ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー単語

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ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー1831~1891)とは、智学協会の設立者の一人で19世紀最大の義者である。
通称ブラヴァツキー夫人。

概要

ロシアウクライナ地方エカテリノラーフに生まれる。幼少期から啓示をうけたりサイコキネシスが使えたりとしている。彼女足跡が最初に見いだせるのは、17歳ニキフォル・ブラヴァツキー将軍結婚し、3か将軍のもとを飛び出した時である。以降世界各地を遍歴して回った。そしてこの際、チベットマスター / マハトマたちと接触したとする。実際には職を転々としたらしく、霊媒師ダニエルダンラスヒュームの助手を務めるなどをしたようだ。

1875年に渡し、ヘンリー・スティール・オルコット、ウィリアム・ジャッジらと智学協会を設立した。この団体はブラヴァツキーマスターたちからの通信で得た哲学を基調とした哲学団体で、その後世界に拡大した。この協会には生物学者のアルフレッドラッセル・ウォーレス、発明トーマス・エジソンなども在籍したことがあった。

1878年にブラヴァツキーインドを訪問し仏教徒になり、本部をアディマールに置き、さらにヒンドゥー教革団体、アーリヤ・サマージと行動を共にする。しかし1884年、職員のクーロン夫妻がマスターからの通信は詐術であるとし、イギリス心霊研究協会の調でもトリックだとされる。その後彼女逃げるようにヨーロッパを拠点とし、ロンドンで支持者を集め『シークレット・ドクトリン』を著す。1891年に亡くなり、彼女イギリスアメリカインドに分けられた。

一方教団はその後アニー・ベサントが引き継ぐが、イギリス部長である彼女アメリカ部長ウィリアム・ジャッジが対立する。こうしてアメリカポイント・ロマが分離し、ヨーロッパインドのアディヤールが存続してく。さらに以後の協会ではベサントスカウトしたジドゥ・クリシュナムルティ救世主とみなす運動が巻き起こり、東方教団ともいうべき組織が出来上がる。ドイツ部長となったルドルフ・シュタイナーはこの運動の反対から人智学協会を築き、智学協会は次第に弱体化していくが、現在もなお存続している。

ブラヴァツキーの思想

彼女の思想の基本になっているのが、マスター / マハトマ / イスキンと呼ばれる存在である。釈迦孔子ソロモン、老子、フランシスベーコン、サン・ジェルマン伯爵といった人々はみなマスターで、ブラヴァツキーは以前ピタゴラスであったクートフーミというマスターと出会ったとする。

そしてこのマスターたちが構成するのがグレートホワイトブラザーフッドであり、シャンバラにいるヴィーナスを祖先とする世界の王を頂点とする144人のマスターから結成されている。ブラヴァツキー、また智学協会を共に結成したオルコットや、のちに救世主となったクリシュナムルティらはこのグレートホワイトブラザーフッドから通信を受け取っていたとする。

また智学協会の根本思想としては、現生人類を生み出した、宇宙の1周期に発生する7つの基本的な人種である根人種、霊的レベルの異なる7つの球を次第に高次に移動していく宇宙的進化、といったものがある。

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