マハトマ・ガンジーとは、インドの活動家・政治家であり、イギリス統治下にあったインドにおいて「非暴力主義」を用いて独立を勝ち取った、「インド建国の父」として知られる人物である。
本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー。マハトマ(マハートマー)は「偉大なる魂」を意味する尊称である。
正しく表記すれば「ガーンディー」なのだが、日本語では一般的に「ガンジー」と表記される。単に「ガンジー」と言えばこの人物を指すことが多いが、ガンジーはインド人の苗字として珍しくないもののようで、彼以外にもガンジーさんは多数いる。インド首相となったインディラ・ガンジーは苗字が同じだけで、血縁関係はない。
生涯と評価
ガンジーは裕福な家庭の生まれで、法曹界を志してイギリス本国へと留学、弁護士となって同じくイギリス領であった南アフリカへと渡っていった。しかし、ここで強烈な人種差別を目の当たりにして、権利拡大のために公民権運動に参加、後の非暴力思想を形成していった。インドに帰国した後、ガンジーはイギリスへの不信感からインドの独立を志すようになり、政治結社「インド国民会議」へと参加する。
ガンジーは武力を用いず、しかし力に服従しないという姿勢をもってイギリスから独立するという思想「非暴力・不服従」を支持者に説いた。当然ながら相手はそんなこと知るかと力を振るってくるが、それを知った上で耐えなければならない、言うには簡単だが実行するには勇気と根性のいる活動で、提唱者のガンジーも投獄を経験している。有名な糸車を回しているガンジーの写真や、塩にかかる税金に抗議した「塩の行進」もこの頃の出来事であった。
第二次世界大戦でインドも戦火に晒されるが、ガンジーは終戦まで非暴力を貫き通した。そしてついにイギリスが支配を諦め、1947年にインドはイギリスから独立を果たし、現在のインド共和国の原初となった。
しかし、インド国内にはヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立が隠れており、イギリスという共通の敵がいなくなったことで対立がより顕在化してしまった。ガンジーは独立運動の頃から宥和を目指してきたが、結局パキスタン・バングラデシュに独立されてしまった。さらにイスラームに譲歩する姿勢を見せていたことから、一部のヒンドゥー教徒にも敵視されるようになり、1948年にヒンドゥー教過激派に暗殺されて生涯を終えた。享年78。
武力を伴わない独立を果たした功績などから、現代においても平和主義者として国際的に名高い。ノーベル平和賞にも何度かノミネートされていたが、結局受賞には至らなかったという。
「インド建国の父」などと称される一方で、インド国内での評価はそこまで高くないという。これには、「ガンジーの清貧思想・西洋文明否定のままでいたらインドは近代化に立ち遅れていただろう」という経済政策の側面もあれば、「非現実的なイスラームとの宥和を続けていたら内戦が起きていただろう」という宗教対立に起因する問題もあるという。
Civ
シミュレーションゲーム『シヴィライゼーション』シリーズにおいて、ガンジーはインドの文明のリーダーとして1作目から登場している。プレイヤーは他の文明と争ったり歩み寄ったりしていくが、COMの他文明リーダーもそれぞれの主義によって好戦的・平和的と様々である。その中でガンジーは元の人物通りに平和主義者と設定されていた。しかし…
旧作で攻撃性1に設定されていた平和主義文明の代名詞とも言えるガンジーだが、民主主義(他文明の攻撃性-2)を取ると攻撃性がアンダーフロー(原文ママ)して超攻撃的になるバグがあった。 その頃に解禁される核をパなして暴れまわったのだ。
そのバグが以降のシリーズで正式採用?され、ガンジーは平和と核が大好きというイカれた設定になった。 Civ5の性格設定ではインドの核に関するパラメタは12で、次点のロシア・アステカは8と実に2位の5割増しの指数となっている。
こうして、核武装ガンジーという平和主義とは、非暴力とは何かを考えさせられる存在が誕生したのであった。
20世紀末にインドが、次いでパキスタンが核保有国となったのだが、これもガンジーの教えの賜物なのかもしれない。
実際問題大規模な常備軍保持や実際の軍事行動を起こさずとも、持ってるだけで地力が圧倒的に違う相手の行動も抑制できる核兵器は均衡的な平和と主権維持の実現には現実的な選択肢なのである。安全かどうかは別として。
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