マルチナ・ナブラチロワはチェコスロバキアからアメリカに亡命した元テニス選手。WTAにおけるトンでも記録を多数保持しており、女子テニス界の鉄人として知られる。
概要
Martina Navratilova | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 (チェコとの二重国籍) |
出身地 | チェコ:プラハ |
生年月日 | 1956年10月18日 |
身長 体重 |
173 cm 65 kg |
選手情報 | |
利き手 | 左 |
バックハンド | 片手打ち |
デビュー年 | 1973年 |
引退年 | 2006年 |
テニス選手テンプレート |
サーブ&ボレーで一時代を築いたWTAの歴史に残る大選手。WTAランキングは1975年から始まっているが、ちょうどその頃から実績を伸ばしてきている。1970年代から80年代半ばにかけてアイスドールことクリス・エバートと女王の座を争っており、この時代は二人のイニシャルからEN時代と呼ばれることも。エバートが正確無比なストロークを武器にクレーで圧倒的な強さを見せたのに対して、ネットプレーが武器のナブラチロワは芝を支配していた。恐らく女子テニス史上最大のライバルである二人は共に四大大会シングルス18勝、直接対決では通算80回対戦し、ナブラチロワが43勝37敗と勝ち越している。全盛期の1983年から84年にかけては四大大会6連勝という圧倒的な強さを見せ付けたが、83年は全仏オープン、84年は全豪オープンで敗れており、年間グランドスラムは惜しくも達成できなかった(注:当時の全豪オープンは年末の開催だった)。83年はこの全仏での敗戦以外に負けなしというトンでもない勝率記録を残している。
彼女は単に強いだけでなく、鉄人的な選手でもあった。シングルスは1994年で引退したが、この年のウィンブルドンでは38歳前という高齢で決勝に進出している(結果は準優勝)。年間TOP10フィニッシュはWTA史上最多の20回に及び、引退した1994年も最終ランキングは8位だった。長く強さを維持したこともあって通算マッチ勝利数や通算獲得タイトル数は、もはや抜かれることがあるとは思えない数字が並んでいる。何より恐ろしいのは、彼女はダブルスでも働きまくっていたことである。単複両方でNo1になった選手は他にもいるが、両方とも通算3桁のタイトルを取った選手などいない。
ダブルスでも1995年のスポット的出場を最後に一線を引いていたが、2000年に現役復帰。復帰後の女子ダブルスでは四大大会優勝は無かったが、2003年全米オープンで準優勝があった。混合ダブルスでは2003年に全豪オープンとウィンブルドン、2006年に全米オープンで優勝しており、この全豪オープンでの優勝によりオープン化後初のボックスセット(四大大会3部門全てでの優勝)が達成された。なお、この時期の出場は基本的にダブルスのみだったが、スポットでシングルスに出場した大会もある。さすがにほとんどは初戦で負けているが、2002年のイーストボーン、2004年のウィンブルドンでは本戦1回戦を勝っており、元芝の女王の実力を見せ付けている。特に2004年ウィンブルドン1回戦は相手に1ゲームしか与えない圧勝だった。
コート外では同性愛者として知られており、LGBTの権利擁護、差別撤廃への活動にも積極的に関わっている。2014年の全米オープン大会中にはパートナーに公開プロポーズしたことが報じられている(結果、受け入れられたらしい)。テニスに対しても一時期はご意見番的ポジションにいた。2000年代前半頃、ネットプレーが廃れてストローク偏重の守備的テニスが主流になる中、ジョン・マッケンローと共に「テニスの多様性を守れ」と主張し、ラケットサイズの縮小などを提言していた。最近では2015年の芝シーズン延長はレジェンド選手たちからのプッシュがあったとされている。あまり具体的な名前は挙がっていないが、恐らく彼女もその一人と思われる。
主な実績
ここに挙げた以外にも多数の記録を保持している。ここでは準優勝を挙げていないが、シングルス最後の年となった1994年ウィンブルドンシングルスでの準優勝は、オープン化後の大会最年長決勝進出記録である。
関連動画
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt