「りんご」
「まな板」
「銀河系」
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俺「ハァ・・・ハァ・・・ついに全ての黒くないものを調べ終わったぜ・・・そしてその中にカラスは一羽もいなかった!つまり全てのカラスは黒い!!」
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は?
一見突拍子もないように思えるが、この根拠と結論は論理的には全く正しい。この突拍子のなさを指摘する言葉が「ヘンペルのカラス」である。
なぜこれが論理的に正しいと言えるのだろうか。
対偶
これらの文は、「○○ならば、△△」という形に書き換えることができる。
そして、「○○ならば、△△」という形で書くことのできる文は「対偶」を作ることができる。「ならば」の前後を逆にして(△△ならば、○○)、さらそれぞれを否定すると(△△でないならば、○○でない)、元の文の対偶ができあがる。
対偶の真偽
対偶の真偽、つまりその文の言っていることが本当なのか嘘なのかは必ず同じになる。
たろうくんは朝は必ずジョギングをする。(朝ならば、ジョギングをする)
の対偶は、
たろうくんがジョギングをしていないならば、それは朝ではない。
である。
「たろうくんは朝ジョギングする」というのが本当である(つまり、真である)ならば、その対偶である「たろうくんがジョギングをしていないならば、それは朝ではない。」も本当である。毎朝ジョギングするはずのたろうくんが家でゴロゴロしているのを見れば、今は朝ではないことがわかる。
逆に、「たろうくんは朝ジョギングする」というのがウソである(つまり、偽である)ならば、その対偶である「たろうくんがジョギングをしていないならば、それは朝ではない。」もウソである。別に毎朝はジョギングしないわけだから、たろうくんが家でゴロゴロしてても今は朝かもしれないのである。
対偶の真偽が一致することは数学的に厳密に証明されており、対偶の真偽は必ず一致する。
元の文が分かりにくかったり扱いにくかったりする場合に、その対偶を考えるとすんなり理解できたり証明できたりする場合がある。一般に、対偶を用いて元の文について何か言おうとすることを「対偶論法」という。
カラスの話に戻ろう。前述の通り、「全てのカラスは黒い」の対偶は、「黒くないならば、カラスではない」である。対偶の真偽は一致するので、「黒くないならば、カラスではない」が正しいと結論づけられたなら、自動的に「全てのカラスは黒い」も正しいことになるのである。
ヘンペル「それっておかしくねぇ?」
「だって、カラス一羽も見てないじゃん」
ドイツの哲学者カール・グスタフ・ヘンペルが四十歳のときに著した"Studies in the Logic of Confirmation"の中ではじめて「カラス」と「黒い」という例を用いてこの対偶論法の矛盾ともいえる問題を指摘した。
「全てのカラスについて何らかのことを言うのに、カラスでないものを証拠にするなんてちょっとどうなの? 白い靴や赤い魚がカラスの黒さの証拠になるの?」というわけである。これが認められるならば、「羽がないもの」をすべて調べれば妖精には羽があると結論づけられるし、「羽がないもの」と「角がないもの」を調べ尽くせばユニコーンには角も羽もあることを証明できてしまう。「実際には調べ尽くすことなどできない」ということを抜きにしても、一つもその対象を調べることなくそのものについて何か結論できてしまうというのは、われわれの日常的な感覚からすると受け入れがたく感じる。
解説
この奇妙さは「黒くないものはカラスではない」という文章が「カラスの存在を保証していない」ことからくる。「黒くないものはカラスではない」が真である場合、「仮にカラスが存在するならば黒い」と解釈するのが正しいのであり、「カラスは存在しない」、もしくは「存在するとすれば黒い」、のどちらかが成り立つのである。
カラスの代わりに「ウンベロゲンゲン」や「りゅぬぁってゃ」などと意味の無い単語を入れてみればなんとなく理解できるであろう。「黒くないものにウンベロゲンゲンが含まれていなかった」ならばウンベロゲンゲンなど存在しない、もしくはウンベロゲンゲンが存在するとすれば黒い、と結論できる。
「Aという集合にXは含まれていなかった」事を根拠に「XはAでない」という属性を付与する事ができる。Xが実在すればそれは正しい。しかし、Xがそもそも存在していないなら「Xは存在する」という偽の命題から「XはAでない」という結論を得ると言う事になる。「偽の前提から得られる結論は全て真」であることにより、存在しないXに好き勝手な属性をつけることができてしまうのである。
上記ユニコーンの例で言うならば、全ての角と羽の無いものを間違いなく調べ上げた結果ユニコーンが存在しなかった場合、「ユニコーンなど存在しない」、もしくは「存在するならば角も羽もある」という事になる。上記例では存在しない可能性の方を無視して存在する方のみを採用してしまっている。現実にはユニコーンは存在しないので調査の仕方により好き勝手に属性をつけることができてしまい、羽が無いイメージに反して羽があるという属性を付与できてしまうのだ。
疑似パラドックス
ヘンペルのカラスは、「カラスのパラドックス」あるいは「ヘンペルのパラドックス」とも呼ばれる。ヘンペルのカラスなどのように「別に矛盾ははらんでいないが、どうも変だと感じる」というタイプのパラドックスを「疑似パラドックス」と呼んで区別することがある。
- 誕生日のパラドックス
- バナッハ・タルスキーのパラドックス
- ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス
- モンティ・ホール問題
などがある。
ヘンペルのカラスは疑似パラドックスなので解決する必要はない、とする向きもあるが、この違和感を解消するためのいくつかの案も提示されている。らしい。なんか調べたけどちょっとよくわからなかった。
余談
当然だが、全ての黒くないものを調べ尽くすことは現実的には不可能である。黒くないものは無限に存在するし、「もの」の範囲が曖昧だし(「楽しさ」や「消費税」なんかも黒くはない)、調べ終わったと思っても「もの」は増え続ける。例えば、この記事も黒くはない。
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俺「せっかく全ての黒くないものを調べ終えたのに何かまた増えてるな・・・また調べ直さなくちゃ・・・この記事の背景は黒くないしカラスでもない!この記事のリンクは黒くないしカラスでもない!この記事の見出しは黒くないしカラスでもない!この記事のlistは黒くないしカラスでもない!この記事の・・・」
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関連項目
- 論理学
- 哲学
- 論証
- ベイズ統計
- 自然の斉一性
- 消去法
- 赤いカラス
- 全ての赤いものを調べれば、赤いカラスを「存在しないもの」として扱える。
- アルビノ
- 現実にはアルビノであるなど、黒くないカラスは存在する。
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