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ベーリング
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曖昧さ回避

ベーリングとは、以下のものをす。

  1. ヴィトゥス・ベーリング - 18世紀の探検、航士。ロシア北方を探検した。
  2. ベーリング - アリューシャン列島カムチャッカ半島シベリアアラスカなどに囲まれた。命名は1にちなむ。
  3. ベーリング峡 - ベーリングに存在するユーシア大陸北アメリカ大陸の間にある峡。命名は1にちなむ。
  4. BERING - デンマーク腕時計ブランド
  5. フランス生まれの競走馬この記事で記述

ベーリング(Bering)とは、1983年フランス生産・調教競走馬アメリカフランス種牡馬である。

その名から連想される「北のの如き末脚を持ちながら、同期には「不屈の勇者」がいたためにフランス最大のタイトルを逃した時代に恵まれなかった
名はアークティクターン(キョクアジサシ)から連想して、白夜める渡り鳥キョクアジサシの繁殖地の一つでもあるベーリングから取ったと思われる。

概要

フランス史上最強とも言われるシーバード産駒であるアークティクターン、はボーン、リファールフランス色が濃い配合である。
リファールを管理したアレック・ヘッド氏が所有するケスネー牧場で生まれ[1]アレック氏の妻の名義でクリスティアーヌ・ヘッド師に預託されたコッテコテヘッドブランド

クリスティアーヌ師のであるフレデリックヘッド騎手を背に2歳の10月デビューするが、3着に敗れてしまう。しかしすぐに巻き返して2戦で初勝利を挙げ、クラシックに向けて休養となる。
3歳はGIIノアイユ賞から始動。ここからゲイリー・ムーア騎手に乗り替わりオールヘッド体制は崩れたが8身差で圧勝。ジョッケクルブ賞(フランスダービー)のステップだったGIIカール賞も2身差付けて快勝。
ジョッケクルブ賞(当時2400m戦)ではプール・デッセ・デ・プーランやリュパン賞などGI3勝を含む4戦敗で1番人気必至であった*ファストトパーズが故障して離脱したため、前戦の勝ちっぷりが評価されたベーリングが1番人気を背負った。
レースでは大逃げを打ったハイペースとなった中、4を3番手で回って直線で一気に突き抜けるとグイグイ伸び、追い込んできたアルタヤンを1身半差つけて退けて快勝した。
タイムトップヴィル[2]が計測した2分253を12縮める2分241というスーパーレコードとなった。ジョッケクルブ賞は後に施行時期が近いダービー差別化を図るべく距離短縮され2100mになるのだが、このレコードは破られないまま距離短縮となった。
この走りは衝撃的であり、マスコミ"a storming run"(猛な走り)と形容。凱旋門賞前売りでも1番人気に躍り出た。この後はアイリッシュダービーに出走しダービーを勝った*シャーラスタニ突するプランもあったが、フランス競馬人最大標である凱旋門賞に万全の体制で臨むべくまで休養を選んだ。

9月に復帰し、凱旋門賞プレップのGIIIニエル賞を難なく2身半差を付けて快勝。凱旋門賞に向かうが、1番人気の座はすでに奪い去られていた。1番人気となったのはジョッケクルブ賞の4日前、ダービーにおいて信じられない末脚を見せながら*シャーラスタニを捉えきれなかった*ダンシングブレーヴである。
ベーリングが休養している間にエクリプスステークスキングジョージを圧勝。ステップに選んだGIIIセレクトステークスでもレコード勝ちして々と歩を進めてきた、末脚自慢の怪物である。
この年の凱旋門賞はメンツがおぞましいことになっており、

など、今でも最高レベル凱旋門賞と呼ばれるメンツがそろっていた。その中でも1番人気こそ取られたがベーリングは2番人気。実はもちろんシーバードの孫という血統も相当評価されたと思われる。
レースではベーリングが中段待機、*ダンシングブレーヴはその更に後ろに取った。フォルスストレートを抜けて直線に入ると、キングジョージ2着のシャルダリ・*シャーラスタニトリプティクあたりがいい手応えで抜け出しにかかるが、一番外からベーリングが脚一、なでりにする勢いで上がってきた。
ジョッケクルブ賞で見せたのような末脚が炸裂する! シーバードの孫が再び欧州最強として君臨するんだ!(*^◯^*)ロンシャン競馬場が盛り上がる!

……のも束の間、途方もい勢いのが吹き抜けていった。*ダンシングブレーヴである。ロスロスになるベーリングのさらに外から本当に一で全まとめてぶっこ抜き、その勢いのまま1身半差という決定的差をベーリングにつけて圧勝した。
タイムもデトロ[3]の2分280を0.3更新する2分277のレコードタイムだった。
ベーリングも相当強い競馬をしており、普通の年であれば先頭でトリプティク以下を従えて勝っていたのはベーリングだったし、もしかしたらレーティング歴代首位もシーバードの孫である彼が取っていたかもしれないし、レコード更新したのも彼だったかもしれない。とにかく生まれた時代が悪かった。

ジョッケクルブ賞の勝ちっぷりや血統が評価され、凱旋門賞でも*ダンシングブレーヴにこそ敗したがタイムフォーム社評価が136ポンド、クラシフィケーション評価が134ポンドと高かった事もあって種牡馬オファーが届き、3歳限りで競走生活から引退となった。
通算7戦5勝。GIジョッケクルブ賞のみであったが、ただのGI1勝以上の価値を示せたと言えるだろうか。

1987年アメリカ種牡馬生活を開始し、1992年には生まれ育ったケスネー牧場に帰って種牡馬生活を続行。ステークスイナー77頭、GIもペニカンプ(2000ギニー他GI3勝、半に本邦輸入種牡馬*ナスエルアラブ)・アメリカポスト(プール・デッセ・デ・プーラン他GI3勝)らを輩出し、非流血統としては成功と言える結果を残した。日本では多くはない数が輸入され、持込ケープリズバーンTCK女王盃を制したのが最高成績である。
としても日本種牡馬入りした*ハービンジャーゴールドカップ3連覇・グッドウッドカップ4連覇を達成した近代最高のステイヤー・ストラディバリウスを輩出した。
後継種牡馬はペニカンプが手にずっこけたがアメリカポストが活躍。アメリカンデヴィルロビンオブヴァンを出してこの2頭がフランスで踏んっており、シーバードの血・レイズアネイティヴを通さないネイティヴダンサーの血を繋いでいる。
アメリカポストは*リリサイド、つまりリスグラシューに当たるので*リリサイド牝系の発展次第では日本にもガッチリ根付くかもしれない。

2009年限りで22年の種牡馬生活を終えて引退し隠居。その二年後の11月リンパ管の炎症をこじらせて安楽死となった。28歳の晩であった。
彼から栄誉を奪っていったダンシングブレーヴは難病に苦しみながら勇者として強く誇り高く生き抜いたが、長寿は得られなかった。
それにべればベーリングは穏やかに長寿を享受し全うしたと言えようか。

血統表

Arctic Tern
1973 栗毛
Sea-Bird
1962 栗毛
Dan Cupid Native Dancer
Vixenette
Sicalade Sicambre
Marmelade
Bubbling Beauty
1961 栗毛
Hasty Road Roman
Traffic Court
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Beaune
1974 栗毛
FNo.7-f
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Barbra
1969 黒鹿毛
Le Fabuleux Wild Risk
Anguar
Biobelle Cernobbio
Le Beloli
競走馬の4代血統表

クロスAlmahmoud 3×5(15.63)、Native Dancer 4×5(9.38)、Prince Bio 5×5(6.25)

主な産駒

関連動画

ダンブレの凱旋門賞しかなかった。やっぱりな♂
何回見ても普通ベーリングが差し切って終わりなんだよなあ……

関連項目

脚注

  1. *イギリスで生まれたという説もある。
  2. *モンジューやイェーツ、ダーレミのとして現代にも名を残す種牡馬
  3. *後に息子カーネギーが凱旋門賞を制し、子制覇を達成した名

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ベーリング

1 ななしのよっしん
2022/03/10(木) 20:01:31 ID: KvUcFyqKEe
まさかベーリング掲示板があるとは…

にもお爺ちゃんシーバードの2着だった
リライアンスと同じ匂いがするんだよね…
👍
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2 ななしのよっしん
2023/04/18(火) 09:31:50 ID: 9UBwCUoErf
としてはかなり優秀
日本でも有名なハービンジャーや去年の2歳レーティングトップだったリトルビッグベアなど
👍
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