ヘロドトス(B.C. 485頃-B.C. 420頃)とは、紀元前5世紀に活躍した古代ギリシャの歴史家である。ペルシア戦争を描いた著書『歴史』はあまりにも有名で、「歴史の父」と称される。この時代はまだ苗字が無く、出生地+名前という方式が採られるため「ハリカルナッソスのヘロドトス」と呼ばれることもある。
概要
古代地中海世界における歴史資料は、それまで口伝あるいは石碑(モニュメント)という形で残されるばかりで、本格的な「歴史書」といえる物がなかった。なにせ文字を読み書きできるだけで、希少な才能と言われた時代である。そのため彼の著書『歴史』は、歴史書を書く際の手本としても使われるようになった。
大まかな(かなり乱暴な)流れとしては、
と、なっている。ヘロドトスの著作の多くはヘロドトス自身が地中海世界を旅して集めた情報ばかりだが、この時代いわゆる「情報の裏を取る」ことが難しかった時代でもあり、情報の中には多分に不確実、つまり突っ込みどころ満載なものが含まれている点には注意したい。一方でヘロドトス自身が疑いつつ記述した情報が後に信憑性を認められることもある。双方の例を記す。
- 大ピラミッドの建設時に全国民に過酷な強制労働を課したと記述しているが、近年の発掘によればそうでは無いと考えられる。そもそもエジプトの祭司からの聞き取り(ソース明記)だが二千年以上も前の出来事の言い伝えであり無論発掘情報など知る由もない。
- ネコ2世の命によりフェニキア人がアフリカを船で一周(紅海から出発してジブラルタル経由で帰還)した話の中で「常に太陽が右手にあった」と報告されていることを信じ難いとしつつ記述しているが、現在から見ると信憑性がある。
ヘロドトスはギリシャ人である。といってもギリシャ半島に住んでいたわけではなく、小アジアのハリカルナッソスに長く暮らした後、権力闘争に敗れ南イタリアへと移住した。この時代の地中海世界は、一つの都市が一つの国(都市国家)であった。家の主は戦争が仕事であり、戦争がない時期はいわば無職のようなものである。実際には戦争で獲得した奴隷を使っているため、無職でも収入はあるのだが、平和な時期が続くと家のあるじたちは暇であった。そのため暇をもてあました者たちは集まって軍事教練や勉強などをするようになり、これが「学校」というシステムの元になった。スクール(school)の語源は「暇」という意味である。ヘロドトスも暇だから本なんぞ書いていたのかもしれない。
ニコニコ動画におけるヘロドトス
歴史の父として後世に遺した彼の功績の大きさは論じるまでもないが、ニコニコ動画をはじめとする日本のインターネットサブカルチャーにも彼は大きな功績を遺している。
『歴史』第一巻において、古代オリエントのメディア王国の将軍ハルパゴスは、ある命令に背いたことを咎められて主君に息子を殺され、その死体の肉を料理として振舞われて知らずに食べさせられるという(現代社会の感覚からすれば)常軌を逸した罰を受けた。
自分が堪能した肉料理の材料が息子だったことを知らされたハルパゴスは取り乱すこと無く、その後も主君に忠実に仕えたが、実際には息子の仇を取るための準備を粛々と進め、綿密な計画と粘り強い実行により最後にそれを見事に成功させた。
このエピソードが漫画家岩明均によりその作品『ヒストリエ』に取り上げられ、仇討を成就する際のハルパゴスの「ば~っかじゃねえの!?」のセリフは、その時の表情と共に大きなインパクトを与え、様々なコラやAAを生み出したのである。
(この辺りの描写については「ハルパゴス」の項目に詳しいので、是非ともこちらもご参照いただきたい。)
なお、ヘロドトスは作中において、この際のハルパゴスの表情や発言については描写しておらず、「ば~っかじゃねえの!?」は岩明による創作である。
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