ペレストロイカ(露:перестройка)とは、1985年にソ連共産党書記長に就任しソ連の最高権力者となったゴルバチョフが推し進めた一連の政治改革である。最初は経済から始まったが最終的に政治体制の大幅な変更まですすみ、共産党の一党支配体制は崩壊し、ひいてはソ連解体の遠因となった。ペレストロイカはロシア語で再(ペレ)構築(ストロイカ)と言う意味であり、英語で言うところのリストラクチャリングに相当する語である。
概要
ゴルバチョフ就任当時ソ連の経済は危機的状況に陥りつつあり、これを打開する必要があった。また、政治体制の硬直化も著しくセクショナリズムや秘密主義が蔓延していたため、ソ連の崩壊を防ぐためには体制の抜本的改革を必要としていた。
これらを達成するためにゴルバチョフによって展開された一連の改革がペレストロイカであり、その内容は計画経済の停止と市場経済の導入、共産党の一党支配の否定、民主的選挙の導入、大統領制の導入、新思考外交による東西緊張の緩和、東欧の衛星国に対するソ連の指導性の否定(シナトラ・ドクトリン)、グラスノスチ(情報公開)による思想言論報道などの自由化などである。
結果として、経済面に関しては計画経済の完全廃止までは進まず、かえって混乱が増し物価上昇と物不足が市民生活を直撃、市民の不満が高まる結果となり経済改革は失敗した。グラスノスチは民主選挙の導入などの政治改革とともにソ連の民主化の原動力となったが、共産党幹部の汚職なども公開され共産党の求心力は一気に低下した。新思考外交とシナトラ・ドクトリンは東西の緊張を緩和させ冷戦は終結し東欧の民主化も進んだものの、ソ連邦構成国の独立機運の高まりも招き連邦の解体へと至る道を進むこととなった。
また、ペレストロイカの進め方をめぐり保守派と急進派の対立が激化。穏健改革派だったゴルバチョフは両派をまとめることができず、保守派による8月クーデターが発生。これに民衆の不満を吸収し勢力を拡大していたエリツィン率いる急進派が反発、クーデターは失敗しこれがソヴィエト連邦にとどめを刺すこととなり、同年12月25日ゴルバチョフがソ連大統領を辞任しソヴィエト連邦は崩壊した。
関連動画
ペレストロイカに関するニコニコ動画の動画を紹介してください。
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 1
- 0pt