ポイズン澤田JULIEとは、日本のプロレス界に「ファンタジー」という概念を定着させた元プロレスラーである。
本名は澤田篤男。デビューから引退までに名乗ったリングネームは、ホー・チー・ミン、ホー・デス・ミン(訪死民)、ポイズン澤田、ポイズン澤田BLACK、改造蛇人間ジャカイダー、ドリアン澤田JULIE、澤田“マレンコ”篤男、ポイズンJULIE澤田など多岐に渡る。
概要
新日本プロレス練習生になるもケガでデビューできず。その後、フロリダのマレンコ道場でデビューして、その後は日本のインディーマット界を主戦場とする。DDTプロレスリング時代に「蛇界転生」というギミックを生み出し、日本のプロレスの世界にファンタジーという概念を定着させた。DDTの歴史にとって欠かせない存在の一人である。
2012年にプロレスラーとしては引退するが、その後もDDTプロレス中継のゲストコメンテーターとして何度も呼ばれる。そして2015年に「流山の老人」として東京女子プロレスにて復活(ただし、プロレスの試合はしない)。
誕生、そしてプロレスデビュー後の混迷(そして蛇との出会い)
子供の頃は吃音症に悩むいじめられっこであったが、新日本プロレスの藤波辰爾に憧れ一念発起。いじめっ子に頼み込み身体を鍛える。高校時代は柔道部に入部するものの夏合宿を風邪で休んだためにクビになったため、ジムに毎日通い身体を鍛え続けた。
1982年に高校を卒業し、新日本プロレスに入団。練習生となるが、厳しい上下関係に悩まされ(進学した高校は新設校の為、先輩が居なかった。)、また身体は出来上がっていたものの格闘技経験が殆どなかった為にスパーリングでは毎回やられっぱなし。その上風呂場で転倒し、首と腰を同時に怪我したために入門わずか1年でデビューも果たせぬまま新日本プロレスを解雇されてしまう。
その後は築地市場等で4年間働き資金を貯め、アメリカの名門マレンコ道場に入門。入門後わずか2日目にはアメリカ人に復讐する為にやってきたベトナム人レスラー「ホー・チー・ミン」のギミックを与えられ、デビューする。その後1年でテレビマッチも含めて20試合ほど経験したが、ノーギャラであったため貯めた資金が枯渇し帰国。一旦就職してサラリーマンとなる。
92年にはウルトラマンロビン氏に誘われ、フリーランスの大会でリングネームを「ホー・デス・ミン」に改め国内デビューを果たす。翌年にはPWCを経て「ポイズン澤田」に改名の上レスリング・ユニオン(ユニオンプロレス、流山ユニオンとも呼ばれる)に参加。ザ・マミーとの抗争の末、まむしデスマッチを行い勝利したものの、実際にまむしに噛まれてしまい病院直行。血清を打ち、一命は取り留めたものの数日間は高熱に悩まされ続けた。その後ユニオンプロレスを離脱。リングネームを再び「ホー・デス・ミン」に戻し西日本プロレスに参加するものの、こちらも団体が程なくして活動休止。西日本プロレスのメンバーと新団体「Jet's」の旗揚げを模索するものの資金難から頓挫し、しばらくはフリーとしてSPWF、レッスル夢ファクトリーなどに参戦していたが、再び腰を負傷したために2年半もの長期欠場に追い込まれ、三度プロレス界から離れてしまう。
DDT参戦、そして蛇界誕生
1999年にはアメリカ時代の仲間に誘われ、「ポイズン澤田BLACK」としてDDTプロレスリングに参加。当初は「もう一度輝きたいレスラー」として呼ばれており、本人も「後1~2戦だけだろう。」と思っていた。だが、そうした考えとは裏腹に、団体としての売りをガチガチの熱い戦いからエンターテイメント路線に舵を切り出したタイミングで加入したDDTにとって、彼の存在は欠かせないものとなるのだった。
当初は女子レスラーにさえ圧倒されるというキャラクターであったが、2000年には24時間いつでもどこでも防衛戦が可能なベルト「アイアンマンヘビーメタル級王者」を創設し、初代王者となる(が、すぐに菊澤光信に奪われる)。その後アイアンマン王者はDDTのエンタメ路線を象徴するベルトとして激しく移動を繰り返し、時には素人や無機物までも王者にしながら、900を越す王者を誕生させている。
そして2000年9月には自身に蛇神が降臨したとして「ポイズン澤田JULIE」に改名し、ユニット「蛇界転生」を蛇影、豚蝮、蛇界坊ヘビダーと共に結成。この蛇界転生はインディーマット界における一大ムーヴメントとなり、数多くの改造蛇人間レスラーを生み出した(メンバーは後述)。 同年10月にはKO-D無差別級王者に輝く。更に同年12月には高木三四郎に敗れて王座から陥落するものの、試合後の会場の映像装置には「首のないポイズンが自らの首を小脇に抱え、燃え盛る炎の中へ消えていく。」と言う映像が流される。この映像は大きな議論を読んだものの、この瞬間DDTの高木三四郎社長は大きな手ごたえを感じ、DDTファンタジー路線の礎になったといわれている。
2002年には新日本プロレス日本武道館大会でDDT提供試合を行い、新日本プロレスのリングに入門から20年の時を経て初めて立つ。また、同年末には蛇影をかばい石化して蛇界転生第1章終焉。が、翌2003年9月には復活して蛇界転生復活を宣言。更に翌2004年には宗教団体蛇光を立ち上げ、怪しい心療治療の先生と共に数多くのレスラーを蛇光教に勧誘する。
ユニオンプロレス再興、そして蛇界復活からキャラクターの流転へ
2005年には男色ディーノとの「ホモ・コントラ・ヘビ」に敗れ真人間となり「ポイズン澤田」に戻った。そして蛇光教団の解散と、DDT傘下の新ブランドとしてのユニオンプロレスの再旗揚げを宣言し、ユニオンプロレスへと移籍。エースとして団体を引っ張る。
2006年1月にはユニオンプロレスで猛毒サソリデスマッチを行い、実際にサソリに刺されながらもサソリ固めで勝利。同月にはDDT本体においてタイムマシンで2000年からポイズン澤田JULIEやってきて蛇界が復活する。また、この年には元新日本プロレスの田中秀和(現田中ケロ)リングアナウンサー、後藤達俊、長井満也との抗争が勃発するも、最終的には後藤、長井両選手を蛇人間に改造してリングに上げることに成功した。
2007年にはユニオンプロレスでポイズン澤田がミスター雁之助と猛毒マムシデスマッチを行う。これに勝利するものの、デスマッチで死んだマムシの供養でボルネオ島にある蛇塚へ向かうということで、ユニオンプロレスからの撤退を表明。その後ユニオンプロレスはナオミ・スーザン代表・エース石川修司の新体制で再スタートを切ることとなる。
また、DDT本隊ではマンゴー福田と共にフルーツ軍団を結成し、「ドリアン澤田JULIE」に改名。大鷲透を「桃鷲透」にし、当人のバラエティー班長化に大きく貢献する。が、その2ヵ月後には高木三四郎の手によって改造人間手術を受け「改造蛇人間ジャカイダー」となる。主題歌である「ジャージャージャカイダー」は自身によって歌われた。
2009年にはDDT内の総合格闘技色の強いイベント「ハードヒット」に「澤田“マレンコ”篤男」として登場し、佐藤光留と対戦。敗れたものの正統派のプロフェッショナルレスリングでの闘いは高い評価を得た。また、8月には両国国技館でのDDT最大のビッグマッチ「両国ピーターパン」が初開催され、新日本プロレスの蝶野正洋と対戦。蝶野に呪文をかけることには成功したもののKO負けを喫し、「この試合で私の中ではファンタジーに対して一つの区切りがついた。」とのコメントを残した。
2010年からはDDTとの契約を東京近郊での試合にのみ参戦すると言う契約に変更する。そして同年の両国ピーターパンで新日本プロレスの中西学とタッグを組んだ試合を最後に両肘の手術とリハビリを行うために長期欠場に入った。
そしてそこからちょうど1年の2011年の両国ピーターパンでのMIKAMI戦で戦線復帰。同年8月にはアントーニオ本多と占い師の姓名判断により、「ポイズンJULIE澤田」に改名。入場曲も変更し、スタイルもこれまでの蛇界転生から、都会派パイレーツにチェンジし、プロレス界のお宝を集める「プロレス界賊」として活動する。 同年11月にはゴージャス松野との90歳コンビで、共に20代の石井慧介・入江茂弘組の持つKO-Dタッグ王者に挑戦。敗れはしたものの、ベテランの存在感を見せ付けた。
引退宣言、そして蛇界は永遠に…
2012年のDDT15周年記念興行「武道館ピーターパン」を終えた同年9月に「頚部椎間板症による神経根損傷の悪化」によりドクターストップがかかった(いわゆる椎間板ヘルニアで、症状によっては治る見込みがある場合もあるが、「澤田選手の場合は治る見込みはなく、メスも入れられない。これ以上続ければ三沢光晴選手のようになる。」と宣告されたとのこと。)として引退を表明し、残りの大会は「ポイズン澤田JULIE」として蛇界を復活させると宣言した。そして同年11月のDDT後楽園ホール大会において、 ポイズン澤田JULIE、多咬刺、JARASHIMA(witn蛇影、トグロハブ影、ナオミ・スーザン)組対妻木洋夫、遠藤哲哉、竹下幸之介組と対戦、蛇界ダンス、蛇イ~ン、呪文、毒霧など蛇界としての総決算を見せつけたが、竹下のタッチダウンによってポイズンがフォールを取られ、敗れた。
その後のセレモニーでは同日に名古屋で興行のあった一部のユニオン勢を除く全所属・出場選手やかつてのDDTならびにポイズン澤田に関わった選手、スタッフらに見送られ、日本のプロレス史に名を残した蛇界転生は幕を閉じた。
まさかの蛇界復活、それも東京女子プロレスで
2015年11月の東京女子プロレス横浜大会にて、悪の組織“流山の老人”から「東京女子の選手を改造し、東京女子を乗っ取る」というボイスメッセージが届く。「流山」「選手を改造」という時点で、年季の入ったDDTファンはある一人の元レスラーを思い出す。
そして翌月12月の春日部大会にて白髪で杖をついたポイズン澤田JULIEが登場。まずはミウラアカネを蛇人間・ポイズンミウラに改造し、続いてKANNAもポイズンKANNAとなった。ついでに赤宮サキのコーチだったはずの長井満也も蛇我井満也に(また)変身する。ついでのついでに甲田哲也代表も試合の流れで蛇人間になったりした。
その後、すったもんだの末にポイズンKANNAと甲田代表は人間に戻ったが、ポイズンアカネは2016年3月現在も蛇人間のままである。
まるでアーリーDDTを思わせる、赤宮サキvs流山の老人ことPSJの抗争はいつまで続くのか? こうご期待。
得意技
- キャトルミューティレーション(チキンウイングの体制から自らが前転してブリッジの体制になり、相手の首から肩にかけてを極める非常に美しい技。現在はアイスリボンのくるみが得意技にしている。)
- 呪文(人差し指と中指を立て、相手に向けて震わせる。すると相手は体の自由が奪われ、右手が蛇のポーズの形で上がってしまうファンタジーを象徴する技。呪文をかけている際はファンはマラカスを振るのがお約束である。)
- 毒霧
- パイレーツ A GOGO(ポイズンJULIE澤田時代に使用した技。手を鉤状にしたまま相手の喉元に倒れこみえぐる技)
- モアイ・オブ・イースター(変形フェースバスター。ユニオンでは「ポイズン・ファンタジア」とも。)
- チョークスラム
エピソード
- 引退の理由として、前述の得意技であるキャトルミューティレーションが負傷により出来なくなったことを理由の一つに挙げている。
- 控え室では常に眼光鋭いため、怖い・不機嫌と誤解されがちであるが、単にちょっと目が悪いだけである。(男色ディーノ談)
- ピスタチオが大好物である。
- まむしデスマッチで本当にまむしに噛まれた際には「死にたくねぇよぉ・・・」との名言を残した。
- 新日本プロレス練習生時代にはその真面目さが買われて初代タイガーマスクの付き人を勤めていたが、それゆえにより先輩にきつく当たられることもあったようである。
- 後藤達俊とは新日本プロレスの同期である。(年齢は社会人から入団した後藤の方が上。)
- 非常に練習熱心であるが、それゆえに練習のし過ぎで怪我をしてしまうことがしばしばあったようである。
- 鶴見亜門GM曰く、「とても優しい方。」
- いちいち言わなくても分かるだろうが、蛇界転生の元ネタは沢田研二主演の映画「魔界転生」。PSJは本家ジュリーの大ファン(普通にコンサートにも行ってた)であり、蛇界の件は一応向こうのお伺いを立てたらしい。
- DDT初期から共に戦ってきたMIKAMIとはまさに盟友といえる間柄であった。
- 蛇界のキャラクターは佐々木大輔に譲りたかったそうで、海賊キャラになる直前の抗争でそうした兆しは見られた。だが、結局、そちらの話はうやむやとなり、現在に至る。
- 引退試合直前まで、「蛇界なんてもう時代遅れ、呪文には絶対にかからない」と豪語していた竹下であったが、小学生の時にサムライTVで見た蛇界復活の煽りVがトラウマになるほど怖かったことを、後に告白していた。
- 引退セレモニーの際、菊タローがリングから下りる際に「いやー、これでもう澤田さんの入ったマミーは見られないのか。残念だなぁ!」と会場全体に聞こえるでっかい独り言を呟き、周囲から総ツッコミされた。
蛇界メンバー
- 蛇影(黒影)
- 豚蝮
- 蛇界坊ヘビダー(サンダー)
- 毒蝮三四郎(高木三四郎)
- 多咬刺(佐々木貴・プロレスリングFREEDOMS)
- 猪熊戦闘員・クマーチャリー(猪熊裕介)
- 蛇イアント・ヘビー石川(石川修司)
- 「戦闘員」子(「昭和」子 現バンビ・K-DOJO)
- ザンスリアン女王(ナオミ・スーザン)
- マサ高蝮(マサ高梨)
- JARASHIMA(HARASHIMA)
- 後藤蛇つ俊(後藤達俊)
- 蛇我井満也(長井満也・ドラディション)
- 赤レンジャーズ(佐々木貴、GENTARO・共にプロレスリングFREEDOMS)
- 米山蛇織(米山香織)
- トグロハブ影(KUDO)
- 望月魔蛇晃(望月成晃・DRAGONGATE)
- ヘビモ(山本雅俊)
- 菊蛇ワ光信(菊澤光信)
- 魔蛇美(諸橋正美)
- 蛇界王子(佐々木大輔)
- マンゴー福田・ベアー福蛇(ベアー福田・SECRET BASE)※マンゴーはフルーツ軍団
- 桃鷲透(大鷲透)※フルーツ軍団
- ポイズンアカネ(ミウラアカネ)
- ポイズンKANNA(KANNA)
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関連項目
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