「ベンチがアホやから野球がでけへん」とは、阪神タイガースのピッチャー江本孟紀(えもとたけのり)が吐いたセリフである。
概要
1981年8月26日、甲子園の阪神ヤクルト戦で、阪神の先発江本は8回に同点のランナーを背負うピンチを迎えていた。マウンドに上がった時点で江本の投球数は既に130球を超えており、案の定一死後から三連打されて2点差とされた。この時の江本、既に143球。ここでようやく藤江清志投手コーチがマウンドに行くのだが、交代を告げると思いきや続投指示。その上、ベンチを見るや何と監督の中西太がダッグアウトの奥へ消えていくのが目に入ったのである。当然のことながら精神状態が普通ではない江本は同点タイムリーを浴びてしまう。後続のピッチャーが居ないのなら仕方ないが、既に抑えの池内豊投手は準備万端だったのだという。
事件が起こったのはこの後で、怒りのあまり江本はロッカールームに向かう時に「何を考えとんねん!」「このクソベンチ!」などという暴言を吐いたのである。それを聞いていたスポーツ新聞の記者が書いた記事が翌日の紙面を飾り、彼は球団から呼び出されて謹慎10日間の処分を受けた。「この時期に10日も謹慎すれば調整に一ヶ月はかかり、そのままシーズンが終わってしまう。これなら辞めろと言われたのと同じ」と江本は任意引退を表明。球団社長の慰留も虚しく、江本の11年間の選手生活はあっけなく幕を閉じた。
もともと言いたいことをズケズケ言う江本と、監督の中西の間がギスギスしていたことからこの事件は起こった。そもそものきっかけは、投手陣が外野でランニングをしている最中に中西コーチが打撃練習を始めたことからだという。江本は投手コーチの藤江との関係も最悪であり、1981年は起用法も定まらず、シーズン途中からは先発に回されるなどで江本の不満は蓄積する一方であった。実は、1980年オフに江本は「あの二人とは合わない」とトレード志願をしていたのだという。その時の慰留の言葉が「1年で居なくなるから我慢してくれ」だったというから呆れるしかない。
中西はバッターとしては優れていたが、チームのピンチにベンチを外したのであれば、選手の信頼を無くすのも当然であろう。「ベンチがアホやから野球がでけへん」については、本人が興奮していたのでそもそも何と言ったのか覚えてないかもしれない。そこを読者に受けるように書いたスポーツ新聞は、選手を引退に追い込むきっかけを作ったのである。
…とあるが、近年、表題通りではないかもしれないがほぼ同義の発言を記者のいるところで口走ったことを本人が証言している。また、当発言に接したスポーツ新聞の記者の証言では、この発言を聞いた直後に本人に発言の真意を問いただしたところ(彼らはむしろこの発言が大きな問題を起こすことを心配して、江本の独り言として処理しようと思っていた)、公式発言だと認められたという。江本が退団した翌日、その記者が彼の家を訪ねたら「お前のせいで辞めたんやない。気にするな」と彼に言われたという証言もある。
上にもある通り江本と監督の関係が最悪だったほか、フロントとの間でも盟友の古沢憲司・田淵幸一のトレードに対する批判等で衝突が起きていた以上、この発言がなくても遅かれ早かれ別の騒動が発生していたと思われる。
その後、阪神は最終的に前年5位から3位に順位を上げたものの、中西監督は辞任。選手・監督双方が得をしない結末となった。
ちなみに同日にはかの宇野ヘディング事件も起こっている。
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