の観点から「ネタ」に只乗りする形で混ざろうとしたりすることもある。攻撃に快楽を感じるようになっているため上記の段階に比べると本人は楽しそうな姿勢を見せるが、実際の所はストレス源を周囲に転嫁したある種の中毒状態である。
既に手段が目的化している傾向が強まっているが、それでもなお一定の後ろめたさや罪悪感が残っていることが上記の言い換えや属性の利用などから伺え、本人もまた「嫌だから見る」とはさすがに言わず「クソを許容できるようになった」「大人になって寛容になった」などといった微妙にズレのある正当化の態度を見せたりする。一方でいわゆる否定癖によって不快感を与える巻き添えを増やし、静かに身内から嫌われ始めるようになる。
ヘイトその物が目的化する段階
症状が更に進行し、もはや対象が嫌ですらなく「楽しく叩きたいから見る」思想に則った行動を堂々とするようになった状態。節度のないヘイト消費を繰り返した結果「守る嗜好」がどんどん減少していき、いわゆる無敵の人ならぬ無敵の消費者となってしまっている段階。この時点での思考パターンはそれまでの段階を兼ね備えた柔軟さを見せ「嫌なら潰せばいい・良いならダシにすればいい・無くなれば次を見つければいい」状態となる、なおその結果行われる事はどちらでも同じである。分類としては叩ければ何でもよく自分が叩きやすい対象を見つけては散発的にヘイト消費する人達はネットイナゴとされ、特定の対象に執着してあらゆる出来事をこじつけでヘイト消費をする人達はアンチとされる。
他人に批判され攻められたくない守るものが完全に無くなることはまずあり得ないとは言え、攻撃対象を限りなく広げたことで攻める側にいることが多くなり、また常にそれに執着するようになる。このレベルに至るともはや物事をポジティブに扱う事自体が悪という認識になり、何にでも反対する姿勢を見せるようにもなってしまう。
ヘイト消費の手法とサイクルの構造
1.標的を褒めて持ち上げる
「ヘイト消費」と言っているのに褒めるとは一体どういう事かと思われるかもしれないが、最初に標的を持ち上げる行為はとても重要な意味を持っている。それはいわば事前調査と土壌作りで、これからどうやって叩いていくかを決めていく段階なのである。
ここで行う事は基本的に対象を褒め称え、それを利用して他の物を比較対象として叩く事である、将来落とす標的を過剰な期待とともに高所に上げつつそれをダシにしてその他の物を叩いて現在進行形で同時に楽しみ、標的の悪評を蓄積して備える、叩く相手が弱小では正直楽しくないので、流行には敏感なのがヘイト消費者をやる上では大切である。ここでいわゆるファン層のフリをしておくことは標的の心理をある程度把握することに繋がり、今後の行動を円滑に進む効果を併せ持つ。
2.分野や界隈を憂う仕草を利用する
ある程度標的の評判や地位が確立され、その上でネガティブな要素も固まって来た頃から、徐々に立場を移していく流れが始まる。愚痴や不満という形で反動の形成に取り掛かることになる。
この段階で重要なのはまだ行儀よく、お利口なポーズを維持すること。先走ってしまえばまだ大衆からはいわゆるアンチの荒らしとして済まされてしまうので、1.の褒める行為を利用してアンチを強引に窘めるなどの行動も同時に行うなどして、程よく荒れつつまだ行き過ぎないように調整される。まだ攻撃ではなくネタであるというポーズを強調したり、一々真っ当な批判であると主張したりすることも多く見られる。
ある程度以上の発信力を持っている層はブログやつぶやき、まとめサイトなどの記事作成を通して本領を発揮し始め、程良い距離から記事という燃料を投下して攻撃を援助、煽る事がこの頃から繰り返されるようになる。ファンからアンチまで状況に応じて自在に演じられる大勢とは違い、ある程度継続して名前や立場を持っている層は都合に応じて立ち位置を切り替えることが難しいのがその理由で、あくまで行儀よく世を憂うフリをして自己陶酔に浸るのである。
3.裏切られ失望したという立場を演じる
どんなものでも何の問題も起こらないままで居続けることは不可能であるため、標的とした物も年月を経れば必ずそれなりに大きな事件の一つでも発生することになる。その時が表に出て行動する瞬間となる、それまでの蓄積された物を大いに活かし、標的に対する批判を開始される。
ただし、それでもあくまで自分は期待を裏切られ悲しみ嘆いた末にアンチに転向してしまった哀れな被害者なのであるという態度は崩さない。被った建前を取っ払うのは完全に空気ができてからであり、安易な油断は逆に自分が標的となってしまう危険性があるからである。
4.建前を脱ぎ捨て正面から堂々と攻撃する
ある程度ネット上に空気が形成されこれはもう叩いて良い物だという共通認識ができればもう特に悩むことはなくなる。既に多数のまとめ記事も出来ていることであろう、適当に乗じて暴徒となり、ただただ好きなように攻撃すればいいだけである。
5.次の標的へ乗り換える
かつては評判だった標的も叩き尽くした末にいずれは旬が過ぎ去り、落ち着いてしまう・息絶えてしまうなどの段階になってくると、その時はもはや乗り換え時である。それ自体は将来何かの拍子に話題に上がった際にその都度叩いておけば良いとしてストックつつも、メインディッシュ用の新たな標的を定めて移動を始めることになる。
つまりは1.の段階に再び戻っていくのである。その時活きてくるのが序盤で自ら率先して対立煽りを行って形成した悪評で、これが正に次の標的を褒める際に落とす比較対象になる。「叩かれても仕方ないよね」という口実を自ら作って自ら利用することがヘイト消費の自己サイクルを繋いでいくのである。
主な分類とその行動
1.攻撃役
主に標的に対して直接攻撃を行う集団。最もシンプルかつ数が多く、主要な加害者にもなる層。
SNS、各種ブログ、まとめサイト、その他コミュニティの書き込みなどを通して印象と悪意の蔓延を担い、特に匿名性の確保しやすい場所を好んで拠点にするが、優勢が決した場合は公の立場を表明している者や傍観者層なども等しく参加して総動員体制へ自然移行し、全領域で攻撃が堂々と行われるようになる。
仮定の前提化
都合に合わせた仮定を提示し、それを前提にして話題を進める手法。
「もし〇〇だったとしたらそれは問題だ」「○○が本当だとしたら許せない」などの言動で表現される。
論点を先に形成することで有利に攻撃を行うことができるようになり、さらに繰り返すことでより強固な大前提として認知させる事ができる。
多数派の形成
攻撃する自分達こそが「総意」であり、絶対的に正しい側であることを周知させること。
そのために「ユーザー」「ファン」「消費者」などの自由に拡大可能な主語や、被害者属性を獲得するための「発狂」「辛い・苦しい」「涙が~」といった周囲を煽る感情的な表現がよく用いられる。
後攻有利の活用
疑問や批判などを投げかけ、それに反論・反発させることで攻撃の糸口とする手法で、物事よりはそれに関係した個人を標的とする際に多く用いられる。
「何が良いのか分からない」「良い所が見つからない」などの前振りを利用することで反論を誘い「相手の言葉」を引き出すやり方や、ブログ・Twitterなどで発信された標的自身の言動・主張から都合に合わせた悪意を練り出し、それを断罪するとして攻撃を行うやり方などがある。
いずれにせよ言葉尻を捉えるための一定の言語力と論理を飛躍させるための発想力が必要な技術であり、下手な使用は反撃される危険も伴う、特に「自分の言葉」を迂闊に並べるのは立場が逆転する恐れがあるため、あまり会話のボールを長く持ちすぎないことが大切である。
正答の曖昧化
曖昧な定義を駆使することで、争いを有利に進める手法。
「本当に〇〇な物なら」や「面白ければ良い」などの理想的かつ具体性に乏しい言葉を使い、論争の終着点を常に動かしながら事を進めて相手を攻め立てる状況を継続させる。
明確に答えられない質問を繰り返すことなどで相手を追い詰む効果が見込めるが、逆に自分にはそれをさせないために論理や立場の逃げ道を常に確保しておくことが重要である。
正義感、被害者の偽装
特定の対象にたいしてファンなどを信者などと呼び、信者がマイナスな行動をしたことに対してそれを取り出して自分達はそれを糾弾する者たちだと主張するやり方である。この場合荒らし行為を注意しても「相手が悪いのだから仕方がない」などの詭弁を用い、さらに擁護するお前もお仲間だと攻撃する事もある。不特定多数を指して攻撃する場合が多いが何かしらネットで固有名詞を持っている人物の場合、この手法は何倍にも規模が大きくなる。あくまでも叩いているのは悪事を糾弾する正義のため、被害者に代わって糾弾するので迷惑行為ではない。とするのが主な手法である。
実態は信者というのはヘイト消費者の匙加減で認定され、問題の行動も疑惑程度で騒がれる。そもそも本当に説明されるほうが稀である。特にヘイト消費が長期化、肥大化すれば相対的に根本の原因が薄弱になるため説明をしなくなる。対象のファン全員が一切問題行動及び疑惑の行動をしないというのは不可能に近い。そして一度ネットで取り上げた人物はすでに休止しているか現在は削除されているほうが都合がいい(自演行為の可能性の追求や検証が困難になるからである)最終的にはまるで歴史に残る大罪をしたかのように扱われ、検証なぞ不要でネットスラングとして定着させるのが目的である。
過激派、狂人の登場
事実がどうかは関係なくとにかく過激な罵倒や誹謗中傷、陰謀論を断続的に行う方法である。また反論する物に対して晒上げや嫌がらせなど違法行為も厭わないことも多い。
一見これはヘイト消費者の信頼の下落、同じヘイト消費者からの批判が行われ、自滅行為にみえるが外部から見ればコンテンツが荒れている事には関わりなく、触れたくないという印象を持たせる事になり目的のコンテンツの衰退に貢献しているので有効である。ヘイト消費者からは毛嫌いされるが排除するような行動はせず、黙認状態であることが多い。元々対象は特定で情報が公開されており、一方叩く側は不特定で匿名の存在だからこそできる手法である。この行動はコンテンツとは無関係なサイト運営者からもアカウント凍結などの処置が下されるが個人の匿名である以上またアカウントを作成すれば再開可能であり、厄介な存在である。
だが、その行動が継続できなくなった時には行動を批判することによって反論者の武器になり、外部からは過激派の行動がヘイト消費者の印象そのものになるのでヘイト消費の没落の決定的要因にもなりえる。
2.拡散役
標的に対する悪評や状況をまとめ伝えてネットを通して各地へ広める層。
古くからブログやまとめサイトを運営していたり、ネットニュースなどに記事を書く立場の人間がこれに分類されていたが、手段が多様化している現在では個人でも拡散を行うことが容易になっている。
冷静なフリと情報の取捨選択が大事な難しい役割だが、拡散を繰り返して既成事実を積み重ねることで時間が経過しようとも「今更引けない・振り上げた拳は下ろせない」という思考を強化することができる。
情報の選別
情報を取り扱い拡散する者の基本である、聞き手の不安を煽り怒りや恐怖心を植えつけるために都合の良い話題と都合の悪い話題を選別すること。
話題を上手く切り取ることの他に素早く解説するスピードも大切で、まとめサイトやブログなどで公開した情報の二次・三次的なさらなる拡散も考慮する必要がある。記事として公開する場合は過激な単語を用いた煽れるタイトルを付けることが基本だが、穏健派の偽装を行う場合は逆に冷静さをアピールできる落ち着いた言葉を使うことが望ましい。
また、記事内のコメントなどを活用することも効果的で、不要な発言を削除するなどして適切にデザインされたコメント欄は、同等の主張で上手く固められたことでその記事の印象を何倍にも強化させることが可能である。ただしあまりにも偏りの激しいコメント欄はそれ自体が突っ込み所にもなるため、適切なバランス感覚が無ければコメントデザインを使いこなすことは難しい。
比喩表現、蔑称の利用
拡散対象のよく知る物事や作品などに例えた説明を行って効果的に意図的な情報を広める手法。
「〇〇に例えるとこうなる」といった感じで話題を進行するが、ヘイト消費の標的について広める相手が詳しくない時点で情報的優位はこちらにあるため、上手く調整された比喩表現などを挟むことで、思うがままに印象を操作することができる。例える対象については深い知識が必要になるものの、SNS等での不特定多数への拡散に向いた手法である。
上記のような拡散対象に合わせた分野を使用した比喩で印象を操作する手法の他には意味の曖昧で不明瞭ないわゆる「ふわっとした例え話」の類を利用して、後で何とでも解釈できることを利用してジャンルを問わずに不特定多数を取り込むというやりかたもある。
また、ヘイト消費をする過程において蔑称を創設してなぜそれが駄目なのかを説明せず蔑称だけで表現する事もある。下手に文章にすると個々の表現で矛盾のほうが目立つ場合がある。そこで蔑称を多用して書いてヘイト消費を行い、反論を封じるとともに、無関係な人間には意味不明な空間を作り出して追い出す効果もある。
傍観者位置の維持
標的となる物事の状況について深く認知していない素振りで、攻撃に繋がる評価や印象を表明する手法。
「知らないけど・見てないけど○○でひどいらしい」などの外側から見た曖昧な印象で表現して悪評が広がっている様をアピールして、傍観者の側に対して同調を誘導する。悪評を拡散させることで野次馬として群がる大多数もまた同じく否定的な印象を根底に植え付けられ、特に新規層においては「最初から悪いものとして消費する」というヘイト消費の連鎖効果を高めることが出来る。
3.燃料投下役
標的を攻撃することを都合に合わせて正当化できる理屈や、攻撃衝動を維持する燃料を提供する層。
上記の拡散役を兼ねる側面も持つが、忍耐力と演技力に加えて適切な材料を創作する技術力とそれらを発信する力も含めた幅広い総合力が求められるレベルの高い役割である。特に何らかの問題によって発生した群衆の怒りに「正しい意味」を与え、その矛先を統制し得るあらゆる理屈を差し出すことができる者は勢力の拡大には必要不可欠と言える。
ここから発せられた論理や作品が拡散役によって広められ、それを用いて攻撃役が攻撃を行う流れが形成されていくことになる。
限定的肯定
「良い所はあった」「素材は良かった」などの言い訳を挙げることで最低限の中立的立場を装う手法。
褒めるということ自体が前振りとして使い勝手の良い行動であり、その後に広げる本音との落差を利用して失望感を強調する効果を生み出すことが出来る上にまともな消費者であろうとしていたという建前の確保にも繋がる。「落とすためにまず持ち上げる」事は燃料という方向性においても基本の要素である。
穏健派の偽装
一時的に穏健派を装いながら潜伏し、タイミングを見計らって本性を表して攻撃に転ずる手法。
長期に渡って冷静で好意的な態度を貫き、同じヘイト消費者をも嗜めるような言動すら続けながらも、その後の何らかのきっかけを利用して大きく裏切られたという出来事を演出する「溜め」を用いた高度なテクニックである。
必ず一定の期間と定期的な動きが確保できる放送・連載などの形式をとる物事を標的とする際に向いており、擁護をしてきた者が者が流石に擁護できないと怒り態度を変える、長く付いてきた支持者が最後にまさかの裏切りに遭うというイベントを自ら演出することで大いに事態を盛り上げる事ができる。
コンテンツを俯瞰し、コンテンツのためを思っての行動であり、それでいて根本的に自分は関係ないという立場を保ちながら、しっかりと上位に立って「苦言」を呈するまでの確固たる演技力が問われる長期的な作業は困難を極めるが、その達成感も格別なものとなる。
第三者の利用
その場にいない第三者を利用し、主張や感想を紹介するという形式で印象を誘導する手法。
ある程度のリアリティを持たせつつ信憑性のある人物として主に家族・親戚などがよく持ち出され、特に純粋な意見を演出できる息子・娘や甥・姪などの年少者は利用価値が高く、その他に標的の適当な関係者などが扱いやすい第三者となる。一方で「飲食店の隣の席の客」「電車で見かけた人」「街で見かけた外国人」のような曖昧過ぎる第三者では即見破られてしまうため逆効果である、状況に応じて的確に人材を想像していく必要がある。
限られた者だけが可能な利用法としては、実際の同業者が立場を公にして主張するというものがある。自ら利用対象として姿を晒して名を売ることで知名度と印象のアップを見込める代わりに、立ち回りを誤れば完全な逆効果となるハイリスクハイリターン過ぎる戦術だが、それでも主に当人の知名度が最重要視されるアーティストやクリエイター界隈の問題においてはよく見ることができる光景である。
ヘイト創作
ヘイト創作とは特定のものへの憎悪を元にした創作活動・作品のことで、主に動画、イラスト、漫画やその他アート作品などを用いて行われる。
大きく攻撃が盛り上がっている状況は必然的に多数の注目を浴びることになり、それでいて需要が読みやすいこともあって知名度と支持の獲得が容易に見込めるため、名前を売る舞台として騒動の場を活用する創作者はあらゆるジャンルで数多く見ることが出来る。
ただし欠点としてヘイト創作はかなりの確率で特定されやすく、一度ヘイト創作を行うとそれに同調するファンができてしまい、普通の創作を行うと裏切り者としてヘイトの対象になってしまう恐れがある。また、商業ではもちろん原作への尊重が基本理念の二次創作でもヘイト創作を作った実績があると他ジャンルに移行しても同じようにヘイト創作するのではないかと信用されることはなく、クリエイターとしての生命が終わる可能性がある。
作品の公開とはやや異なるが、配信環境の整った現在では関係商品などを叩くために購入して紹介するというやり方もあり、動画配信に向いているビデオゲーム分野で多く見られる。この場合では「購入した」という事実を用いて「期待していた」という口実を作ることができる上に、多くの場合エンディングという終着点が存在しているメディアの構造も相まって上記の穏健派の偽装とは非常に相性が良い手法となる。
ヘイト消費の衰退期
人気があるものもいずれは衰退してしまうようにヘイト消費も衰退する過程がある。
ネットイナゴの退去
ネットイナゴは最新の話題にとりつく習性があるのでより最新で話題のある物を見つけるとそちらに移ってしまう。それは第三者から見れば最初は盛り上がっていたものの、途中から急に落ち着いて勢いが無くなっているようにみえてヘイト消費者に弱りが見える。反論の機会が出来たように見えてしまう。
論理、結果の矛盾
ヘイト消費には過激な議論が目立ち、あらゆる方向から対象は滅びて当然、いずれ無くなるという結論を何回も喧伝することを主としている。・・・つまり対象が活動していること自体が自身の論理に対する矛盾となってしまう。来年にはなくなるといっているのに来年にも普通に活動している。全てに見放されているはずなのに新しく企業と連携していたりと矛盾することが連続して起こり、言っていることと違うという反論が行われる。それに対する言い訳は賄賂をした、権力振りかざしたと陰謀論の類をせざるを得なくなり、主張そのもの信頼は地に落ちてしまう。
またヘイト消費は対象に不都合な事や憶測は全て真実だというスタンスをとるため、明らかに関係のない事柄を無理矢理こじつけてはたからみて矛盾するような論理が当然のようにまかり通って異様な空気になってしまう。特に成熟期には論理が雑になり、何か問題があって証拠なんてないけどとりあえず叩く対象が関係しているといい加減な説が跋扈し、元々の叩く原因とかけ離れることが多い。叩く対象は無能だがあらゆる裏社会に繋がりを持ち、あらゆる影響力を行使していて表にはわからないようにしている有能という矛盾も珍しくはない(もっとも、政治力だけは高いが実務能力が皆無だったり、親から権力を引き継いだだけの無能だったり、かつては有能で相応の地位についたあと老害化したなどありえない話ではない)。
内ゲバの発生
上記のような過激な論調、ありえない説に反対するのは対象の擁護側だけではなく、同じヘイト消費側にも発生する。実際に問題があることだけに注力し、わざわざこちらが非難されるような論なんて必要がないという反論が同じ仲間内で起こる。
ただ、これを工作員による反論だと認定して同じヘイト消費者内で攻撃しあう内ゲバに発展することがある。こちらに反論する奴らは気にくわないから全て工作員だという勢力ともっと適格にヘイト消費をしたいという勢力に分かれてそれぞれ「俺はあいつらとは違う」と絶縁宣言をしてお互いそれぞれの拠点にひきこもることがある。そして、よく見られるのはその界隈で批判者のインフルエンサーみたいな立ち位置にいた人が失態を犯し続けてついには「あいつには迷惑していた」と切り捨てが行われ、言及して来る人間は対話拒否といなかった扱いにするなどの「総括」ともみられる行為が相次いで行われる。
ヘイト消費そのものに対するヘイトの増加
ヘイト消費を過激に続けるとどうしても本来無関係な場所やコミュニティに対して迷惑をかけてしまう。そこからクレームが来ることがあるがヘイト消費者が素直に謝罪することはなく、信者の擁護として一蹴してしまうのがほとんどである。無関係なのに信者扱いされてさらに自分の属するコミュニティに迷惑をかけ続けられたらヘイトが増加するのは当然で、叩かれる対象に興味がないが、叩く奴は嫌いというヘイト消費に対するヘイトが各地で発生する。発生する場所はネット全体で起こることがあり数も多くなる。ヘイト消費者は別に叩く対象にプラスの出来事が起こっていないのにじわじわとヘイト消費者自身が叩かれる論調に困惑する。ネットイナゴもヘイト消費者を裏切ってヘイト消費者を叩く側にもまわるのもこの時期である。
「憐憫型」アンチの増加
ネットイナゴが去り、アンチのきっかけになったきっかけももはや過去のものとなり、ファンもその他の人間も「○○アンチ」として認識され警戒されていくようになると普通のアンチの方法では即刻排除されるようにになってしまう。そこでアンチは直接的な罵倒は避けて「○○は××の被害者で可哀そう。」「このコンテンツもあの事件のせいで見る影もない・・・」など対象を憐みの目で見て自己の尊厳を保つ憐憫型アンチの存在が目立つようになる。自身は過去のアンチ活動には無縁の存在でたまたま覗きに来た一般人を装うとするが少し反論すると思わず自身が過去に使っていた蔑称を使ってしまい、アンチであることがバレる事が多い。なお普通に過去の発言を見つけられるとそこでの活動は終了する。なので基本的にはすでにブームが過ぎた掲示板に単発的に書き込むを行うことになる。憐憫型アンチの増加はヘイト消費衰退期のサインともいえる。
ヘイト消費者の地位の固定化
上記の様々の過程を経てヘイト消費はなくなるか、ということはなく、大体特定の拠点に閉じこもってそこで同じ事を繰り返すようになる。ここまでくるとネット界隈ではあそこではああいう論調だという常識が共有されてしまい、そこで何をいっても相手にされずまともに相手にするほうが悪いとほとんど主張として認められなくなる。そこでは時間が繰り返しているかのように同じ批判同じ論調を繰り返し、10年以上たっても変化がない化石みたいな場所としてネットの掃きだめとして存在するようになる。ここがヘイト消費の終点ともいえる場所になる。
企業・運営に対して管理責任を追及する。
例を出すと「このような炎上、問題が発生したのは企業、運営の不手際である。」というような論調の事である。これの特徴はすでに批判側の負けがほぼ確定した時期であり、批判している人間が正当な批判者ではなく、荒らし、アンチ側の人間だと烙印が押された時に使う手法である。「俺達は確かに悪だが大元だって悪いじゃないか」という責任逃れ、お前だって論法の一種になる。他の手法と違うのは自分達が「悪」側の人間だと認識していないと使えない。(正義と思っている内は炎上の内容に注力するため)運営も荒らしの共犯だと道連れしたい時に行う行為である。だが、炎上はほぼSNS上で発生しておりSNSの管理権限をもっていない企業がほとんどであり、何より発言した人間は責任能力があるので発言の責任は本人である。実際に罰があるのなら発言した本人にのみ及ぶのでしかない。
主な対応
まともな存在であると信じない
ある程度知見のある人ほど犯しがちなミスとして、攻撃に大してまっとうな意味や理由を求めようとしてしまうという事がある。この手の層もあくまで普通のファン・アンチ・批評者・観察者などの類であり、たとえ過剰でも誠意と正義感によって動いてしまっているだけなのだと安易に信じて対応をしてしまうことが相手に効果的な建前を差し出し、ヘイト消費に利する状況となっているためである。
そのため「どうせ意味なく叩きたいだけだろう」という平時ならば身も蓋もない適当な対応こそが皮肉にも正解を突き対策としては効果的となってくるのである。上記のサイクルの中でも挙げられるように、ヘイト消費においては都合の良い建前の堅持が重要になってくるため、それが取り払われることを当人は大きく嫌う傾向がある、何でも誠意ある意見などと思っていたらキリがないという、クレーム対応にも通じる状態と言える。
関わらないようにその場を去る
もう一つの対応としては、素直にその分野・作品などを差し出して自分は避難するという方法がある。もちろんその後その場は荒れ放題まっしぐらであるし、ひたすら飲み込まれていくのみだが、ほんの僅かではあるが表面的ストレスを回避することが出来る。後退的なスルースキルの活用と言えなくもない。
ただしそれにも結局は限度というものがあり、情報があっという間に流れ行く昨今では完全に回避することもまた不可能に近く、遠巻きでも負の連鎖を延々鑑賞してしまう羽目にはなるし、愛好するもの全てを投げ捨てることは逆に苦しさを倍増させるだけである。
なお、それが生産者・創作者側に適応した場合はそれ自体が「ユーザー不信」の蔓延へと繋がることになる。即ち「このような客を相手にしたくない」として活動を止めたりその分野を目指したりしなくなることを意味する。
このような袋小路を感じた人達の一部が選ぶ道こそが次に挙げられる対応となる。
開き直って同じ道を歩む
いっそ同じようにヘイト消費を楽しめるようになればむしろ解決するのではないか、という考え方で、現実問題ヘイト消費家の増加を最も担っている要素でもある。「好きで守る側にいるのだから苦しいのであり、攻める側にいる方が楽しく健やかでいられる」として、反動のように一気にヘイト消費家への道をひた走るようになる。まるでどこかにいそうな愛を否定する悪役みたいな思考だが、現実として楽でいられる方に大勢が偏るのは必然なのでどうにかなるものでもない、一方でそのリスクを一番負うのはいわゆる生産者・供給者に当たる側である。
何かを作り出し、送り出す側は次第に失望感に呑み込まれ「ユーザー・消費者・客の本質とはこんなものなのだ」として現実を見据えた悲観的な配慮や戦略を取らざるを得なくなり、そして同じように「不信」か「撤退」を迫られるようになる、消費者側ではないので「同調」という選択肢は存在しないためである。
荷担しないためには
もしWeb上で何らかの主張や表現を行いたいと思った場合、そしてそれが何らかの波風が立ちそうな話題や既に炎上沙汰となっている話題であった場合は、主張する自身がヘイト消費者と思われない・扱われないように注意することが現在では必要不可欠な状況になっている。
否定すること
どうしても主張を行いたいのであれば、その一つ一つに付随して過激派・ヘイト消費者・その他厄介な層についても否定する主張もセットにしておくことである程度距離を取ることが出来る可能性がある。
主張自体を大衆のヘイト消費の材料として利用されることは避けることは出来ないものの、自分が燃料投下役ではないと思われる道筋は保つことが出来る。とはいえ、今の時代ではそれすらも偽装された穏健派の言い訳と思われる可能性がは高い。
そのため、その否定の主張すら態度言動を整えた非常に繊細な物でなければならない上に、そもそも事前に幅広く信頼に足る立場を確立していなければ距離を保ちつづけることは至難の業である。そしてなによりも否定を繰り返すことで逆に自分が攻撃対象になりかねないという致命的なリスクは無視できない。一度広く公開された情報は、あらゆる方向から利用しようとする者達が集まってくるものなのである。
触れないこと
例えどんなに冷静で善意に基づく穏やかで礼儀正しい言動を尽くしたとしても、それが燃料として拾われて活用されてしまった時点で同族扱いを避けることは難しい。そのため究極的な回避方法としては「話題に一切触れない」ことが挙げられる。
どのような形でも関わり合いになってしまった時点で自身の評判への影響は避けられず、それが熱狂的な騒ぎであった場合はどのような形であっても少なからぬ悪意に取り込まれることになる。もしそれを望まないのであれば、表に見える主張として自らそれに触れようとはしないことである。もちろん、ヘイト消費者の側であれば話はすべて逆である。
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 62
- 0pt