ホーリーブル(Holy Bull)とは、1991年生まれのアメリカ産の競走馬。芦毛の牡馬。
スタートからかっ飛ばして逃げ、直線で追いすがる連中を千切り捨てる、芦毛のアイドルホース。
名前はアメリカのスラング「Holy Cow!(すげぇ!)」に由来するが、
Cowは雌牛を意味するため、本馬の性別に合わせてBullに変更、「Holy Bull」となった。
生い立ち
父Great Above、母Sharon Brown、母父Al Hattabという血統。
THE・異系血統と言っても過言ではなく、現代競馬ではほぼ例外なく血統に含まれているネアルコが存在しない、いわゆるネアルコフリーな血統。
父グレイトアバヴは63戦13勝で勝ち鞍はGIIIのみだが、その母タウィーは殿堂入りした名スプリンターであり、その半兄にドクターフェイガーがいるという良血馬。
母シャロンブラウンは32戦3勝でステークス競走は未勝利。近親に活躍馬は特におらず、血統的に見るところはない。超遡って10代母で英国三冠馬オーモンドの母の全妹に当たるぐらい。
父系は北米で細々と繋がれてきたヒムヤー系である。日本だとブロードアピールやノボトゥルーとか。
出生は米国第2位の馬産地であるフロリダ州。生産牧場の名義で走ることとなり、当時70歳を越えていたウォーレン・"ジミー"・クロール調教師が管理する事となった。因みにクロール師はミスタープロスペクターや、2年連続最優秀スプリンターに選ばれた*ハウスバスターの管理を手がけている。
「Holy Bull!」
ホーリーブル最大の特徴、それは「逃げ」にある。脚質的にはミホノブルボンが一番近く、淀みないペースで先頭を譲らず、直線でスパートを懸けると一気に後続を突き放す。若い頃は上手く単騎逃げに持ち込めないとあっさり負ける事もあったが、経験を重ねるにつれて精神的成長が見られるようになり、競りかけられても問題は無くなった。
2歳
2歳8月にデビューを飾ったが、当日に馬主が死去。クロール師へ遺贈される事となり、デビュー戦では2馬身差を付けて快勝。その勢いで連勝街道に乗り、ベルモントフューチュリティS(GI)を含む4戦全勝を挙げた。
3歳
3歳時は初戦のGIIこそ勝つが、次戦ファウンテンオブユースSでは競られて勢いを失い、先頭から約24馬身離れた最下位に敗退。
しかしフロリダダービー、ブルーグラスSを連勝して気を取り直し、意気揚々と1番人気を背負ってケンタッキーダービーに向かった。ところが逃げないと勝てないのにスタートに失敗してしまい、14頭中12着に惨敗する。
ケンタッキーダービーは全米から期待馬が多数詰めかける為、少頭数が当たり前なアメリカ競馬には珍しく12頭以上の出走がザラで、内枠スタートの逃げ馬はスタートをミスるとそのまま包まれてしまうのだ。
ついでにファウンテンオブユースSもケンタッキーダービーも湿った馬場だったことから、これ以降は徹底的に良馬場以外を避けることになった。
閑話休題、ケンタッキーダービーの敗走を受けて陣営は三冠競走を諦め、古馬との混合になるメトロポリタンHへと進む。すると他の有力馬より2~4kgの軽ハンデがあった事もあり、易々と逃げ直線で一気に突き放す芸当を披露。ハナ差でデヴィルヒズデューを交わして2着に上がったチェロキーランを5馬身半引き離す圧勝劇だった。
こうなると勢いは止まらない。精神的成長もあって競られても競馬が出来るようになり、GIIを1戦挟んだ後、真夏の名物ハスケル招待HとトラヴァーズSを連勝。ハスケル招待Hでは同期生が118ポンド(約53.5kg)とかの中126ポンド(約57kg)を背負って1馬身半以上突き放して勝利。トラヴァーズSでは二冠馬*タバスコキャット陣営が用意したペースメーカーにハナを叩かれながら*タバスコキャットに17馬身差をつけて返り討ちにした上、最後方から末脚に賭けたコンサーンもクビ差で下すという濃い競馬であった。
古馬混合のウッドワードSも番手からの競馬になる中、デヴィルヒズデューやコロニアルアフェアー、ゴーフォージンといった実績馬を5馬身以上突き放し堂々と凱歌を挙げた。
よし、次はブリーダーズカップだな! と考えたくなるが、実はブリーダーズカップに出場するためには、「父親が登録されている=父親の所有者が登録料(1回分の種付け料)を払っている」必要がある。父グレイトアバヴは登録されておらず、出走するためには20万ドル以上の追加登録料を支払う必要があった。結果から言えば本馬は出走せず、シーズンは9月で終えた。
3歳シーズンは10戦8勝、GI競走5勝。ケンタッキーダービー馬ゴーフォージンやBCクラシックを勝ったコンサーンを抑えて年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選出された。
エクリプス賞創設以降、その年の三冠競走を一つも勝っていない3歳馬が年度代表馬となったのは初めてのことだった(本馬以降も2021年時点ではティズナウのみ)。
4歳
早めの休みを貰った事もあり、4歳シーズンは1月からスタート。初戦のリステッドを余裕で快勝するが、続くドンHではレース中に故障を発生し、競走中止。競走能力喪失級の靱帯損傷を起こし、遺憾ながら引退を余儀なくされた。因みにドンHの優勝馬はかのシガーで、これが16連勝のうちの4連勝目である。
通算成績は16戦13勝。GI競走6勝。先頭に立ったまま直線で一気に突き放す芸当、大柄な芦毛の馬体、アメリカンドリームを体現したような生い立ちから、アイドルホースとして人気を博した。
引退後
マイナー血統なホーリーブルだが、種牡馬入りすると初年度産駒のコンフェッショナルが2歳GIを制して早々と産駒初GI勝利を手にすると、3年目の産駒であるマッチョウノ(Macho Uno)が自身が果たせなかったブリーダーズカップ勝利(BCジュヴェナイル)を、2005年にはジャコモが単勝50倍以上の大穴をこじ開けてケンタッキーダービーを制し、勝ち馬率は7割を超えるなど種牡馬として優秀な成績を収めた。
子孫はマッチョウノがムーチョマッチョマンなどコンスタントに活躍馬を送り出し、日本ではダノンレジェンドが持込馬として活躍し、種牡馬入りした。個人的にはダノンレジェンドはポストサウスヴィグラスとして期待してる。
2001年に繋養されていた牧場がダーレーに買収された後も、ダーレーは本馬に対して強い畏敬の念を持って扱い、2012年に種牡馬を引退。2017年に老衰を理由に安楽死の措置が執られた。享年26歳。
"ザ・ブル"との愛称で親しまれた芦毛のアイドルホースであり、彼を知る者からはとても頭の良い、気の良い馬だったと惜しまれつつこの世を去った。
血統表
Great Above 1972 黒鹿毛 |
Minnesota Mac 1964 鹿毛 |
Rough'n Tumble | Free for All |
Roused | |||
Cow Girl | Mustang | ||
Ate | |||
Ta Wee 1966 黒鹿毛 |
Intentionally | Intent | |
My Recipe | |||
Aspidistra | Better Self | ||
Tilly Rose | |||
Sharon Brown 1980 芦毛 FNo.16-g |
Al Hattab 1966 芦毛 |
The Axe | Mahmoud |
Blackball | |||
Abyssinia | Abernant | ||
Serengeti | |||
Agathea's Dawn 1970 芦毛 |
Grey Dawn | Herbager | |
Polamia | |||
Agathea | I Will | ||
Alxanth | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Mahmoud 4×5(9.38%)、Questionnaire 5×5(6.25%)
主な産駒
- Confessional (1996年産 牝 母 Whisper Who Dares 母父 Green Dancer)
- Macho Uno (1998年産 牡 母 Primal Force 母父 Blushing Groom)
- Pohave (1998年産 騸 母 Trail Robbery 母父 Alydar)
- Bishop Court Hill (2000年産 騸 母 Just Cuz 母父 Cormorant)
- Giacomo (2002年産 牡 母 Set Them Free 母父 Stop the Music)
- Flashy Bull (2003年産 牡 母 Iridescence 母父 Mt. Livermore)
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- ムーチョマッチョマン(孫)
- 2
- 0pt