ベンドア(Bend Or)とは、1877年生まれのイギリスの競走馬・種牡馬である。
現代サラブレッドの血脈の源流というべき大種牡馬。馬名は紋章学の用語で「黄金の襷」を意味する。
概要
父Doncaster、母Rouge Rose、母父Thormanby。父は「種牡馬の皇帝」Stockwellの産駒の英ダービー馬。母は不出走ながら甥に英国三冠馬Lord Lyonがいる良血。
ベンドアは体高16.1ハンド(約164cm)と大型で、尾花栗毛に黒い斑点がある独特の外見をしていた。この斑模様はStockwellとThormanbyにも見られるものであったが、現在には「ベンドア斑」として伝わっている。
ベンドアは優れた瞬発力に加え、大人しさと闘争心を併せ持った競走馬の理想のような性格をしており、2歳戦を5戦全勝。ダービーの本命馬と期待された。しかし一方で脚部不安を抱えており、その後状態が上向かないままぶっつけでダービーに出走することになってしまう。しかもダービーの1ヶ月前には主戦騎手のフレッド・アーチャーが他馬に右腕を噛まれ負傷。医者の説得も聞かず、腕に鉄板と痛み止めを巻いて無理やり騎乗する状態だった。
しかし本番では直線でRobert the Devilとの一騎打ちに持ち込むと、アーチャー騎手が腕の痛みも忘れて追いまくり、最後はアタマ差抑えて勝利。片腕の名騎乗として後世に伝わることになった。そして、この勝利がきっかけである問題が浮上するのだが……詳しくは後述。
ベンドアはその後もう1勝して連勝を7に伸ばすが、脚部不安が悪化しセントレジャーではRobert the Devilに大差をつけられ5着となり連勝がストップ。その後も2戦2敗で3歳を終える。翌年は初戦から3連勝し復活を果たすが、4戦目で再び脚を痛め敗戦。このレースを最後に引退した。
通算14戦10勝。
種牡馬入りしたベンドアは、英三冠馬Ormondeや2000ギニー馬Bona Vistaを輩出。同時期によりにもよってSt. Simonがいたためリーディングは獲得できなかったが大きな成功を収めた。26歳の冬にある日突然死亡したとのことである。
そして上記の2頭も種牡馬として成功。Ormondeは4代後の直系からフランスの名種牡馬Teddyを輩出した。父系はかなり衰退してしまったが、Teddy産駒であるアメリカ最大の名牝系の祖La Troienneを経て、Ormondeは今もその影響力を残している。
そして、Bona Vistaの4代後の直系からはPhalarisが現れた。このPhalarisこそ現代のサラブレッドの父系の約80%が属する血脈の源流であり、Nearcoを経てNasrullahやRoyal Charger、NearcticからNorthern Dancerに繋がるラインに加え、Native DancerからRaise a Nativeを経てMr. Prospectorに続くラインも全てPhalarisを祖とする。以上のことから、ベンドアは現代の主流血統の祖といえるのである。
ベンドアはベンドアなのか?
ここまでその活躍を書き記したベンドアだが、実は「このベンドアは本来のベンドアではないのではないか」という説が存在する。
事の発端は1880年、ベンドアがダービーを勝利した少しあとのこと。ダービーで2着に敗れたRobert the Devilの馬主と調教師が、「ダービーを勝利したのは本物のベンドアではなくTadcaster(タドカスター)という別の馬だ」と主張したのである。Tadcasterはベンドアと同い年のDoncaster産駒で、Clemenceという牝馬を母に持つ。生まれた牧場もベンドアと同じだった。主張によれば、この2頭が牧場から調教場に移動される時に不注意で入れ替わったのであって、ベンドア(とされたTadcaster)は失格となるべき、ということであった。
この証言にはベンドアの元厩務員が関わっており、彼が厩務員を解雇された腹いせに情報をリークしてRobert the Devil陣営を焚き付けたようであった。この時は外見上の特徴が大きく違うことなどから英ジョッキークラブは入れ替わりを否定し、ダービーに勝利したベンドアが本物のベンドアであると裁定した。その後ベンドアは上記の通り活躍し、問題は忘れ去られたかに見えた。ちなみにベンドアと疑われたTadcasterはさしたる活躍もできなかったようである。
しかし問題は約130年を経て再燃する。科学の発達によって骨格からDNAを抽出して血統を調査する方法が確立され、歴史的名馬についても調査が行われた(イギリスでは名馬の骨格を保存するのは珍しくない)。ベンドアでも同様の調査が行われたが、その結果がベンドアの血統と辻褄が合わなかったのである。
まず前提として、競走馬には「ファミリーナンバー」という分類が存在する。これはサラブレッドの牝系をさかのぼり、作成当時の1895年時点で英ダービー、オークス、セントレジャーの勝ち馬が多かった系統から順に1号、2号……と分類したもので、同じナンバーの競走馬は遡ると全て同じ基礎牝馬にたどり着く。最初に提唱されたのは43号までであるが、現在は公式に51号まであるらしい。詳しくは「ファミリーナンバー」の項を参照。
この分類によれば、ベンドアの母Rouge Roseはファミリーナンバー1号族に属する牝馬であった。ミトコンドリアDNAは母系遺伝なので、ベンドアも当然1号族のミトコンドリアDNAを持つはずである。しかし調査の結果、ベンドアの骨格からは2号族のミトコンドリアDNAが検出されたのである。そしてその2号族に属するのが、他でもない、入れ替わりを疑われた2号族の牝馬Clemenceの産駒Tadcasterであった。この期に及んで、ベンドアとTadcasterが入れ替わっていたという主張の信憑性が急激に増してきたのである。
もっとも、ベンドアの骨格が2号族のDNAを持っていたからといって、ベンドアが数多い2号族の中の1頭であるタドカスターと入れ替わっていたとは限らない。そもそもこの骨格がベンドア(と言われた馬)のものかどうか疑わしいという意見もある。しかし少なくとも、ベンドアとして後世に伝わった馬が本来のベンドアではない可能性は高いのである。
既に国際血統書委員会が「過去の血統表をいまさら書き換えられない」として血統表の修正を否定しているし、はるか昔の出来事を気に留める人も少ない。何より、たとえ入れ替わっていたとしても、ダービーを勝利し種牡馬として名を残したのがこの馬であることに変わりはない。しかしこの入れ替わり問題は、サラブレッドが血を残す限り特異点として残っていくのである。まあ、DNA調査をしたら、遺伝子と血統表に矛盾がある牝系がずいぶん多かったらしいし、単に当時の競走馬の扱いと分類が雑すぎただけのような気もするけど。
血統表
Doncaster 1870 栗毛 |
Stockwell 1849 栗毛 |
The Baron | Birdcatcher |
Echidna | |||
Pocahontas | Glencoe | ||
Marpessa | |||
Marigold 1860 栗毛 |
Teddington | Orlando | |
Miss Twickenham | |||
Ratan Mare | Ratan | ||
Melbourne Mare | |||
Rouge Rose 1865 栗毛 FNo.1-k |
Thormanby 1857 栗毛 |
Windhound | Pantaloon |
Phryne | |||
Alice Hawthorn | Muley Moloch | ||
Rebecca | |||
Ellen Horne 1844 黒鹿毛 |
Redshank | Sandbeck | |
Johanna | |||
Delhi | Plenipotentiary | ||
Pawn Junior |
クロス:Muley 5×5(6.25%)、Touchstone 5×5(6.25%)
関連動画
ない。子孫はSS産駒でもND産駒でも探してくれ。だいたい全部子孫だ。
関連コミュニティ
関連項目
Bend Or 1877
|Kendal 1883
||Galtee More 1894
|Ormonde 1883
||Orme 1889
|||Flying Fox 1896
||||Ajax 1901
|||||Teddy 1913 →テディ(競走馬)の記事参照
|||Orby 1904
||||The Boss 1910
|||||Golden Boss 1920
||||||Gold Bridge 1929
|||||||Vilmorin 1943
||||||||Quorum 1954
|||||||||Red Rum 1965
|||||Sir Cosmo 1926
||||||Panorama 1936
|||||||Sullivan 1944
||||||||Silky Sullivan 1955
|||||||Whistler 1950
||||||||*サウンドトラック 1957
|||||||||ナオキ 1969
||||Grand Parade 1916
|||||Diophon 1921
||||||*ダイオライト 1927
|||||||タイレイ 1937
|||||||セントライト 1938
|Bona Vista 1889
||Cyllene 1895
|||Captivation 1902
||||Kircubbin 1918
|||||Chateau Bouscaut 1927
||||||The Phoenix 1940
|||||||*ライジングフレーム 1947
||||||||セイユウ 1954(アラブ)
||||||||オーテモン 1955
||||||||シユンエイ 1955(アラブ)
||||||||ヒシマサル 1955
|||||||||ヒシマサヒデ 1962
||||||||||ヒシスピード 1974
||||||||タカライジン 1959(サラ系)
|||Cicero 1902
|||Polymelus 1902
||||Pommern 1912
||||Phalaris 1913 →ファラリス(競走馬)の記事参照
|||Minoru 1906
|Ornus 1891
||Olambala 1906
|||Campfire 1914
||||クレオパトラトマス 1932
|Radium 1903
||Night Raid 1918
|||Phar Lap 1926
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