概要
ベネズエラ・ボリバル共和国 República Bolivariana de Venezuela |
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基本情報 | |
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国旗 | |
国歌 | 勇敢なる人民に栄光を |
公用語 | スペイン語 |
首都 | カラカス |
面積 | 916,445km2 (世界第32位) |
総人口 | 約2830万人 (世界第51位) |
通過 | ボリバル・ソベラノ(VES) |
略称 | VEN |
国際電話番号 | 58 |
大統領 | ニコラス・マドゥロ |
国テンプレート |
海岸部に人口の大半が集中し、南部のギアナ高地の人口は希薄である。
経済
北西部のマラカイボ湖近辺では石油が産出する。かつてはコーヒー、カカオなどが輸出されていたが、現在では輸出の大半を石油が占める。
石油価格が爆上がりした1970年代、ベネズエラ人は「世界で4番目に一人あたりGNPが大きい」と誇ることができた。しかし調子に乗って政府歳入の23.8%も石油に依存するようになり、当然ながら国際市況に振り回されるようになってしまった。1999年まではベネズエラの石油は外貨の50%しか稼いでいなかったが、1990年代に社会主義政権が私企業を育てないやり方でバラマキを始め、あっという間に石油モノカルチャーに転落した。[1]
歴史
ヨーロッパ人の到来以前から原住民が居住していたが、1498年にコロンブスが到着し、16世紀にはスペイン領となった。
19世紀初めに独立運動が始まりシモン・ボリバル(国名の「ボリバル」は彼の名に由来する)らの闘争の後、コロンビア共和国(大コロンビアとも呼ばれ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマ全土にガイアナ西部、ブラジルやペルーの一部を含む領域の国家)が成立。
しかし、1830年にベネズエラが独立したため、大コロンビアは崩壊した。
独立したベネズエラでは、保守党と自由党の闘争や軍事独裁を経て1959年に政党が協定を結び、民主的政権が誕生した。
1999年にウゴ・チャベスが大統領に就任。反米政策を採り、社会主義的な政策を掲げ、やや強権的な政治を行った。
2013年の大統領の死去後、側近のマドゥロが大統領となった。2017年に野党が過半数を占める議会を解散して憲法制定議会を招集することを決定し、野党がボイコットをしたため与党が全議席を獲得した。
マドゥロ政権下のベネズエラでは景気後退が続いており、インフレに伴いデノミネーションを3回も実施している。また、国民の4人に3人が極度の貧困状態にあり、数百万人が国を離れている。[2]
ベネズエラの野球事情
アメリカの強い影響で野球人気が高く、日本でも多くのベネズエラ人選手が活躍している。
特にアレックス・ラミレスは選手として活躍しただけでなく、横浜DeNA監督に就任。ベネズエラ、ひいては南米各国の出身者でNPB所属チームの指揮をとる初めての人物となった。
MLB志向が強い関係か人気の割には、国際大会ではWBCで4位が一回とあまり成績を残していない。(野球の国際大会自体があまり回数を重ねていないという事情もある。)
ニコニコ大百科で項目のあるベネズエラ人野球選手
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関連動画
関連項目
- 国の一覧
- 南米
- アメリカ大陸
- 野球
- ギアナ高地
- マラカイボ湖
- パストール・マルドナド … ベネズエラ人で初めてのF1優勝者
- ラヴレター・フロム・ベネズエラ
脚注
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