マリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリーことマリ・キュリーは、現在のポーランド出身の物理学者・化学者である。日本においてはキュリー夫人と呼ばれることが多い。
概要
1867年11月7日にワルシャワで生まれ、後にフランスに帰化した、生涯の多くをフランスで過ごした研究者。
新たな放射性元素を研究し、放射能についての理論を編み出した。
放射能 (radioactivity) という用語の発案者でもある。
主な年表
1867年、ポーランドで5人兄弟の末っ子として生を享ける。生誕時の名前はマリア・サロメア・スクウォドフスカ。
1891年、コツコツと資金を貯め、姉夫婦を頼ってパリに移住。24歳にしてパリ大学に入学し、物理、化学、数学を専攻する。学生時代は特に貧窮しており、空腹で気絶することもあったという。
1898年、夫のピエール・キュリーとともにラジウムとポロニウムという元素を発見する。
1903年、ノーベル物理学賞を受賞。ノーベル賞を受賞した最初の女性となる。
1906年、夫のピエールが荷馬車に轢かれ死亡。享年46歳だった。
1911年、ノーベル化学賞を受賞。ノーベル賞を二つ受賞した女性は今現在もマリ・キュリーのみ。この年にはパリ大学初の女性教授職にも就任している。
1914年、第一次世界大戦の最中、前線で従事する医師のため、X線照射車を開発。
余談
- 優れた放射線研究者であったが、放射性物質をポケットに入れて持ち歩くなど放射線の危険性には気付けなかった。マリ・キュリーが手元に置いていた私物のいくつかは今も放射線を発しており、鉛の手袋なしでは触れることができないという。
- ピエールとの長女であるイレーヌ・ジョリオ=キュリーも優れた科学者で、1935年には夫のフレデリック・ジョリオ=キュリーとともにノーベル化学賞を受賞している。
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関連項目
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