マリーガルマネジメントとは、かつて存在した任天堂とリクルートの合弁会社である。
概要
ゲーム制作において、経理、広報、総務、営業などの後方支援を担当する会社。当時から懸念されていたゲーム開発費の高騰という問題を解消し、会社のマネジメントや権利関係の処理などで疲弊していたクリエイターを援助するという目的で1996年6月に設立された。出資比は任天堂が40%、リクルートが60%。
社名は任天堂のシンボルである「マリオ」とリクルートのシンボルである「カモメ(シー・ガル)」をくっつけたもの。マリーガルと対になる組織に「シーリオスタジオ」というもの(由来は推して知るべし)があり、こちらはゲームの企画やプロデュースを行っていたらしい。後述のサクラ大戦GBなどもシーリオスタジオの関わったタイトル。
ゲームへの出資をファンドの形で募り、マリーガルマネジメントと契約している制作チームへ配分することでゲーム制作を支援、そのゲームがヒットした暁には投資家へ配当する、というゲームファンドを行っていたのが特徴。ゲームクリエイターの他、プロデューサーとの契約、パブリッシャーとのソフト出版契約も行っていた。契約していたプロデューサーはチュンソフトの中村光一、ゲームアナリストの平林久和、ポケモンシリーズの総合プロデューサーである石原恒和、学問としてゲームデザインを研究している桝山寛、アートディレクターの江並直美など。
「gemzi(ゲンジ)」というブランドでN64向けに大人向けのソフトを売る企画もあったが、gemziのブランドを冠して発売されたのは「バイオレンスキラー」1本だけであった。なおCMには羽賀研二が起用され失笑を買った。
gemziは「運を天に任せず(Independence)常識に負けず(Zip)子供に媚びず(Equal)無駄を楽しみ(Gererous)真剣にゲームする(Mad about)」の頭文字をアナグラムしたもの。「運を天に任せず」は、「運を天に任せる」から来たとも言われる「任天堂」という社名の真逆を行くものであり、「N64の子供向けイメージを払拭する」というgemziブランドの狙いを象徴するようなネーミングといえる。
マリーガルに関わった主なクリエイター、会社など
香山哲
リクルートに在籍していた香山哲はマリーガルの社長を務め、宣伝塔として各種メディアに露出した。2000年にはセガから誘われ、マリーガルを離れてセガの取締役を務めた。取締役就任後最初に行ったことが「ドリームキャストの生産中止」発表だったり、セガファンその他からいろいろ顰蹙を買った人物でもある。
マリーガル在籍時にも、「コラムス」1999年にSFC、GBCで発売したり、「サクラ大戦をGBで発売する」と、(おそらく)セガとの話が纏まっていない段階で発表している(当時コメントを求められたセガは「DCとGBを繋げるのならという条件付きです。GBC版を発表されたということは、この条件を満たす目処がついたということなのでしょう。まだその話はセガに来てないのですが。」と発表した。)。なおいずれのソフトも、香山が代表取締役を務めていたメディアファクトリーから発売されている。
「ゲームは会社ではなくクリエイターのもの」という、マリーガルの思想に立った行動だが、セガファンと開発に関わったセガのスタッフからすればそりゃ堪ったものではないだろう。
また香山は任天堂が切り捨てようとしていた64DDの企画を拾い上げるため、1999年にリクルートと任天堂の合弁会社であるランドネットディディの設立に関わっている。マリーガルが64DDの企画に噛むことで実現できるゲームの新しいアイデアなど、夢のような話を香山は各種メディアで語りまくったが、結果として殆ど夢に終わってしまった。
ちなみに検討されていたアイデアのなかには、過去のファミコンソフトなどを購入して遊べるようになるというものがあったが、これはバーチャルコンソールという形で実現したといえる。N64、GC版の「どうぶつの森」には実際に遊べるファミコンの家具が登場するが、これはその名残である。
良くも悪くも大胆かつフットワークの軽い人物であるが、だからこそ実現できた企画もあることは確かである。
猿楽庁
香山が抜けた後、2001年のGC発売を機にマリーガルは活動を縮小。2003年5月に解散した。デバッグ部門であった「猿楽庁」は株式会社として2001年に独立し、同年9月にはエンターブレインへ身売りされた後、2010年にはゲームデバッグ会社ポールトゥウィンの完全子会社となった。
ジャムズワークス
マリーガルのスタッフが集まって設立された、著作権管理、プロモーション、マネジメントなどを行う会社。カルドセプトを制作した大宮ソフトとはマリーガル時代との付き合いであり、同シリーズのプロデュース、プロモーションなどを行っている。
猿楽庁、ジャムズワークスはマリーガルの業務を実質的に引き継ぐ形で、共同して同じソフトの後方支援を行っていることがある。水口哲也、桜井政博の関わった「メテオス」や、後述するサルブルネイの「動物番長」などもその一つである。
パーラム
飯田和敏を中心とした有限会社パーラムは、マリーガルの支援を受けて、64DD用ソフト「巨人のドシン1」を制作した。マリーガルの契約システムについて飯田和敏は「個人的に考えていた『理想のゲーム制作の仕組み』にあまりに似通っていた」と述べている。
サルブルネイ
デザイナー松本弦人が設立した会社。「パラッパラッパー」を手がけた伊藤ガビンと組み、マリーガルの支援を受けてN64向けに「動物番長」を開発した。N64版は2000年の末に完成したが、そこから1年かけてGCへ移植されてGC用ソフトとして発売された。
なおGC版の「巨人のドシン」には、動物番長をモチーフとした隠しステージが、「動物番長」には背景にドシンが登場する隠しステージが収録されている。巨人のドシンでプロデューサーを務めた桝山寛が松本弦人をマリーガルに誘った経緯があるためだろうか?
アンブレラ
東京大学理論科学グループの学生やOBを中心とした、カラオケに使われる音声認識システムのノウハウを持っていた会社。これをゲームに活かすためマリーガルと契約し、N64の「ピカチュウげんきでちゅう」を制作。「ピカチュウげんきでちゅう」はマリーガルの中でも売上本数において最も成功した企画となった。
同社はその後「ポケモンスクランブル」シリーズを制作している。ちなみに同社の社名はバイオハザードに登場するアンブレラ社から取ったものだそう。
ノイズ
ナムコでコズモギャング・ザ・ビデオなどを手がけた、見城こうじこと鈴木宏治が設立した会社。マリーガルの支援を受け、石原恒和プロデュースのもとで「カスタムロボ」シリーズを制作した。
同社が制作に関わったソフトの一つにGCの「ポケモンチャンネル」があるが、これは石原恒和が代表取締役を務める株式会社ポケモンとアンブレラの企画を手伝った形であり、マリーガルでの付き合いを縁に実現したものである。
ちなみに香山の企画によって、販促用のカスタムロボフィギュアが有名な造形師により制作され、ワールドホビーフェアや任天堂スペースワールドなどで展示された。
見城こうじは「マリーガルのコンセプトは多分に実験的な側面もあって、いろいろ難しい問題もあったのですが、トータルでは大変価値のあるプロジェクトだったと僕は思います。」と後に述べている。
パリティビット
薗部博之率いる、「ダービースタリオン」シリーズを制作した会社。DD版ダービースタリオンの企画が進んでいたようだが、発売されなかった。当時騒がれた内容としては「64GBケーブル(後述)の要素が入る」「サッカーゲームの企画も進んでいるらしい」などがあった。後者の「サッカーゲーム」とはのちの「カルチョビット」のことであろう。
ちなみに前述のジャムズワークスは「カルチョビット」の著作権管理、プロデュースに関わっている。
クレバートリック
「歴史、育成、恋愛などシミュレーションゲームで豊富な開発歴を持つ安田彰雄率いる」会社だと、物の本には書かれているのだが、いくら検索しても開発実績などの詳細が出てこない会社。情報求む。
ゲームアナリストの平林久和をプロデューサーにし、RTS「エコーデルタ」をN64向けに開発していた。スペースワールド2000に出展、公式サイトが準備され、雑誌に開発者インタビューが載るなど、製品としては完成していたと思われるが、何故かお蔵入りしてしまった。発売時期も2000年12月(のちに翌年2月に延期)と発表されていたのだが・・・
2006年には海外のオークションサイトであるebayに、流出した試作ROMが出品された。現在はYoutubeなどにプレイ動画やスペースワールド出展時の映像が残っているため、その内容を確認することは可能。
スパイラル
ファミコンで「ソロモンの鍵」「キャプテン翼」などを開発した鶴田道孝を代表として、マリーガルマネジメントの支援を受けて「モンスタータクティクス」を制作するために立ち上げられた有限会社。おそらく「モンタク」発売後に解散したものと思われる。プロデューサーは石原恒和が務めた。
フロッグネーション
渡辺健吾(KEN=GO→)と佐藤大によって設立されたテクノレーベル「フロッグマンレコーズ」を母体に設立された会社。マリーガルの出資を受けてPS向けに「エンエンエンジェル」を制作した。現在は「DARK SOULS」「Bloodborne」「TOKYO JUNGLE」などのローカライズ、ボイスディレクションを担当している。
佐藤大は90年台にゲームとテクノの融合を目指したクラブイベント「東京ゲーマーズナイトグルーヴ」を企画していたほか、砂原良徳と共にMD向けソフト「パルスマン」のイメージアルバムを制作したことでも有名。パルスマンを制作したゲームフリークに在籍し、ライター業を行っていたこともある。
その他の実現した企画、しなかった企画
ローソンでSFC、GBソフトが安価で書き換えられる「ニンテンドウパワー」は、マリーガルの提案により登場した、問屋を通らない新しい流通システムである。これは当時「ゲームキオスク構想」と呼ばれていた。ソフト開発、マネジメントにも関わっていたのか、たまごっちタウン(バンダイ)、お絵かきロジック(世界文化社)など一部の書き換え専用ソフトのタイトル画面に©Marigulの著作権表示がみられる。
また、GC向け周辺機器の「GBAケーブル」は、マリーガル及びランドネットディディで行われていた、N64とGBを繋げて、独立したモニタとして活用する「64GBケーブル」の実験から生まれたもの。このような手元とテレビで独立した画面を用いる遊びは、のちのWiiUにも活かされている。
64GBケーブルを活用するソフトとして開発されていたのが、遠藤雅伸率いるゲームスタジオが手がけたカードゲーム「DT」である。N64に接続したGBの画面に手札を表示して遊ぶことを想定して64DD版も開発されていたが、結局世に出ることはなかった。なお遠藤は「動物番長」のアドバイザーとしても関わっている。
64GBケーブルとは別に、GBカセットに液晶画面やボタンの付いたようなGBソケットという周辺機器も企画されていた。これは単体で遊べるほか、GBや64GBケーブルと接続することも可能で、新たな遊びを提案するものだったようだ。PSのポケットステーションやDCのビジュアルメモリのような物だろうか?
このように、マリーガルはゲームの新しい作り方、新しい遊び方、新しい売り方の提案を志した会社であった。
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