ヘッツアー(ヘッツァー)とは、第二次世界大戦当時に主にドイツが使用した軽駆逐戦車である。
概要
第二次世界大戦においてドイツは旧式化した戦車の車台部を利用し、自走砲・突撃砲・対空戦車など様々な改良を行い、中でも大口径の砲を搭載したIII号突撃砲は優れた駆逐戦車として活躍を示した。
だがそんなIII号突撃砲の工場も爆撃され生産が滞ってしまった為に、38(t)戦車やマルダーIIIで有名なチェコスロバキアのBMM社に代替の突撃砲を開発依頼したのが始まりである。
当時BMM社には軽戦車の生産ラインしかない為に、38tをベースに80%弱の部品共通化が図られわずか4ヶ月でヘッツァーの開発を終えた。とはいえ75mm対戦車砲Pak39を搭載する為に車台は新規設計された上、足回り(転輪・履帯)も大型化されたものを用いており、38(t)戦車とは別物である。
但し新規で作られたとはいえ全長6.27m全幅2.65m全高2.10mというサイズに75mm砲を搭載した為、ハッチを閉めると右側が完全な死角となり、傾斜装甲も側面20mm、重量15.75tの軽駆逐戦車である為に、初めの頃は側面を突かれ破壊される事も多かった。その為、複数両で死角をカバーする戦術が多用された。
また1000m先から85mm装甲を貫通できる攻撃力を備えていた事で、M4中戦車やT-34といった連合軍主力戦車をその有効射程外から撃破できた。生産コストも4号の半分近くであった為、38tのラインは停止し1944年4月から量産体制に入り、約1年の間にBMM社とスコダ社合わせて2500両以上の生産が行われた。
余談だが、コンパクトで愛らしい外見からか、海外戦車ファンの間ではマスコット扱いされている。合言葉は「Hetzer gonna hetz !」
色々な意味で日本でいうところの九七式中戦車(チハ)をして『チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい』という感覚に近いだろうか。
連合軍戦車に対する攻撃・防御性能の例
部位/各種車両 | T-34/85 | JS-122(IS-2) | M4中戦車 | クロムウェル | チャーチル |
砲搭正面 | 700 | 100 | 1000 | 1000 | 1700 |
防盾 | 100 | 0 | 100 | 1600 | 1400 |
車体正面上部 | 0 | 0 | 0 | 1800 | 1300 |
車体下部 | 0 | 0 | 1300 | 1400 | 1100 |
部位/各種戦車砲 | 85㎜ S-53(T-34/85) | A-22(IS-2) | M3 75㎜戦車砲 (M4) | M1 76㎜戦車砲(M4) |
防盾 | 100 | 500 | 0 | 100 |
車体正面上部 | 0 | 0 | 0 | 0 |
車体正面下部 | 400 | 1200 | 0 | 800 |
上の二つの表はドイツ軍兵器局が1944年10月頃に作成した資料の内容を元にしたものである。この表からはヘッツアーの防御性能は高く、車体正面上部はいずれの兵器でも貫通不可能であると見積もられていたことが分かる。一応車体正面下部を狙えば(75㎜戦車砲 M3を除いて)撃破は不可能ではなかったが、IS-2重戦車以外はヘッツアーの搭載砲の有効距離内に接近しなければならなかった。IS-2と対峙した場合ヘッツアーの搭載砲でその正面装甲を撃ち抜き撃破するのは困難だった。撃破するには理論上、至近距離から側面装甲を狙う必要があった。
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