- プロ野球選手一覧 > マニー・ラミレス
マニー・ラミレス(Manny Ramirez)とは、ドミニカ共和国、サントドミンゴ出身のプロ野球選手である。
概要
無所属 | |
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マニー・ラミレス Manny Ramirez |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 ドミニカ共和国 |
出身地 | ドミニカ共和国・サントドミンゴ |
生年月日 | 1972年5月30日 |
身長 体重 |
183cm 102kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1991年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
ドミニカ共和国、サントドミンゴで生まれ、13歳にアメリカ合衆国のニューヨークに移住する。
ジョージ・ワシントン高校から野球を始め、1991年MLBドラフト1巡目指名(全体13位)を受け、クリーブランド・インディアンスに入団。1993年にメジャー昇格。
1994年にメジャーに定着し、1995年にレギュラーに定着。23歳ながら打率3割、30本塁打、100打点を記録し、シルバースラッガー賞を受賞。
1999年にはインディアンス新記録となる165打点を記録し、自身初のタイトルとなる打点王を獲得。2000年には故障の影響で118試合に終わり、オフにFAとなり、ボストン・レッドソックスと契約。
レッドソックス移籍後も2002年に首位打者、2004年に本塁打王のタイトルを獲得し、レッドソックスの86年ぶりの世界一に貢献するなど活躍。しかしオフにはトレード騒動が勃発することが多かった。
2008年には通算500本塁打を達成した。この年はトラブルが重なり、ロサンゼルス・ドジャースにトレード移籍する。
2010年にシカゴ・ホワイトソックス、2011年にタンパベイ・レイズに移籍したが、開幕直後に現役を引退。2009年にも騒動になっていた薬物検査で再び陽性反応が出て、出場停止処分となっていたためだった。この年はわずか5試合の出場で、初めてホームラン0本に終わった。
一度は現役を引退していたが、2011年オフに現役続行。2012年にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結ぶが、メジャー昇格はなかった。
2013年には台湾の義大ライノズでプレー。登録名は「曼尼・拉米瑞茲」。しかし遠くで暮らす家族がネックとなり、6月19日に退団した。
2017年1月に高知ファイティングドッグスと契約を結んだ。背番号は99。
ひとまず前期のみという契約でシーズン開始。前期日程終了後、後期もプレーすることが発表され数試合出場したものの、8月途中に「右膝の治療」を理由に帰国。その後の経過報告もないままシーズン終了となり、2018年度の契約もされなかったため、事実上の退団となった。
幕切れには煮え切らないものが残ったが、23試合で打率4割を越える成績を出し元メジャーリーガーの実力は披露できたと言えるだろう。
成績
- (2018年終了時点)
通算打撃成績
通算:20年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:19年 | 2302 | 9774 | 8244 | 1544 | 2574 | 547 | 20 | 555 | 1831 | 38 | 2 | 90 | 1329 | 109 | 1813 | 243 | .312 | .411 |
CPBL:1年 | 49 | 206 | 182 | 24 | 64 | 13 | 0 | 8 | 43 | 0 | 0 | 1 | 21 | 2 | 21 | 9 | .352 | .422 |
タイトル・表彰
タイトル | |||
---|---|---|---|
MLB | 打点王 | 1回 | 1999年 |
首位打者 | 1回 | 2002年 | |
本塁打王 | 1回 | 2004年 | |
表彰 | |||
MLB | プレイヤー・オブ・ザ・マンス | 5回 | 1995年5月、1999年4月、2001年4月、2002年9月、2008年8月 |
シルバースラッガー賞 | 9回 | 1995年、1999年-2006年 | |
ワールドシリーズMVP | 1回 | 2004年 |
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関連項目
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