ペナン沖海戦とは、大東亜戦争末期の1945年5月16日に生起した日本海軍vsイギリス東洋艦隊の海戦である。大東亜戦争及び第二次世界大戦における最後の水上戦闘である。
概要
背景
大東亜戦争末期の1945年初頭、アメリカ軍のフィリピン上陸や硫黄島の失陥、4月1日より始まった沖縄への上陸作戦により日本本土と東南アジアの航路は完全に閉ざされた。孤立無援と化した南方資源地帯には第10方面艦隊や若干数の艦艇が展開していたが、動ける有力艦艇は北号作戦で帰国。それでも数隻の重巡洋艦がシンガポールに残っていたが、このうち高雄と妙高は大破して戦力にならず、水上機母艦能登呂も修理不能の深手を負って身動きが取れずにいた。その中で数少ない稼働戦力と呼べたのは第5戦隊の重巡洋艦羽黒、足柄、駆逐艦神風の3隻であった。
東南アジアにも連合軍の包囲が迫る中、ベンガル湾に浮かぶアンダマン・ニコバル諸島では、補給の途絶により日本陸軍の将兵が厳しい自活を強いられていた。およそ3000名が飢餓に苦しみ、700名の病人が薬も無く死を待っている。連合軍にとって同島は戦略的価値が低く本格的な上陸が無いと予想されたため、日本側は兵力を撤退させてシンガポール方面の防衛に充てようとした。しかし3月26日に行われた撤収作戦はイギリス海軍の妨害で失敗してしまう。陸軍からは撤退の要請が繰り返し行われ、海軍は損傷が少ない重巡洋艦羽黒と駆逐艦神風の投入を決断する。5月2日、第10方面艦隊司令よりアンダマン・ニコバル諸島への物資輸送命令が下った。翌3日、シンガポールへ回航された羽黒は第101海軍工作部のドックに入渠し、輸送作戦の準備が行った。5月5日早朝、サイゴンへの輸送任務を終えた神風がシンガポールに入港。遅れて準備に入った。機密の漏洩を防ぐため、物資の搭載は岸壁ではなく沖合いで行われた。5月7、8、9日の3日間で搭載作業を終了。羽黒は通常時の半分の弾薬のみ積載し、甲板上に補給物資を満載。神風も魚雷と魚雷発射管を撤去し、物資の積載量を強引に増やした。アンダマン・ニコバル諸島に物資を送り届けた後は、空いたスペースを使って現地の将兵を何割か連れて帰る予定だった。
5月12日、2隻はシンガポールを出港。神風が前路哨戒を担当し、潜水艦を警戒して之字運動をしながら18ノットの速力で走った。ところがこの動きはイギリス潜水艦ステイツマンとサトルに探知され、ラングーン占領作戦の支援をしていた第61部隊に通報される。羽黒と神風は行き先を偽装するため、あたかもインド洋に向かうかのように進路を取った。だがこの策略は、5月14日に敵艦載機に発見された事で露呈してしまった。第61部隊はマンリー・パワー大佐率いる第26駆逐隊を派出し、羽黒及び神風攻撃に向かわせた。一方、羽黒と神風も翌15日に第10方面艦隊から通報を受け、イギリス艦隊が動いている事を察知した。このまま進めば虎口に飛び込み、数の暴力で叩きのめされてしまうだろう。第5戦隊司令の橋本信太郎中将は作戦の中止を決定。シンガポールへ引き返すよう命じた。
ペナン沖海戦
5月16日午前2時10分、羽黒の電探が艦影を捉えた。シンガポール近海だったため味方かと思われたが、その正体は敵第26駆逐隊の駆逐艦5隻…ソマレズ、ヴェルラム、ヴィジラント、ヴィラーゴ、ヴィーナスであった。昼間であれば重巡の火力を発揮できたが、今は月明かりに照らされた夜。駆逐艦の世界だった。敵は息を殺してこの時を待っていたのである。
羽黒のスクリューシャフトは損傷しており、全力を出しても逃げ切れない事から戦闘を決意。だがこれまでの戦闘で第2砲塔は損傷、甲板上に積まれた物資は円滑な砲塔旋回を阻んだ。輸送物資の投棄が行われたが、こうしている間にも敵艦隊は迫ってくる。まずソマレズからの砲撃で神風が被弾し、ドラム缶に入れていた弾薬や燃料に引火。爆発により27名が死亡し、14名が負傷している。神風は必殺の酸素魚雷を持っていなかったため、やむなく12cm砲で反撃。位置を喧伝しかねないとして探照灯はつけなかった。
ようやく照準を定めた羽黒は主砲を発射し、ソマレズに命中弾を与えて戦線離脱させた。神風は羽黒を守るため煙幕を展開するが、奮戦むなしく羽黒の艦前部に魚雷が直撃。これが致命的な一打となり、艦内の電源を喪失。全て人力で行わなければならなくなる。これを好機と見た敵駆逐艦は一斉に羽黒を攻撃。形勢不利と見た羽黒は神風に撤退指示を出したが、電力喪失の影響で届かなかった。
午前2時50分、神風も形勢不利と判断。煙幕を張りながらシンガポールへ急いだ。集中砲火を受けた羽黒は甲板にあった燃料が引火して大破炎上。沈没は時間の問題となった。だが乗組員たちは最期の時まで反撃を続け、操舵と砲撃を行っていた。時折打ち上げられる照明弾が夜の海を昼間のように照らす。2本目の魚雷が命中し退艦命令が出されるも、持ち場を離れる乗組員は殆どいなかった。邪魔な物資が無くなった事で羽黒の砲撃は海戦開始時より苛烈化し、約1時間もの間、猛然と戦い続けた。3本目の魚雷が直撃した時、偶然にも傾いていた羽黒の船体は水平に戻された。おかげで後部高角砲や機銃の射撃がやりやすくなった。だが艦首部分はどんどん沈み始めている。
午前3時33分、力尽きた羽黒は沈没。乗員1055名中751名が戦死した。
その後
神風は無事シンガポールに逃げ込んだ。物資と遺体を降ろし、燃料補給を済ませるとすぐさま生存者の救助に向かった。ペナン基地から出撃した2機の水偵に誘導され、現場海域で救助活動を開始。日没ぎりぎりまで救助を続け、波間に漂う生存者320名を救い上げた。敵の追撃は無く、羽黒の生存者をシンガポールで降ろして任務を終えた。二度の失敗でアンダマン・ニコバル諸島の撤収作戦は打ち切られ、現地の将兵と島民は飢餓との戦いを強いられる事になる。
羽黒の沈没により第10方面艦隊の戦力は足柄と神風だけとなり、その足柄も約2ヵ月後に沈没。最後に残った神風はタイ・シンガポール間の輸送任務に臨み、多くの爆撃機や潜水艦に襲撃されたが無事終戦まで生き残っている。
関連項目
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