マックスビューティとは1984年生まれの日本の元競走馬、繁殖牝馬。
その馬名から「究極の美女」と称された、1987年春の牝馬二冠馬。
主な勝ち鞍
1987年:桜花賞(GI)、優駿牝馬(GI)、サンスポ賞4歳牝馬特別(GII)、神戸新聞杯(GII)、ローズステークス(GII)
※年齢表記は競走馬として活躍した当時に合わせ、旧馬齢表記(数え年)とする。
概要
偶然から生まれた超A馬
父*ブレイヴェストローマン 母フジタカレディ 母父*バーバー
父は3年先輩のトウカイローマン、このマックスビューティ、8年後輩のオグリローマンと3頭の牝馬クラシックホースを輩出、この他ダートホース、そして母父としても名を遺した名ダート&フィリーサイアー。また母系は俗にいう「小岩井牝系」である。
もともとこの年のフジタカレディの交配相手はマルゼンスキーだったものの、フジタカレディの発情が早く来た&その日のマルゼンスキーの予定が埋まっていたことから急遽代役としてブレイヴェストローマンが種付けされた。
そして生まれてきた馬は柔らかい筋肉に素晴らしい馬体…と怪我の功名とでもいうべきもの。生産者によるABCの順にランク付けしていたが、例外的に「超A」とランクし、伊藤雄二調教師も「欠点がない」とベタ褒めするほど。こうしてこの馬は伊藤厩舎管理の馬となり、田所祐の所有とされた。
この田所は冠名を使い分けていて(もう一つがマヤノトップガンなどで有名な「マヤノ」)、伊藤厩舎の馬には「マックス」というものを使っていたが、この田所も素晴らしい馬体に惚れてしまったわけである。そこでつけられたのが「ビューティ」。のちに「究極の美女」と呼ばれることになる馬名も半ば偶然から飛び出したものだったりする。
「究極の美女」
品評会でも高い評価を受けたマックスビューティ。7月札幌での新馬戦でデビューする予定だったが、ここは蹄球炎で出走取り消し。翌8月の函館で柴田政人を鞍上に改めてデビューしそこでは2着に4馬身差と噂に違わぬ強さを見せたが、函館3歳Sでは重馬場に祟られ、距離も足りなかったかホクトヘリオスの4着。
秋は南井克巳に乗り替わってラジオたんぱ杯3歳牝馬Sに出走。懸命の追い込みもドウカンジョーに届かず2着。ここでは負けて強しといった感じだと伊藤は感じていたという。
本格化し始めたのは年明け。その初戦の紅梅賞は出遅れながら最後の直線でかわして2勝目。田原成貴を鞍上に迎えたバイオレットSでは5馬身差圧勝。続くチューリップ賞(当時はオープン特別)では持ったまま2馬身差。こうして迎えた桜花賞だが、前年の最優秀3歳牝馬で報知杯4歳牝馬特別を勝っていた抽選馬の星・コーセイと人気を分け合うことに(両馬とも単勝は3倍台)。
スタートしてハナを主張するも他馬に行かせて先行。直線に向くとあっという間に抜け出してあとは他馬との差が広まるばかり。結局追い込んで2着となったコーセイに8馬身差の大圧勝でまず一冠を手にする。
この時の走破時計1:35.1は12年前のテスコガビーの有するレースレコードにコンマ2秒差。8馬身も大差勝ちしたテスコガビーに続く記録であった。
この馬、去年の牝馬三冠馬メジロラモーヌより強いんじゃね?そんな評価もこの地点ですでに出てくるほど。中2週で向かったサンスポ賞4歳牝馬特別では田原が騎乗停止になっていたため柴田が再び手綱を握ることに。ここも先行楽々抜け出しで堂々勝ってオークスに向かう。
田原に手綱が戻って挑むこととなったオークス。
当日は重馬場になり、更には2400mは未知の距離ではあった(そのための4歳牝馬特別だった訳ではあるが)が、単枠指定&1.8倍の1番人気を背負うこととなった。
レースはクリロータリーが引っ張る展開、マックスビューティは中段からの競馬。しかし、向こう流しで一気に仕掛けて前団好位に進出し前を射程圏内として直線へ。坂を上がって大外から猛烈な脚でクリロータリーを捉え、春の二冠馬となったのである。
二冠の美女 VS 才媛
秋は牡馬混合戦の神戸新聞杯から始動。相手には2歳王者ゴールドシチーなどダービーでも好走した面々が揃った。しかし先行して抜け出し逃げ馬を捉える自分の競馬をして勝利。その次のローズSでは後ろぼハッピーサンライズに半馬身まで迫られるもスタミナで粘り勝ち。
ここまでで8連勝で挑み、メジロラモーヌに続く牝馬三冠に挑むエリザベス女王杯では堂々1番人気1.2倍。
また今回も中団からの競馬に。3コーナーから仕掛けて直線に入り抜け出すいつもの形を作るも、オークスで3着に下したタレンティドガール(ニッポーテイオーの妹)が後続から猛烈な追い込みで交わし、雪辱を果たした。結局彼女は2馬身差の2着敗退。2年連続の快挙は幻に終わり、その後2003年のスティルインラブまで16年間、牝馬三冠馬は現れなかった。
年の瀬のグランプリ・有馬記念のファン投票では牡馬クラシック2冠馬サクラスターオーに次ぐ2位の票数を集め、レースでも4番人気に推されるが、牡馬クラシックホース2頭・サクラスターオーとメリーナイスがそれぞれ故障・落馬する中、いいところなく10着。
翌年も牡馬に揉まれながら戦う道を選んだが、勝ち味からは遠ざかることとなる。オープン特別のオパールS1着の後、スワンS9着を最後に引退した。複勝に入ったのもマイラーズC3着くらい。美女の落日ともいえるような成績であった。
繁殖牝馬としては牝馬1頭と牡馬7頭を産んだ。2001年に*コマンダーインチーフの牡馬を産んだ後蹄葉炎となり、闘病するも翌2002年に安楽死処分となった。
牡馬ではチョウカイテイオーチョウカイライジンのオープン特別2勝という成績が最高で、種牡馬となったが血筋は残せなかった。
唯一の牝馬マックスジョリーは命と引き換えにビューティソング(父*デインヒル)を産み、その子ココロノアイ(父ステイゴールド)が重賞を2勝。引退後は繁殖に上がり牝系をつないでいる。
血統表
*ブレイヴェストローマン Bravest Roman 1972 鹿毛 |
Never Bend 1960 鹿毛 |
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Nearco 1935 黒鹿毛 |
Mumtaz Begum 1932 鹿毛 |
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Lalun 1952 鹿毛 |
Djeddah 1945 栗毛 |
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Be Faithful 1942 黒鹿毛 |
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Roman Song 1955 鹿毛 |
Roman 1937 鹿毛 |
Sir Gallahad III 1920 鹿毛 |
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Buckup 1928 鹿毛 |
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Quiz Song 1948 栗毛 |
Sun Again 1939 栗毛 |
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Clever Song 1936 黒鹿毛 |
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フジタカレディ 1978 芦毛 FNo.14-f |
*バーバー Berber 1965 鹿毛 |
Princely Gift 1951 鹿毛 |
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Blue Gem 1943 鹿毛 |
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Desert Girl 1950 鹿毛 |
Straight Deal 1940 鹿毛 |
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Yashmak 1941 鹿毛 |
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フジタカジョウ 1969 芦毛 |
*パーソロン Partholon 1960 鹿毛 |
Milesian 1953 鹿毛 |
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Paleo 1953 鹿毛 |
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オートトップ 1964 芦毛 |
*ガルカドール 1947 栗毛 |
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フジリュウ 1959 芦毛 |
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競走馬の4代血統表 |
クロス:Nasrullah 3×4(18.75%)、Djebel 5×5(6.25%)
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関連項目
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