ホルヘ・ロレンソ単語

ホルヘロレンソ
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ホルヘ・ロレンソexitとは、スペインの離パルマ・デ・マヨルカexit出身のオートバイレーサーである。

1987年5月4日生まれ。
2002年5月4日に史上最年少の15歳1日でMotoGP125ccクラスデビューした。
2006年2007年250ccクラスチャンピオンを獲得。

2008年から2016年までヤマハワークスで最大排気量クラスに参戦、3回のチャンピオンを獲得した。

2017年2018年ドゥカティワークスから参戦し、3勝を挙げた。

2019年からはレプソルホンダから参戦する。

ゼッケン、ヘルメット、好みのデザイン

ゼッケン99番

2002年125ccクラス時代から2008年シーズンまで、48番のゼッケンを使用していた。
当時の個人マネージャーであるダニ・アマトリアインが現役時代に付けていたのが48番exitで、
その番号を授けられていた。

2008年シーズン途中にダニアマリアインとの関係が悪化、ホルヘは心機一転するために
新しいゼッケン募することにした。23と99が最終補に残り、ホルヘは99を選択した。
2009年からは99番を使用している。

2010年に最大排気量クラスチャンピオンを獲得したので、翌2011年はゼッケン1番を付けた。
このときのデザインはこんな感じexitで、ホルヘ・ロレンソの頭文字JとLを組み合わせたものとなっている。

2013年2016年もゼッケン1番を付ける権利があったが、ホルヘはその権利を行使せず、99番を付けた。

ライダースーツとヘルメット

ライダースーツアルパインスターズexit契約している。

同社はイタリア北部のヴェネト州アーゾロexit1963年に起業した。アルプス山脈沿いの山地で、
スキー用の靴や登山用の靴を作っていたのが始まりである。

アルプス山脈をイタリア語でAlpiという。社名もアルプス山脈が由来となっている。
アルプス山脈に生えているエーデルワイスexitというものがあり、そのイタリア語名がStella Alpina
それを英語にAlpinestarsと表現し直して、社名にした。

エーデルワイスの形はstar)に似ている。アルパインスターズのロゴexitがあるのはそのため。


2002年から2006年までスペインのヘルメットメーカーNZIexit契約

2007年から2012年までX-lite契約。これはイタリアのNolanのブランドである。

2013年から2015年までは韓国ヘルメットメーカーHJC契約していたが、内装部品がずり落ちる、
シールド曇る、などのトラブルがたびたび起こっていた。

2016年からはフランスヘルメットメーカーSHARK契約している。

悪魔と天使デザインと、悪魔デザイン

ヤマハ時代は左の9がツノ(悪魔)、右の9が輪っか(天使)というデザインexitを採用していた。

もともとは悪魔モチーフのゼッケンを付けようとしたが、ヤマハワークスボスである
リン・ジャーヴィスexitに「悪魔というのはちょっと・・・あんまり嬉しくないな」と言われた。
そこで、半分だけ天使デザインに変更したのだった。

ドゥカティに移籍してからゼッケン99のデザイン角が生えたものexitになっている。
Twitterでも可愛い悪魔絵文字を多用していて、その絵文字をライダースーツの尻に付けているexit

2017年オーストリアGPでは悪魔モチーフのヘルメットexitを被っている。

チュパチャップス・ヘルメット

10歳の頃から2008年までスペインバルセロナの製菓企業チュパチャップスと契約していた。

チュパチャップスデザインヘルメットを被り、表彰台にチュパチャップスを咥えながら登壇していたexit

このチュパチャップスもダニアマリアインが紹介してきたスポンサーであった。
ダニアマリアインとの関係が非常に悪化し、彼の記憶を消し去る必要に追われたホルヘは、
2008年シーズン末にチュパチャップスとの契約を打ち切った。

黒地・白丸・赤バッテン、ブラックマンバ

2009年以降のヘルメットデザインは、黒地・白丸・赤バッテンexitのものである。

このデザインは正式にはスペイン語で「Por Fuera」という。Porは前置詞で、Fueraは外という意味。
つまり「外から」という意味である。

ホルヘのキャリア初優勝は2003年第12戦のブラジルGPである。このときケーシー・ストーナー
ダニ・ペドロサを外から一気に抜いていって、鮮やかに勝利した。
この、外からぶち抜いていった勝利のことを記念して、ぐるっとコーナーを回る様子をデザイン化して、
「外から」という名前を付けた。※この記述の情報こちらexit


い○を描いているのは、ブラックマンバというである。
白っぽい灰色の外見exitをしている。なぜブラック)と呼ばれるかというと、口の中がだから。

ブラックマンバ世界最強として知られている。

たまにホルヘがヘビポーズをして遊ぶexitことがあるが、それはブラックマンバイメージしている。

画像検索すると、ブラックマンバをイメージしたヘルメットexitをしばしば被っていることがわかる。

スパルタ兵士

ホルヘ・ロレンソのシンボルというとスパルタ兵士である。

古代ギリシャにスパルタというがあり、そこでは少年へ厳しい教育をして、軍人を作り上げていた。
これがスパルタ教育となった。そのスパルタの兵士というとこんなイメージで描かれるexit
モヒカンがついている兜を被って戦場で戦うのがスパルタの兵士である。

スパルタのモヒカン兜の横に翼を描くexitというのも定番のデザインであるらしい。

ホルヘはこれを見て気に入って、スパルタ兵士風のデザインを自分のデザインにしたexit
モヒカン兜に、と、まるっきりのスパルタ兵である。

ホルヘは父親にスパルタ教育を受けて育てられてきて、ホルヘ自身も「バイクに乗って勝つことを
使命として生まれてきたんだ。スパルタ兵士が戦うために生まれてきたのと同じようにね」と言っていて、
スパルタ兵士と自分を重ね合わせている。

ハンマーとバター

ハンマーバター英語hammer butterスペイン語martillo mantequilla という。

これはホルヘが幼い頃の記憶から着想を得た。
元2輪レーサーモトクロス)の父親はしばしばハンマーを使ってバイクいて直していた。
母親バターを器用に滑らかにパンに塗っていた。

そうした両親の姿を思い起こし、両親の良さを引き継ぐため、ハンマーバターを自分のデザインにした。
時にはハンマーのように強く、時にはバターを塗るように滑らかで丁寧に、という意味。

※この記述の情報こちらexit

2010年のころにはブレーキバーmartilloexitクラッチバーmantequillaexit文字を刻んだ。
ブレーキ強く握るのでハンマーがぴったり。
クラッチギアチェンジの時に滑らかに丁寧に握るので、バターがぴったり。

バターの絵が入ったサインボードがたまに掲げられた。画像1exit画像2exit

2018年カタルーニャGPでは、軽い材料で精巧に作られたダミーのハンマーを優勝した後に渡され、
楽しそうに振り回していた。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit

ライディングスタイル

ホルヘ・ロレンソのライディングは2016年までと2017年以降で変化している。

ヤマハワークス時代

コーナーリングスピードを高める

2016年ヤマハワークス時代まで、コーナーリング速度一杯高める走りだった。

ブレーキングはさほど頑らず、攻めすぎないように常に心がける技巧ライダーであった。
この走り方がヤマハマシン特性にぴったり合致し、9年で3回のチャンピオンいている。

コーナーリング速度を高めていく乗り方は「250乗り」と言われ、最大排気量クラスには向かないと
言われている。「250乗りは大成しない」など、そういう位置づけである。
レプソルホンダ中本修平HRC社長アルヴァロ・バウティスタについて「彼は250ccクラス
乗り方のままだ、あの乗り方は今ひとつだ」とコメントしており、普通250乗りは忌避される。
ところがホルヘ・ロレンソは250乗りで大成した希有な例なのである。

ホルヘはマックス・ビアッジの大ファンで、ビアッジの速いコーナーリングに憧れていたとっている。
また、125ccクラスの頃からコーナーリング速度を稼ぐように意識していたようだ。

コーナーリングする時はバイクを傾けタイヤエッジ部分を使う。タイヤの性が問われる走行になる。
ゆえにホルヘは「タイヤの良さを引き出す走り」と評される。
ホルヘはタイヤメーカーに対する批判の多さが他のライダーより多い印があるが、
良くも悪くもタイヤに頼った走りになっているからそうなるのである。

走行ラインをしっかりなぞる、鉄道のようなグリップ走行

2013年マルク・マルケスは、ホルヘ・ロレンソについてこうっていた。
「ホルヘの後ろについて観察しましたが、毎周全く同じ走行ラインを通っているのでびっくりしました。
は周回ごとに走行ラインが少し変わるんですが、ホルヘは毎周同じなんです」

チーフメカのラモン・フォルカダによると、ホルヘはマシンが動くのをとにかく嫌っていたという。
タイヤをスライドさせず、綺麗な走行ラインを正確になぞっていく、精密機械のような走りだった。

走り方を大きく2つに分けると、タイヤをスライドさせつつ曲がっていくスライド走行と、
スライドをさせないでタイヤをがっちり路面にグリップさせて曲がっていくグリップ走行がある。
ホルヘは典的なグリップ走行だった、ということになる。

鉄道がレールの上を走るかのような走り、と表現されることが多かった。

インをガバガバに開ける

ホルヘの走行ラインはかなり独特で、インガバガバに開けて走る姿が多く見られた。
そうすることでコーナーリングスピードをより高める狙いがあったのであろう。

インガバガバに開けるので、後続のライダーが思わずインに突っ込む。
そこに、とんでもない速さでコーナリングするホルヘが一気に接近していく。
ホルヘが危険に気付き、マシンを立ててコーナーリングを中止して、なんとか難を逃れる。

レース後にホルヘが「危ないだろう!もうちょっとで転倒だったじゃないか!」と怒りまくるが、
インに突っ込んだライダーは「いや・・・あれだけインいてれば入りたくなるでしょ・・・」と言い、
レース運営も「・・・まぁ、お咎めなしって事で良いんじゃないか」と裁定を下し、
それに対してホルヘが「ひどい運営だ!」と怒る。こうしたが、しばしば見られた。

最も有名なのが2016年サンマリノGPのこのシーンexitであろう。

足出しをしない

足出しをまったく行わないことで有名だった。

2009年頃からヴァレンティーノ・ロッシコーナーリング最中にイン側の足をぶらぶらさせる
足出し走法を始め、他のライダーもそれを真似るようになり、足出し走法が大流行した。

ところがホルヘ・ロレンソはどれだけ足出し走法が流行しようが一切それに染まらなかった。

このシーンexit徴的な映像と言える。足出しをするロッシと、足出しをしないロレンソ。

リアブレーキを一切使わない

2008年から2016年までの9年間、リアブレーキを一切使わなかったとはっきり語っているexit

タイヤを滑らせるスライド走行をするときにリアブレーキを使うのだが、ヤマハワークス時代のホルヘは
タイヤを滑らせずに走ることを最重視していた。そのためリアブレーキを使う必要がかった。

ヤマハ関係者のお手本となる

ホルヘ・ロレンソの走り方を絶賛するヤマハの関係者は多い。

ヤマハサテライトのTECH3にいたときは常にロレンソの走りを観察してお手本にしていた。
彼は最高のライダーの1人だ」カル・クラッチローexit

ヤマハマシンを速く走らせるには、ロレンソの走りを真似すれば良いんです」ヨハン・ザルコexit

「ハフィズ・シャリーンにはロレンソの走りを真似するようにと教えました。
レンソがヤマハを去って1年経ちますが、いまだにヤマハにとってのお手本はロレンソなんですよ」
TECH3チーフメカ ニコラス・ゴヨンexit

マーヴェリック・ヴィニャーレスにはロレンソの走り方を学ぶように言った。
ヤマハマシンの良さを引き出すにはそうするのが良い」
ヤマハワークスチーフメカ ラモン・フォルカダexit

ドゥカティワークス時代

2017年ドゥカティワークスへ移籍した後は、必死に努して乗り方を大幅に変え、
ブレーキングをハードにして、リアブレーキを使いリアタイヤをスライドさせる走法に変化していった。
「長年やってきた乗り方を変えるのは大変だ」とコメントしながらも努を続け、
2017年シーズン後半には少しずつ適応して成績を上げてきている。

2018年フランスGPまでのホルヘはレースの後半になるとペースが落ちていた。
エンジンタンクの形状がホルヘに合わず、それで体力を無駄に消耗していたexit

2018年イタリアGPでドゥカティの工場から新しいエンジンタンクが届いた。
そのタンクの形状はホルヘにぴったり合致し、ホルヘはそのレースから快進撃を続けるようになった。

リアタイヤを滑らせてコーナー進入するようになった

ヤマハワークス時代はリアタイヤを流してコーナー進入することをほとんどしなかったが、
ドゥカティワークス時代はリアタイヤを流してコーナーに入っていくようになった。

カタルーニャサーキット1コーナーの進入の様子を見べてみよう。

2014年ヤマハ時代のホルヘはリアタイヤが滑っていないexit

2018年ドゥカティ時代のホルヘは、ずるっとリアタイヤを滑らせてからコーナー進入しているexit


2014年レプソルホンダの両雄は2人ともリアタイヤを滑らせて進入していたexit
ホルヘはこういうスライド大好き人間たちの仲間入りを果たしたのである。

足出しをするようになった

足出し走法を全くしてこなかったホルヘ・ロレンソが初めて足出しをしたとされるのが、
2018年オーストリアGPである。このシーンexitを見たMotoGP観戦者たちに強い衝撃を与えた。

こちらの画像exit2018年サンマリノGPの1コーナー進入の様子。画像の左半分はである。

やっぱり、リアタイヤを滑らせてコーナー進入する走りをしていると、足出ししたくなるのだろう。

短い距離で一気にブレーキングするようになった

ヤマハ時代のホルヘは、めのタイミングブレーキングを開始していて、ブレーキングは弱めだった。

ドゥカティ時代になり、2018年カタルーニャGPあたりになると、ホルヘのブレーキングが
とても強くなった。短い制動距離で一気にマシンを止めるレイトブレーキングをするようになった。

ブレーキングの強さに定評があるアンドレア・ドヴィツィオーゾダニロ・ペトルッチよりも
強くて深いブレーキングをたびたび披露し、ドヴィやダニロをビックリさせていた。

そのほかのライディングの特徴

スタートダッシュが上手い

スタートダッシュが上手く、最初の1周で一気に引き離して先頭を走ることができる。
2009年頃までは他のライダーと同じ程度のスタートダッシュで、レース後半に追い上げるタイプだった。

そんな中、自分と年齢が近いケーシー・ストーナースタートダッシュを見て、
「ケーシーができるのなら、自分もできるはずだ」と思い、あれこれ試行錯誤していったという。
2010年にはケーシー並みのスタートダッシュ技術が完成し、1周から速く走れるようになった。

クリーンで、他のライダーに迷惑をかけない

わりとクリーンライダーで、パッシングも上手く、他のライダーに迷惑をかけることが少ない。


250ccクラス時代までのホルヘはアグレッシブすぎる走りをする乱暴なライダーだった。
「どけどけ!どかんと危ねえぞ!」と言わんばかりの突撃野郎だったのである。

2005年日本GPでもその調子で走っていたが、アレックス・デアンジェリスを転倒させてしまい、
次戦出場停止の厳しい処分となった。

このとき、ホルヘは初めて自分が悪いと思い、心した。
出場停止処分を経てから走り方を全にめ、相手を気遣うクリーンライダーに生まれ変わった。

このためホルヘは、何かをやらかしたライダーに対していつも「出場停止にしろ」という。
「次戦最後尾スタートじゃ甘すぎる。反させるためには出場停止にするのが一番」というのである。
2012年のバウティスタ事件exit2013年のマルク・マルケス事件exit2016年のイアンノーネ事件exit、と、
一貫して全く同じをしている。

得意なサーキット、不得意なサーキット

ホルヘ・ロレンソはチャンピオンライダーで、どこのサーキットでも速い。


ザクセンリンクではキャリア通算でまだ1勝もしていない。
ただし、2009年から2012年まで4年連続で2着に入っており、全くダメではない。
このサーキットホンダが強すぎるので、なかなか1着になれない。

近年、明らかに苦手になったのがTTサーキット・アッセンである。
2010年までで4勝、2着1回、3着1回。ここまでは良かった。

2011年は決勝1周目の5コーナーでマルコ・シモンチェリにぶつけられexit
2012年は決勝1周目の1コーナーでアルヴァロ・バウティスタにぶつけられたexit

そして迎えた2013年6月27日木曜日、この日はが降っていた。
12コーナー(Meeuwenmeer)を過ぎた直後にハイサイド転倒し、左鎖骨を骨折してしまうexit
時速238km走行中の恐るべき大転倒であった。

この転倒がトラウマとなり、翌年以降のアッセンはまるで走れなくなってしまった。

2014年は「ここを走るのが怖かった」「濡れた路面でタイヤが滑ると怪の記憶がよみがえってきた」
と正直に告白しており、後遺症の根深さがうかがわれる。

長引いた2013年の鎖骨骨折

2013年6月27日木曜日オランダ・アッセンで転倒したホルヘ。

転倒直後はこんな感じに左腕を右腕で支えているexit。そうしないと左腕がずり下がって左鎖骨が痛む。
腕というのは結構重いので、鎖骨が折れたら反対側の腕で支えなければならない。

この後すぐにに乗り、アッセンexitからスキポール空港exitまで移動して、すぐに飛行機へ飛び乗った。

折れた状態はこんな感じでexit、このまま飛行機に乗ったわけである。
飛行機の離着陸で気圧が低下し、折したところが死ぬほど痛い。

向かった先はMotoGPライダー行きつけの病院であるバルセロナ市内のキロン・デシェウス病院exitで、
おなじみのハヴィエル・ミール医師exit鎖骨チタンプレートとチタンボルトで固定してもらい、
また飛行機に飛び乗ってオランダに戻ったのである。

治療後の鎖骨の様子はこんな感じexitボルトびっしりで痛そう。

そして土曜日の決勝に強行出場、死ぬほど痛い中を根性で走り5位に入った。
レース後はあまりの痛さに涙を流しexitドルナCEOカルメロ・エスペレータexitが駆けつけるほどだった。

ホルヘに降りかかる災難はこれだけではなかった。
2週間後の2013年7月12日金曜日今度はザクセンリンクの10コーナーでハイサイド転倒してしまうexit

これで左鎖骨を再び強打し、再手術を強いられて、今度こそ万事休すで欠場してしまう。


1週間後のアメリカGP鎖骨が痛むなか強行出場して何とか6位を確保した。

オランダGP・ドイツGP・アメリカGPの結果は5位・欠場・6位となり、この3戦の低迷がき、
僅か4ポイント差で年間チャンピオンを逃してしまった。

合計18本のチタンボルトを左鎖骨に入れたので、これを抜く手術をしなければならない。
この手術は3回行い、手術が終わるころには2013年オフシーズンが終わっていた。

2014年はろくにトレーニングをしないまま開幕を迎えることになり、開幕戦をブヨブヨの肥満状態で
臨むことになり、前半戦の成績が低調に終わった。2013年鎖骨折で2つのシーズンを失ったのだ。

セッティング能力が高い

ライダーセッティングを測るには、ブルノサーキットの成績を見れば良い。
このサーキットMotoGPが開催されるサーキットの中で一番セッティングを出しづらく、
セッティング巧者が繰り返し勝つ傾向が強いサーキットなのである。

ホルヘ・ロレンソはブルノサーキットで5勝、2着4回、3着1回。これは好成績と言える。



実際に、ホルヘと接するメカニックたちはホルヘを高く評価している。
「変更を施したら必ず細部まで確認する」「集中が高く、理論的だ」とのコメントがある。

2017~2018年チーフメカを務めたクリスチャン・ガバッリーニもホルヘを高く評価している。
ホルヘは非常に正確で、細心の注意を払います。それに、非常に敏感にバイクの挙動を伝えますexit
 
また、名物チーフメカのラモン・フォルカダは、ホルヘが「速く走れないが理由が分からない」とは
決して言わないと言している。必ずどこか理由を見つけて摘してくるとのこと。

セッティングイマイチとされるライダーには「速く走れないが理由が分からない」と喋る人が多い。
ホルヘはそういう面々とは少し違うようなのだ。

開発能力が高い

2010年12月31日をもってロッシとヤマハとの契約が満了し、ロッシはドゥカティへ移籍していった。

開発の高さで知られるヴァレンティーノ・ロッシを失ったヤマハは迷走するのではないか、
そのように予測する者も多かったが、ヤマハとロレンソは2012年にみごとチャンピオンを獲得。
開発の高さをしっかり明してみせた。



マシンの開発でライダーめられるのは、部品と部品の違いを見つけ出し、
「この部品はダメだからこれ以上作らなくて良い。こっちの部品だけ作れば良い」と言いきって、
メーカーの開発部門の負担を減らしてあげることである。
ごく僅かに違う部品を2つ渡されて片方1つをボツにすることができれば、
メーカーの開発部門の労50%減ることになる。

開発が低いライダーは「こっちの部品も良いし、あっちの部品も良い。違いがよく分からない。
両方とも捨てずに作り続けてくれ」と優柔不断なことを言うものである。
そういう言い方をされるとメーカーの開発部門は2種類の部品をそれぞれ研究し続ける羽になり、
いつまで経っても労が減らないのだ。

ホルヘ・ロレンソは前者のタイプで、部品を2つ渡されたらキッパリと「こっちがいいから
こっちだけ作ってくれ。あっちはボツだから、もう作らなくていい」と言うことができる。

このことは、名物チーフメカのラモン・フォルカダが次のように証言しているexit
ファクトリーライダーは、2つの非常に似た仕様から1つを選択する必要があります。
ホルヘは、彼の性格からにも影されることはありません。
エンジニアたちが嫌がることをハッキリと言え、何が機しないかを伝えるが優れています。」

ラモン・フォルカダは、「ホルヘは意志の強い性格なので、
エンジニアが嫌がること(この部品はダメだ、とボツにすること)をハッキリ言うことができる」
と言っているのである。

性格

ホルヘは喜怒哀楽しく、さまざまな表情を見せてくれる。

優勝すると機嫌が良くなり、嬉しそうな笑顔になる。

基本的にチヤホヤされるとすごく喜ぶタイプなので、各種イベントにはウキウキの笑顔でやってきて、
楽しくファンと交流する。

反面、成績が振るわないと不機嫌顔になり、不機嫌モードがずっと続く。
ムスッとした表情で記者会見に応じ、コメントの量も少なくなる。
マルク・マルケス父親フリア・マルケスexit子どもたちに「いつも笑顔を忘れるな」と導していたが
ホルヘにはそういうことを言ってくれる人がいなかった。いや、いることはいるのだが、
ちょっとした事情があってすこし離れたところに行ってしまったのだ。
この不機嫌顔の多さでホルヘは損しており、良いイメージを失ってしまっている。

また、ホルヘは後述するように相当の苦労人であり、ちょっとした人間不信に近い状態であるらしく、
100%人を信用することができない。90ならなんとか信用できる」とっているほどである。
インタビューしてくる記者に対しても少し警心を抱くタイプのようで、
条件で満面の笑みになることが少ない。この点でも少し損している。

対話を重視する

ホルヘはわりと慢強いタイプで、対話を重視するタイプである。


迷惑をかけてきたライダーに手を出すこともしない。MotoGP世界には迷惑ライダーをどつく人や
ヘルメットを被ったまま頭突きする人がいたのだが、ホルヘはそれをしない。

ライダーに対してメディアを通じて一方的に言って反論の機会を与えない、ということをしない。
メディアを通じてライダー批判した後、そのライダーピットへ乗り込んでいって会談し、
相手に反論の機会をちゃんと与えることが多い。
ホルヘの父親はホルヘに対して厳しかったが、自由に反論する権利だけはホルヘに与えていた。
ホルヘはこの点だけは父親を見習っているのである。

2017年の日本GPでヨハン・ザルコと接触し、exitレース後に「あいつはプレステでもやってるつもりか」
メディアを通じて批判した。この批判の後にホルヘはヨハンのピットへ乗り込み、会談しているexit

2011年シーズン中盤に、メディアを通じてマルコシモンチェリの危険性を批判したが、
その後に開の場でマルコ話し合いをしている。「君の走りは危険すぎる」というホルヘに対して
「そっちだって250ccの時は危険だったじゃないか、出場停止になったこともあっただろ」と反論され、
見事に「ぐぬぬ・・・」状態になっている。

ホルヘの行動を観察すると、わりと人に対して当たり散らすことをしていないことが分かる。


ただ、人に当たらない代わりに、物に当たることがときおり見受けられる。
怒りが物に向かってしまうわけだ。さすがにすべてにおいて怒りをこらえることはできないようだ。

2012年のアッセンでアルヴァロ・バウティスタにぶつけられ、グローブをブン投げるホルヘその1exit
2012年のアッセンでアルヴァロ・バウティスタにぶつけられ、グローブをブン投げるホルヘその2exit
2013年のヘレスでマルク・マルケスにぶつけられ、ハンドルを叩き付けるホルヘexit
2017年のテルマスデリオオンドで転倒し、マシンを突き倒すホルヘその1exit
2017年のテルマスデリオオンドで転倒し、マシンを突き倒すホルヘその2exit

これでまたしてもホルヘはイメージを損ねてしまっているのであった。

馬鹿にされても怒らない

ホルヘは暇ができるとTwitterり付くことがあり、マメにリプ返しすることがある。

2015年チャンピオン獲得後もTwitterでリプ返ししていた。
このときはロッシ・マルケス接触事件の直後で、大騒動が起こっていて、ホルヘのところにも
「君1人ので獲ったタイトルじゃないだろ!」「八百長だ!」などといった
馬鹿にしてくるリプが多く来ていた。

ホルヘはそういうリプにもいちいち返信していた。(ブロックすればいいのに・・・)

邪魔をされると怒る

とはいえ、ホルヘは全く怒らないというわけではない。怒るときはどーんと怒る。

どういうときに怒るかというと、「邪魔をされた」と直感したときに怒るタイプである。

こちらの動画exitの0分38あたりで、いかにもホルヘらしい怒りが見られる。
ピットに進入しようとしたら邪魔されて、「何だ!」という感じで頭を振り、手を広げて不満表明した。

2006年第3戦トルコGP250ccクラスで、青山周平がホルヘに追突し、ホルヘを転倒させた。
ホルヘは青山に対して激怒の限りを尽くしていた。


チーム関係者に怒ることがある。セッティングが何かおかしくて、自分の走りを邪魔されたと思うと、
取り乱すかのように怒る。
このシーンexit2018年カタルーニャGPの一幕で、チームが取り付けたタイヤの暖まりが非常に悪く、
ホルヘが「どういうことなんだ!」という感じで、ちょっとパニック気味になって怒っている。

ただ、ホルヘと9年間一緒に仕事をしてきたウィルコ・ズィーレンベルグexitは、
「ホルヘは結構よく怒るんだけど、10分経ったら元通りに落ち着くんだ」とこの記事exitっている。

家族

ホルヘのたまにホルヘのTwitterに登場するexit

ホルヘの母親スペイン夫婦別姓なので結婚したときもゲレーロ姓のままであった。
ホルヘの本名は両親の姓をとって「ホルヘ・ロレンソ・ゲレーロ」である。

もともと2輪レーサーだった。画像1exit画像2exit

シーズンオフはしばしばホルヘのSNSに登場する。画像1exit画像2exit画像3exit

たまにしかサーキットにやってこない。あまりレースは好きでないという。

2009年カタルーニャGPにやってきていたが、「もう見てられない!」という感じであったexit
2010年バレンシアGPにも来ていて、国歌演奏の時に映っていた。

ホルヘには慕われていて、「母さんはいつも情を注いでくれた」とっている。

ホルヘがレース活動を始める前に離婚した。なぜ離婚したかは次の項を読めばだいたい分かる。

離婚後もパルマ・デ・マヨルカに住んでいる。

ホルヘの父親。 公式Twitterアカウントこちらexit「チチョ」と呼ばれているexit

Chico Lorenzoexit検索してもヒットするので「チコ」と読みたくなる。


チチョはもともとガリシア州exitに住んでいて、そこでモトクロスレースを行っていた。
パルマ・デ・マヨルカexitに移ってきてから舗装したコースレースに転向してレースを続けたという。

ホルヘが3歳の時にバイクを買い与え、ホルヘに特訓を与えるコーチになる。
導は厳しく、いつもストップウォッチを持ってタイムを計測し、上手くいかないと怒鳴っていた。

殴るなどの体罰はしなかったようで、ホルヘマリアは「ホルヘはいつも父親に逆らっていた」
「叱られたら『なんでだよ!』と反抗していた」と言っている
体罰を受けると反抗する気が失せるものである。反抗をしていたのは体罰がなかった有
体罰をせずに、口で罰を与えてくる人だった。理詰めで説教してくるタイプだった。

ホルヘの欠点弱点を巧みに見抜き、常に適切な標を与えていた。コーチとしては優秀だった。
ホルヘも「今の自分があるのも親父のおかげ」と感謝の言葉を述べている。
ただ、とにかく厳しかったようだ。「親父の教え方は苦手だった」と言っている。

チチョは「酷いタイムだ!」と怒鳴りつけ、ホルヘは泣きながらも走り出し、良いタイムを出す。
するとチチョはマリアに「ほらみろ、怒鳴ると効くんだ」「あいつは厳しくすると伸びる
と言っていたらしく、マリアは呆れたような表情で述懐している。

離婚してからは彼がホルヘを引き取り、レース世界に送り出していった。
スペイン選手権、ヨーロッパ選手権、そしてMotoGP

チチョは今ひとつ協調心がなく、当時のマネージャーダニアマリアインと大げんかし始めた。
また、を要してばかりの理学療法士を連れてきたりした。
このため2006年シーズンにホルヘはチチョにサーキット出入り禁止を言い渡し、絶縁状態になった。


ホルヘによるとチチョは挨拶もロクにしない冷たい性格であったという。優しい母親とは逆だった。
ただバイク走行の技術やレースに対する心構えはよく知っていて、それをちゃんと教えてくれた。

チチョはとんでもなく頑固で、そのことは次のエピソードでも分かる。
2011年マレーシアGPで大事故が発生し、MotoGP関係者が悲しみのどん底に陥っていたとき、
チコは「マルコシモンチェリはレースに対する気構えがなっていなかった」と言い出したのだ。
言っていることは正論かも知れないが、なにもあの状況で言う必要はいだろう。
ホルヘはTwitterで即座に「父のことを恥ずかしく思う」とコメントしているexit


チチョはホルヘにとって呆れと怒りと尊敬と信頼を重ねて感じるような相手であり、
と和解を繰り返している。絶縁したかと思えばシーズンオフトレーニングコーチを依頼する等、
付かず離れずの関係が今も続いている。

10年ほど前はパルマ・デ・マヨルカバイク教室を開いていて、教え子の1人がジョアン・ミルだった。

現在チチョは首都マドリッド近郊のこの場所exit少年相手にバイク教室を開いている。

そのバイク教室にホルヘがやってきて、8の字走行を披露したこともあるexit


チチョは発信がある人で、スペインラジオ番組に出演しては何かコメントを残していくことがある。
2018年ラゴンGPではホルヘ・ロレンソの転倒事件があり、ホルヘが「マルケスに邪魔された!」と
憤怒していた。そのときチチョもラジオ番組でマルケスに対して怒りを露わにしており、
そのことをスペインの有力紙marcaに取り上げられていたexit
親子そろって同じ相手に怒りを表明するという、ちょっと面になった。

2016年シーズン前半にホルヘはドゥカティ移籍を決めたのだが、そのことについてKTMCEOの
ステファン・ピエラexitが「ドゥカティはロレンソにいくら払うのかね?ホルヘはになるとダメだ。
そんな彼に最高のバイクを与えても駄だろう」とキツいことを言った。
ホルヘは即座に「ステファン・ピエラとかいう人は、記憶が悪いか、プロじゃないかのどちらか」
と言い返し、ちょっと面い舌戦となった。(※記事はこちらexit

それから約2年後に、ホルヘはが降るレッドブルリンク練習走行で好走した。
レッドブルリンクKTMの本拠地で、当然ステファン・ピエラCEOも生観戦している。
これを受けてチチョはTwitterでこう書き込んでいるexit
か、『ドゥカティで遅いライダーに大を払う賢くないメーカーだ』といった馬鹿野郎に
質問してやってくれ。まだ同じ事を思っているのか、ホルヘに謝るつもりはないのか、ってね」

まあまあチチョさん落ち着いて、とかいってあげねばなるまい。

ちなみにチチョさんはTwitterで食べものの画像をよく上げている。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit

マネージャー

ホルヘが10歳ぐらいの頃、つまり1997年頃、そのときからホルヘにをかけてマネージャーになった。
マネージャーとは契約交渉の代理人ということであり、ホルヘに契約をしたいのならマネージャー
接触しなければならない。

アプリリアやデルビのチーム監督を務めていた辣腕の人物で、レース業界を知り尽くしている。
ホルヘにとっては2002年から2007年までずっとチーム監督であり個人マネージャーであった。
ホルヘにとっては頼もしい相棒であり、レース世界に導いてくれた恩人だった。

しかしながら2008年頃にはホルヘにとってとんでもない頭痛のタネになっていた。

でだんだん首が回らなくなり、そして、法律で禁じられている化学物質に手を出した。
不安定になったダニアマリアインはホルヘを脅迫するようになり、
2008年シーズン後半のホルヘはレースどころではなかった。
10歳の頃から21歳まで面倒を見てくれた恩師が身を崩したことはホルヘに大きな衝撃を与えた。

2008年シーズン末にホルヘはダニ・アマトリアインを解任している。exit

そのあともアマリアイン脅迫は続き、ついに逮捕されるに至った。
2010年頃もホルヘの所を訪れ、をせびりに来ていたらしい。

アマリアイン化学物質の後遺症を治す専門施設に放り込まれ、そこでなんとか持ち直したらしい。
後にホルヘに謝罪し、ホルヘは謝罪を受け入れている。
2013年にはホルヘをスポンサーとする新たな2輪レースチーム監督に就任している。

ブラジル人で、ホルヘが通うバルセロナジムオーナーである。
初めてホルヘと会ったのは2002年末のことである。
ホルヘは熱心にジムへ通う人なので自然と仲良くなり、トレーナーとしてホルヘを支え続けた。
ホルヘとは喧をしながらも付き合いを続けていった。

2006年父親チチョとアマリアインの間に紛争が起こったとき、ホルヘに向かってこう言った。

父親も、父親が連れてきた欲深の理学療法士も、彼女もすべて捨てなさい。携帯電話も週末は没収だ」
チチョは君の彼女携帯で君にメールを送ってくる。彼女とは別れる必要がある」
悩んだホルヘだったが結局はマルコスの言うとおりにして、チチョたちと絶縁したのであった。
この絶縁の直後から勝ちを積み重ねはじめ、ホルヘは2006年チャンピオンいている。

2008年シーズン末、大混乱を収束するためにホルヘのマネージャーに就任した。
ホルヘは週に25時間ほどマルコスのジムへ行くので、何でも相談できてマネージャーに適任だった。
レースにも帯同し、ホルヘの心となる。ホルヘが大転倒したときはホルヘを抱きかかえている。
「今あるマシンメカニックで何とかしようと考えるんだ。欲しがってはいけない」
というアドバイスも送っており、メンタルトレーナーとしても役割をこなしていた。

2012年シーズン途中に、ホルヘはマルコスを解任した。
この解任は憶測を呼び、「ホンダが提示した高額契約を握りつぶしたからだ」など噂されたが、
これはマルコスが否定している。

マルコスはホルヘに対して献身的に仕事する人であったが、けっこう気難しく、
パドックでの嫌われ者であったらしい。ヤマハの上層部からの受けも今ひとつだったようだ。
で立ち向かい、喧の後に和解して前進する・・・こういう感じの人物だったからである。

ホルヘは「マルコスとは喧別れではない。またトレーナーをやってもらうこともありうる」と
コメントしている。

ホルヘの友人で経済系の大学卒、1984年生まれでホルヘよりも3つ年上なだけの若者。

この人は前任者や前々任者とは違って穏健で、さしたるトラブルも起こさず、堅調に仕事をこなしている。

公式TwitterアカウントこちらexitInstagramアカウントこちらexit


ホルヘのピットにいつもいる。ホルヘが表台に乗ったとき、パルクフェルメで出迎えている。
2013年アッセン大転倒の時もピットにいた。白いシャツを着て苦笑いしているのがヴァレーラexit

ホルヘのSNSにもしばしば登場する。画像1exit画像2exit

現在アレイシ・エスパルガロやホルヘ・マルティンのマネージャーを兼務している。
マルティンがチャンピオンを獲得した間にファウスト・グレッシーニ監督と抱き合っていたexit

友人、憧れの先輩

かつてのホルヘは「コース上で出会うライダー全員敵だ!」というタイプで、
ライダーの友人を持たなかった。

その中でたった1人例外的にホルヘが親しくしていたMotoGPライダーがいた。
それはリッキー・カルドゥス(Ricky Cardus)exitであった。
彼もホルヘと同じくダニアマリアインに育てられたライダーで、そのためホルヘと親しくなった。
日本語版Wikipediaexitによればリッキー1988年3月生まれで、ホルヘと同学年である。

ホルヘはワークスライダーで羽振りが良く、リッキーM3SLSといった高級に乗せてみたり、
一緒にパーティーに連れたりしていた。また、リッキーレースに出られるよう資援助もしていた。
また、リッキーとホルヘは何年も同じに住んでいた。
このため「2人はデキている」と言いたい放題なことを言われている。



ライダーの友人はリッキー1人、という状況が長く続いたが、それが変わったのは2012年
アルベルト・ヴァレーラを個人マネージャーとして招いてからである。

先述のようにヴァレーラはアレイシ・エスパルガロマネージャーを兼務するようになり、
アレイシとホルヘは親しくするようになった。
ご存じのようにアレイシはやたらとコミュが高く、ライダーの友人を多く作るタイプである。
アレイシに引っられる形で、ライダーの友人が増えたようである。

また、ヴァレーラはホルヘ・マルティンのマネージャーも兼務するようになった。
その縁でロレンソとマルティンは一緒にトレーニングするなど親しくしている。
マルティンがキャリア初優勝を収めたとき、パルクフェルメに出向いて祝福しているのはこのためexit



ホルヘにとって憧れの先輩というと、マックス・ビアッジexitとなる。
ホルヘは子供の頃からビアッジの大ファンで、ビアッジがロッシに負けたときは悔し涙を流していた。
ホルヘはしばしばビアッジをピットに招いており、2人の2ショット写真も多いexit

メカニック

ホルヘ・ロレンソはメカニックには恵まれている人で、ラモン・フォルカダexitという名チーフと巡り会う
ことができた。彼の作るチームヤマハ時代の大活躍の原動となったのである。

ホルヘ・ロレンソのメカニックというとファン・リャンサ(Juan Llansa)exitを紹介しなければならない。

2002年デビュー当時からのメカニックで、ホルヘと同じパルマ・デ・マヨルカの出身で、
ホルヘにとって精的な支えの1つである。

ホルヘがドゥカティワークスへ移籍したときにたった1人だけ連れて行ったのが彼であり、
ヤマハ時代もドゥカティ時代も、ピットウォールでサインボードを出している。
2019年以降もホルヘとともにレプソルホンダへ移籍することが決まった。

ちなみにファン・リャンサはとても想のいい人で、カメラを向けられるといつも笑顔で振り返る。
MotoGPファンに2ショット写真を頼まれると喜んで映ってくれるようである。画像1exit画像2exit



ヴァレンティーノ・ロッシホンダからヤマハヤマハからドゥカティドゥカティからヤマハ
移籍したときはチームごと移籍した。チーフメカジェレミー・バージェスを筆頭に、30人ほどが
ゾロゾロとロッシに付いていったのである。これによりロッシはお気に入りのメカニックに囲まれ、
安心して仕事できるようになった。

ただ、このロッシ方式にも欠点があり、移籍先のメーカーメカニック達が慣れないリスクがある。
ロッシのドゥカティ移籍の時はメカニック達が「ドゥカティマシンは複雑すぎる」と驚き、困惑した。

レンソのように、たった2人だけで移籍先に飛び込みマシンの扱いに熟練したスタッフに囲まれる
移籍の方が、低リスクなのである。

チームメイト

ホルヘはわりとチームメイトに優しいところがあり、そういうシーンがちょくちょく見られる。

2010年ヤマハワークスはロッシの要望でロレンソ側とロッシ側の情報交換が遮断され、
お互いの走行データを見ることができなくなった。
2010年シーズンを終えてロッシがドゥカティに行ってベン・スピーズワークス昇格した途端に、
ヤマハワークスライダー同士の情報交換を復活させている。
レンソは「やはりお互い協したほうが良いよね」とコメント

2011~2012年にロッシがドゥカティで絶不調に陥っていたとき、ケーシー・ストーナーはロッシを
いっきり皮コメントを連発していた(かつての精神攻撃の報復だった)。
そういう状況でもロレンソはロッシに何も皮を言わず、
ロッシは「ロレンソはに優しくしてくれた」とコメントしている。
2013年にロッシがヤマハワークスへ出戻りを決めたとき、ロレンソは情報交換を続けるように要請。

2010年のムジェロでロッシが折しレース欠場したとき、ロレンソはロッシを励ます的で
VR46と書かれた黄色いシャツを着て表彰台に上がっているexit

わりとロレンソはチームメイトに優しいのであった。

ちなみにヴァレンティーノ・ロッシチームメイトに対してとても気難しいおじさんで、
レンソがVR46シャツを着ている姿を見てメディアに「あいつは偽善者だ!」と言い放っている。

復帰初戦のザクセンリンクレース記者会見で「ロレンソ選手がVR46のシャツを着ていましたが」
記者に尋ねられたときのロッシの返答は「次の質問どうぞ」だった。

こういう気難しいおじさんはそっとしておくに限るので、ロレンソはロッシに
なにかエールを送るのをやめたのであった。




ドゥカティワークスに移籍してアンドレア・ドヴィツィオーゾチームメイトになったら、
レンソのチームメイト応援はさらに顕著になった。

なんと、ドヴィが優勝して表台に立ち、自分が4位以下に終わったレースで、
台の下にスタッフに混じってやってきて祝福しているのである。
これをする最大排気量クラスライダーはおそらく史上初ではないだろうか。

moto3クラスで4位以下のルーキーライダーが表台に上がったチームメイトを祝福するのは、
しばしば見られるが、moto2クラスチームメイトを祝福するライダーは滅多にいない。
moto2クラスともなるとプライドも高くなり、チームメイト祝福をする気になれなくなるのである。

最大排気量クラスライダーともなるとプライドが頂点に達し、チームメイトに負けると
悔しさでピットに引きこもるのが普通である。ロレンソのこの祝福心はなんなのだろう。

レース後の祝賀会でも、ドヴィの勝利を全で喜んでいるのである。

https://twitter.com/lorenzo99/status/874268176363794432exit
https://twitter.com/lorenzo99/status/902245301175635968exit

どうでしょう、このパーティー役よりはしゃぐロレンソの姿は。

レース前、レース後の儀式

レース前、トイレに行く

MotoGP決勝の流れというと、以下のようになっている。

ピットレーンが開いて各ライダーピットから出て、サイティングラップを1~2周行う。

サイティングラップを終えてスターティンググリッドにつき、持ちお姉さんを差してもらう。

このあと、必ずと言っていいほどホルヘはその場を離れてトイレに行く。
人の波をかき分けてのっしのっしと歩くホルヘがいつも映像で映される。

ちなみに、アンドレア・ドヴィツィオーゾサイティングラップのあとにトイレに行くである。

ヴァレンティーノ・ロッシマシンのそばでうずくまってカウルの横に顔を当てる

レース後にコース脇で小芝居

ホルヘは幼い頃から演劇が大好きで、妹のラウラと小芝居をしているホームビデオexitが残っている。

レーサーになった後も演劇学校に通っていたことがあり、舞台コミカルな演技をしていたという。

ヴァレンティーノ・ロッシが「優勝後のパフォーマンス」をやっていたので、ホルヘも面がって
レース後にパフォーマンスをしていた。

ロレンソ・ランド建国の儀式

レンソの優勝パフォーマンスといえばこれ。

優勝したロレンソがウィニングランをしている最中に、ファンクラブの人がやってきて、旗を渡す。
レンソはバイクを降り、グラベル(砂)に歩いていき、旗をグラベル(砂)に突き刺す。
その旗には「LORENZO'S LAND」と書いてあるexit
「このサーキットはロレンソが征した。今日からロレンソのだ」という意味らしい。


20082010年のころ、ホルヘが最大排気量クラスで優勝を果たすと、必ずこれをやっていた。
ほとんどのサーキット一通り征したらあまりやらなくなったが、気が向いたら再びやる。

2015年スペインGPで建国の儀式を執り行おうとしたら旗が折れてしまったexit

2015年カタルーニャGPでは、「ちょっと前のスペインGPじゃ旗が途中で折れちゃったから、
こうやって深々と打ち込まないとね」とコメントしつつ、巨大ハンマーで旗を打ち込んでいたexit

2018年イタリアGPでドゥカティ移籍後初優勝したあと、久々に建国儀式をやっていたexit

月面で活動するアポロ宇宙飛行士の物真似

2009年アポロ宇宙船の面着陸から40周年の記念すべき年だった。
2009年10月4日ポルトガルGPで、ホルヘはアポロ宇宙飛行士を模したヘルメットを渡されたexit
そのレースで見事に優勝したホルヘはコースで「面で活動するアポロ宇宙飛行士の物真似」をした。

アポロ宇宙飛行士ヘルメットの売り上げはとても良く、このことに気をよくしたホルヘは、
2010年はなんどもコースで「面で活動するアポロ宇宙飛行士の物真似」をしていた。

2010年10月31日ポルトガルGPではまたアポロ宇宙飛行士を模したヘルメットをかぶり、
きっちりロッシを負かして優勝。またしてもコース脇で「アポロ宇宙飛行士の物真似」をしているexit

何度も同じパフォーマンスを繰り返したホルヘはイタリアメディアに「つまらん」「もう飽きた」
ボロクソに罵られていた。

2010年のチャンピオン決定パフォーマンス

2010年マレーシアGPでチャンピオンを決めたときの小芝居はこちら。



3歳の頃からずっと頑ってきて夢をえたからこれでゲームが終わったんだ、という意味らしい。
ちなみにこの衣装日本ドン・キホーテで買っている。

パフォーマンス時代の終焉

2014年ザクセンリンクティト・ラバトが小芝居をやった後にちょっと危ないシーンがあり、
そのころからドルナが「パフォーマンスはやめましょう」と言いだした。

最近では大がかりな準備をこらえた上での長い時間をかけたパフォーマンスが見られなくなっている。

年間チャンピオンが決まったときにパフォーマンスをする程度。

パルクフェルメに着いたら、バイクのステップバーで踏ん張って喜ぶ

ホルヘが優勝すると、喜びのパフォーマンスをしてからパルクフェルメに戻っていく。

パルクフェルメに戻ったホルヘはバイクのステップバーで踏んって立ち上がり、さらに喜ぶ。

この「バイクのステップバーで踏んって立ち上がる」というのをホルヘは昔っからやっている。

2007年の動画を見てもやっているexit
2015年サンマリノGPではサメになりきって遊んでいるexit
2016年カタールGPでは踏んって立ち上がってお口チャックをしているexit

2018年チェコGPではステップバーどころかシートの上に立ち上がっているexit

彼は高いところから見下ろさないと気が済まないのだろうか。

表彰台でジャンプする

ホルヘが優勝して表台のん中に立つと、いつも必ずジャンプする。画像検索すると面白いexit

こんな感じにジャンプするexit

個人スポンサー

アメリカエナジーリンク2011年2012年に個人スポンサーとしてホルヘを支援した。
格好いい動画も製作しているexit

アメリカエナジーリンク2013年から2018年までの個人スポンサー

オーストリアエナジーリンクレプソルホンダレッドブル支援を受けているので、
2019年からレッドブルが個人スポンサーになると推測されている。

イタリアの四輪メーカー。同社はヘビと赤十字のマークexitや、四つ葉のクローバーexitを好んでいる。
ホルヘも四つ葉のクローバーのヘルメットexitを被ったことがある。

イタリア牛乳メーカー。同社は長年マックス・ビアッジの個人スポンサーを務めていたexit
ホルヘはビアッジの大ファンなので、その縁で個人スポンサーになったのだろう。

ちなみにマックス・ビアッジは2019年からmoto3クラスに自分のチームを参戦させる。
そのチームメインスポンサーがステリルガルダ社である。

アメリカGPS付き腕時計メーカー

ドイツの四輪メーカー。上記の画像検索の中で「1987 JLG」というナンバープレートが見られるが、
これはもちろん「1987年まれのホルヘ・ロレンソ・ゲレーロ」という意味。

スペインの日刊フリーペーパー企業日本語版Wikipediaありexit。「ヴェイン・ミヌートス」と読む。
2012年チャンピオン獲得の年のスポンサー

住所、博物館

スペインの離島マヨルカ島

彼の地元は離のマヨルカで、ここはカタルーニャ語が広く使われている場所である。

ホルヘが子供の頃のホームビデオにおいて、「ジョルジョ」とか「ジョルジェ」と呼ばれている。
彼の名前Jorgeをカタルーニャ語読みするとそうなる。 ※カタルーニャ語読み方はこのページexitを参照

スペインのバルセロナ

MotoGP250cc時代以降はバルセロナに住居を移してレース活動をしていたようである。

アプリリアワークスから250ccクラスに参戦して2年連続チャンピオン
ヤマハワークスから最大排気量クラスに参戦して2010年2012年チャンピオン
こうした好成績によりお給料も上がっていき、個人スポンサーにも恵まれ、邸を買うことができた。


邸を購入したホルヘはウッキウキの気分で住んでいたが、個人スポンサーMonster Energy
邸を撮影され、断で動画Youtube投稿されてしまう。
不況に喘ぐスペイン民達に「成金趣味だ!」とさんざん罵られ、ホルヘはいたく傷つき邸を売却、
スイスに移住してしまったのだった。



この動画は、モンスターエナジーが作った動画の再アップロード動画である。
プールサイドに寝そべる美女、2台のYZR-M1が出てくる。地下に広大ジムが広がっている。

スイスのルガーノ

2013年頃から現在に至るまで、スイスのルガーノexitというに住んでいる。

スイス南部で、スイス都市とはかなり離れていて、なおかつ途中にアルプス山脈がそびえている。
一番近い都市イタリアミラノである。

Twitterで「from:lorenzo99 Lugano」とか「from:lorenzo99 #Lugano」といった文字列を
検索に入れて検索すると、彼の自宅画像がいくつも出てくる。

この写真exitで映っているのはではなく、ルガーノである。ルガーノは湖沿いの街exit
この画像exitは眺めが良さそう。

こちらの画像exitでは自宅に後輩を招き入れている。

山岳地帯なので冬は雪がしっかり降るexit

アンドラ公国の博物館

スペインフランス地帯にあるアンドラ公国博物館を建てて、収集したモータースポーツ関連の
お宝を展示している。

いろんなMotoGPライダーに「見に来なよ」と誘っている。画像1exit画像2exit


この博物館Instagramアカウントこちらexitサッカー観戦会を定期的に開いている。

この画像exitは、どこかで見たような顔がチラチラ見える。アレイシ・エスパルガロとそのさん、
ホルヘ・マルティン、マーヴェリック・ヴィニャーレス
どうもこの日はFCバルセロナの試合があったらしく、4-1でグラナダに勝っているexit



この博物館この場所exitにある。画像欄をクリックするとexit、見ていて楽しい画像が多く保管されている。
ガラスりのこぢんまりとした建物である。

この博物館の中にはバイクマシーンがあり、バイクに乗っていることを疑似体験できる。
ホルヘも夢中になって遊んでいるexit


こちらの記事exit博物館のことに触れている。

好みのスポーツ、好みのトレーニング

FCバルセロナが好き

案の定というかやはりというか、FCバルセロナの大ファンである。
インタビューの最初で「今年のバルサは強かったね」とサッカー談義を始めることもある。

こちらの画像exitではカンプ・ノウでのバルサの試合を観戦している。

2009年カタルーニャGPは、ヘルメットにバルサマークを入れ、ゼッケンを青・赤のバルサカラーにしexit
さらにはお袋さんも招いて必勝を期し、渾身の戦いをした。

子供の頃からサッカー大好きだったようで、「日曜日友達サッカーしたかったのに、親父
バイクトレーニングを強要してきたんだ」などと愚痴っていた。

テニス

テニスにも興味があり、アンドレ・アガシの自叙伝を読んだだとか、同じマヨルカ出身の
ラファエル・ナダルは凄いだとか、そういう話をすることが多い。

ジムでトレーニングをする

ジムトレーニングするのが趣味みたいな男である。SNSにはジム写真が多数投稿されている。

筋トレ 画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

プール 画像1exit画像2exit画像3exit

彼のことだから、ルガーノの自宅の中にジムを作っているのだろう。

自転車トレーニング好き

自転車トレーニングを好んでいる。 画像1exit画像2exit画像3exit

彼がルガーノに住んでいるのは山地で自転車トレーニングを積むのが的の1つなのかもしれない。

モトクロスやダートトラックはやらない。舗装路面でスーパーモタードならやる。

近年のMotoGPライダーモトクロス凹凸のある土の路面をジャンプして走っていく競技)や
ダートトラック坦な土の路面を走っていく競技)でトレーニングを積む人が多いのだが、
ホルヘ・ロレンソはあまりそれらのトレーニングをしないようである。

たまに、舗装されたサーキットに出没してスーパーモタードバイクを走らせることがある。
スーパーモタードとは舗装路面8割・土の路面2割のコースを同じバイクで走っていく競技。

この記事exitでは、ホルヘ・ロレンソとマルク・マルケスが同じサーキット
スーパーモタード練習走行をしていたことが紹介されている。偶然、バッタリ出くわしたらしい。
ある少年Instagramに、ホルヘとの2ショット写真マルクとの2ショット写真を同時に上げて、
それで発覚した。

その他の雑記

ワークスライダーメーカー広告として世界中のイベントに顔を出さねばならない。
ホルヘも飛行機に飛び乗って世界の果てまでをして、いろんなに訪問してイベントをこなす。
フィリピン訪問exitインド訪問exitカザフスタン訪問exitインドネシア訪問exit、と忙しい。
そのためサテライトチームライダーよりも飛行機に乗る時間が長い。

飛行機に乗っている間は、暇で暇でしょうがない。そのためホルヘは読書をするのだという。
「結構は本を読むんですよ」とっていたことがある。

2018年11月に読んでいた本のうちの1つは、キミ・ライコネン俳句集だった。画像1exit画像2exit
この俳句集の内容は、「キミ・ライコネン 俳句exit」で画像検索するとちょっとだけ中身がわかる。
サーキット 狭いとこ 広いところある 場所による』
電話 着信 鳴るのは嫌だ しかし鳴る』
フィンランド になり 釣りができるが はダメ』



好きな食べものの1つに寿司を挙げている。また、ティラミスも好物らしい。

体重が増えるのを恐れていて、誘惑に負けてティラミスを食べてしまうと罪悪感を感じるという。

お奨めの店として、バルセロナのKoy Shunkaexitを挙げたことがある。
この店は松久秀樹さんexitという料理人が開いた創作日本料理店で、現地の評判が非常によく、
FCバルセロナの選手も訪れるほどの名店だが、ホルヘも行ったことがあるようである。


インタビューで「好きな曲は?」とかれてホルヘが答えるのは、
エロス・ラマゾッティ(Eros Ramazzotti)exitSe bastasse una canzoneという曲である。

エロス・ラマゾッティ1963年まれのイタリア歌手で、ヨーロッパで絶大な人気がある。
日本語版Wikipediaexitもある。

Se bastasse una canzoneの動画はこちらexit。聞いてみるとわかるが、鼻声が特徴的。

ホルヘはこの曲をカラオケの持ち歌にしているらしく、スペインテレビ番組に出たとき、
この曲を歌っていたことがある。こちらがその動画exit。結構上手に歌っている。
ホルヘの隣の人は鼻声再現すべく、洗濯バサミを鼻に付けているexit


ホルヘはいつも「は、今所属しているチームで現役を終えたいんだ」と言う。
2014年6月ヤマハでキャリアを終えたいexit」と発言。
2016年3月ごろにも「ヤマハでキャリアを終えたいexit」と言っていたらしい。
2018年4月に「ドゥカティでキャリアを終えたいexit」と言っている。

2019年になったらすぐに「ホンダでキャリアを終えたい」と言い出すはずである。
彼なりの社交辞令なのだろう。

関連商品

2010年末に製作されたホルヘ・ロレンソの自叙伝的ビデオ日本語訳あり。
ホルヘ・ロレンソに関する第一級史料である。

関連動画

インタビューやトークショー

小芝居

関連リンク

関連項目

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https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BD

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