犠牲は「時」の主役を選んだ 分かり安さが売り物の価値だ
ミスキャストとは、
父サンデーサイレンス、母ノースフライト、母父トニービン。
種牡馬としても一時引退に追い込まれたが、現在は再び種牡馬で頑張っている。
競走馬時代~種牡馬引退まで
父は稀代の名リーディングサイアー・サンデーサイレンス。
母は名マイラーとして名前を刻んだノースフライトという良血である。
デビューしたのは2001年2月と遅かったが、同年の弥生賞で3着に入り、キャリア2戦で皐月賞に出走する。
しかし、同レースではアグネスタキオンの前に6着と敗れる。
その後、ダービートライアル・プリンシパルステークスを制するものの、ダービーを前に故障してしまい戦線離脱。
その後は条件戦をコツコツ勝っていったものの、重賞にはあと一歩届かず、2005年の鳴尾記念を最後に引退し、種牡馬となった。
が、種牡馬としてもたいして期待されていなかったのか(サンデー系がたくさんいたのもあるだろうけど)初年度種付け頭数の21頭に始まり、その後も10頭→4頭→2頭と減っていき、2009年の種付けを最後に種牡馬引退となる。
まあ、多くのファンは「へー、種牡馬やめるんだ、どうせ血統だけでなれてたんだし……」と思っていたかもしれない。
数少ない初年度産駒の中に一粒種がいることに気づくまでは。
21頭から生まれた一粒種
初年度産駒はわずか21頭だったミスキャスト産駒。
さらにいうと、登録された馬は13頭であった。
その13頭の中に母アラームコールの青毛の馬がいた。
その馬はビートブラックと名付けられ、競走馬としてデビューした。
まあ、これだけ聞いても「ふーん……」としかならないだろう。
ところが、そのビートブラックが菊花賞で14番人気ながら3着に激走する。
この結果を受けて、ミスキャストは再び種牡馬に復帰する。
そして、2012年の天皇賞(春)。
ビートブラックは再び14番人気で激走した。
徹底先行をし、残り1000mからロングスパートを見せると、オルフェーヴルが後方でもがく中、そのまま逃げ切りついに重賞制覇。
ミスキャスト産駒の重賞制覇も初、騎手の石橋脩騎手も京都初勝利でGI初勝利と、人馬揃って初物尽くしのGI制覇となった。
頑張れ、ミスキャスト。
数少ない子供たちの中からこんないい馬が生まれたのだから、もっと評価されてもいいはずだ。
関連項目
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