ホロヴィッツ(Horowitz)とは、イディッシュ語圏にルーツのある姓である。
イディッシュ語は主にアシュケナージ系ユダヤ人の用いる言語であるため、この姓の人物もアシュケナージ系ユダヤ人の家系であることが多い。
「ホロヴィッツ」ではなく「ホロウィッツ」と発音・表記されたり、「ホロビッツ」などとカタカナ表記されることもある。
ボヘミアにある町Hořovice(チェコ語でホジョヴィツェ)に由来するとされる。ほぼ同じルーツをもつバリエーションとして「Horwitz」(カタカナ表記はホルヴィッツ、ホロヴィッツ、ホルビッツ、ホロビッツ、ホーウィッツなど)という姓もある。
「Horowitz」姓を持つ人物の例:
- ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz) : ピアニスト、本記事で詳述。
- アンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz) : 小説家
- ウィノナ・ライダー : 女優。「ウィノナ・ライダー」は芸名で、本名はウィノナ・ローラ・ホロウィッツ(Winona Laura Horowitz)
ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz, 1903年10月1日 - 1989年11月5日)とは、ウクライナ(帝政ロシア)生まれのアメリカのピアニストである。
生涯
1903年10月、ウクライナのベルディーチウで生まれる(本人はキエフ出身であると主張していた)。幼いころから、アマチュアピアニストであった母親の手ほどきを受ける。1912年キエフ音楽院に入学。
卒業後1920年にデビュー。アメリカデビューは1928年で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が評判となる。
この際、同時にアメリカデビューした指揮者ビーチャムとテンポで対立し、次第にテンポを上げ圧倒的な加速で弾ききり
聴衆を熱狂させた、という逸話は有名である。
1932年、著名な指揮者であったトスカニーニと共演し娘のワンダと後に結婚する。1953年にアメリカデビュー25周年記念リサイタルを行ったあと、突然引退。12年もの隠居後劇的な復帰を遂げる。
日本では2度リサイタルを開いているが、初来日の1983年の際は体調が思わしくなく「ひび割れた骨董」と評された。
1986年には、亡命以来約半世紀足を踏み入れていなかったロシアへの凱旋を果たし、その足で2度目の日本公演を行う。
1989年11月5日に亡くなった。最後のレコーディングを終えた4日後のことだった(The Last Recordingとして発売されている。)あまり知られてはいないがグラミー賞を26回、その他レジオンドヌール勲章、大統領自由勲章など多数の賞を獲得している。
演奏について
最弱音すらホールの一番奥まで届くその個性的な音色、悪魔的とまで言われたその圧倒的なパワーとスピードと表現力は、演奏動画をうpするあらゆるニコ厨たちの羨望の的である。ニコニコ動画に上がってる動画はほとんどが高齢(65歳以上)での演奏であるが、そのいずれにおいても圧倒的な演奏を披露している。
その演奏スタイルは19世紀ロマン主義的なヴィルトゥオーゾ・スタイルで、20世紀最高のピアニストと呼ばれているが、実は最後まで生き残った19世紀のピアニストであると言える(1984年に主演した記録映画のタイトルはThe Last Romantic "最後のロマン派"である)。そのためか、演奏において大胆な編曲や個性的な解釈を行う事が多く、広く議論を呼んでいる。
しかし、表現力、説得力が卓越しており、観客を熱狂させる術に長けている。「鍵盤の魔術師」と呼ばれる所以である。 ショパン・リスト・シューマン・ラフマニノフ・スクリャービンなどの演奏に定評があるほか、自作の編曲「カルメン変奏曲」「星条旗よ永遠なれ」などが有名。
鼻穴が大きい。恐妻家である。同性愛の傾向があったと伝えられている。
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