マリオ・バロテッリ(Mario Barwuah Balotelli 1990年8月12日 - )とは、イタリアのサッカー選手である。イングランド・プレミアリーグのリヴァプール所属。ポジションはFW。ガーナ系の移民であり、ガーナ国籍も所持している。
概要
ガーナからイタリア・シチリア島のパレルモに移住したバルウアー家に生まれる。しかし3歳の時にバロテッリ夫妻へ里子にやられ、この家族の元で育てられた。マリオ自身はバロテッリ夫妻が唯一の家族だと語っている。
2001年にイタリア・セリエC1のルメッツァーネのユースに入団。2005年にトップチームデビューを果たす。
2006年にイタリア・セリエAのインテルへ移籍。当初はユースに在籍していたが徐々に頭角を現し始め、2007年に17歳でセリエAデビューを果たす。以降堂々としたプレーを披露し、戦力として計算できる選手へと成長。2009-2010シーズンにはクラブの3冠達成にも貢献した。しかし後記するように数々の問題行動を起こし、バロテッリ在籍時に監督を務めたロベルト・マンチーニやジョゼ・モウリーニョは頭を悩めることとなった。
2010年にイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティへ移籍。当時シティはインテルでも監督を務めたロベルト・マンチーニがチームを率いており、2年ぶりに再会することとなった。ここでも問題行動はやまなかったものの、監督の信頼もあり、得点を重ね、2011-2012シーズンのマンチェスター・シティの44年ぶりとなるプレミアリーグ制覇に大きく貢献。しかしその後はFWの層が厚くなったことに加え、自身の問題行動が一向に収まらなかったこともあり、出場機会が低下した。
2013年1月にイタリア・セリエAのACミランへ移籍。冬の加入であったが、加入1年目は13試合12得点の活躍を見せた。2年目の2013-2014シーズンにも昨シーズン同様の活躍が求められ、自身はまずまずの活躍を見せたが、チームは低迷して8位でのフィニッシュとなった。
2014年にイングランド・プレミアリーグのリヴァプールへ移籍。加入当初から懐疑的な意見が多く、バロテッリの獲得自体「パニック・バイ」とまで言われたが、結局その前評判を覆すことができずリーグ戦16試合1得点に終わった。
2015年にイタリア・セリエAのACミランへレンタル移籍で復帰するもリーグ戦20試合で1得点に終わる。
2016年フランス・リーグアンのOGCニースへフリーで移籍。加入直後から得点を量産し続けた。しかし2018~2019シーズンに入ってからは後述の体重超過が原因と思われる不調に陥りクラブとは喧嘩別れとなった。
2019年1月に冬の移籍市場で同じくフランスのオリンピック・マルセイユにシーズン終了まで契約。第27節でボレーシュートを決めた後カメラマンから受け取ったスマホでインスタに自撮り投稿するというセレブレーションが話題に。
悪童伝説
インテル時代
- ローマの英雄であるフランチェスコ・トッティに対して、「お前は終わった選手だオッサン」と発言。その後ローキックされる。
- イタリアのテレビ番組でインテルの長年のライバルであるACミランのユニホームを着て、謹慎処分を受ける。
- 途中出場した試合でパッとせず、サポーターからブーイングを受け、試合後にユニホームを地面に叩きつける。その愚行を見たマルコ・マテラッツィにロッカールームで殴られ、その様子を目撃したズラタン・イブラヒモビッチに「マテラッツィはバロテッリを殺す勢いだった」と語られる。
マンチェスター・シティ時代
- 移籍後わずか9ヶ月で交通違反を繰り返し、罰金130万と27度のレッカー移動を受ける。
- ひとりでビブスを着れず、スタッフに手伝ってもらう。その後また着れなくなり、もう1度手伝ってもらう。
- 退屈だったので下部組織の選手に向けてダーツを投げる。
- ウェイン・ルーニーと交際していた女を見つけ、「ルーニー、ルーニー」と歌いながら爆笑。
- マンチェスター・ダービーでゴール後に「Why always me?(なぜいつも俺ばっかり?)」と書かれたシャツを披露。
- 自宅のお風呂で友人と花火を始め、タオルに燃え移り、自宅が燃える。
- アメリカでの親善試合中に決定機でふざけてヒールキックを狙い外す。その後監督が激怒しベンチに下げられる。
ACミラン時代
リヴァプールFC時代
- 移籍決定時、「僕はゴールを決めても喜ばない。郵便配達員は郵便物を届けたあとに喜ばないだろ?」と語っていた。が、CL第1節ルドゴレツ戦でゴールを決めた際に力強いガッツポーズをしていた。
- 相変わらずビブスを一人で着るのに苦戦しているようで、その様子が練習風景の写真としてクラブ公式にアップロードされる。
- PL第5節、マンチェスター・ユナイテッドが昇格組のレスター・シティにまさかの逆転負けを喫した裏で「Man utd ... LOL」(マンU(笑))とツイート。人種差別的なリプライを大量に受け、警察が調査。
OGCニース時代
- 88kgが適正体重と言われる中で103kgまで太りクラブから罰金を科されたと報道。本人は即座に否定し「誰が書いたかは知らないがそんな連中は仕事を失ったほうがいい」という文と共にインスタにハート様のようなコラージュを投稿。実際に103kgあったかは不明だがこの頃は前シーズンまでの活躍が嘘のように低調な出来であった。
その他
- U-21イタリア代表に初めて招集されたにも関わらず、前日にディスコで夜遊びし、飛行機に乗り遅れる。
- EURO2012のアイルランド戦でゴール後に怒りながら発言。それに気づいたレオナルド・ボヌッチが手で口を塞ぐ。
- コンフェデレーションズカップ2013のメキシコ戦でゴール後にユニホームを脱ぎイエローカードを貰う。その後「イエローカード2枚で次節出場停止というのを知らなかったんだ。次はもうやらないよ」と発言。
- 「俺が最高のFW」と言いイブラヒモビッチから呆れられる。ただ「現段階ではメッシとクリロナ、イブラは自分より少し上」という発言もある。
- ナポリで出会った男性に「スクーターで海に飛び込んだら24万払う」という賭けを持ちかけ飛び込ませる。
実はいい奴説
- カジノで勝った後に、ホームレスに140万を恵む。
- 街でBIG ISSUE(ホームレスの社会復帰を応援する新聞)を売っているホームレスの少年に、いつも新聞を貰うことなく2500円渡している。
- いじめられている少年がバロテッリの元を訪れた時に、直接学校へ行きいじめた子供をしかりつけ、仲直りさせる。
- チームメイトの酒井宏樹曰く「世間の評判よりは数段優しい」。
代表
2010年にイタリア代表デビュー。常に批判が付きまとっているものの、チェーザレ・プランデッリ前監督の信頼もあり、EURO2012、FIFAワールドカップなどの国際大会に出場。中でもEURO2012では3得点を挙げて得点王タイに輝きイタリアの準優勝に貢献。スペインと並んでニ強と呼ばれていたドイツ相手に決めた弾丸シュートは凄まじく本人も「あのゴールを見たら俺の名前を忘れないだろう」と語っている。2014ワールドカップではイングランド戦で決勝点をあげるもののチームはGLを突破できなかった。
関連動画
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外部リンク
関連項目
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