ミハイル・グリンカ単語

ミハイルグリンカ

ミハイル・グリンカ1804~1857)とは、近代ロシア音楽の父ともいうべき作曲である。

概要

裕福なに生まれたグリンカ少年時代から幅広い教育を受け、ピアノの才も幼いうちから開させていた。これは文アレクサンドル・プーキンヨーロッパ各地へのがより一層添えとなったのである。また彼は上流階級のみならず一般民衆とも接し、この経験が彼の音楽性にも影した。

大きな転機となったのは32歳の時発表したオペライワン・スサーニン』である。時の皇帝ニコライ1世に認められたこともあり上映の機会も多く得られ、このオペラに前後してロシア語で歌う歌曲を次々と発表していったのである。それはイタリアフランスドイツなどからの輸入音楽に頼っていた状態から「自分たちの音楽」を確立しようという脱皮の流れを少しずつ形にしていったものであった。

第2の転機は38歳の時に発表したオペラ『ルスランとリュドミラ』である。原作プーキンである一方、明らかに民話や民族的な叙事ベースにあり、のちのニコライ・リムスキー=コルサコフイーゴリ・ストラヴィンスキーに通じていくのである。

かしこオペラは当初は失敗であった。失意のグリンカパリスペインに赴き、さらに新しい文化を見聞きして新しい音楽を作ろうとしたのである。その結果生み出されたのが『カマリンカヤ』、スペイン序曲第1番『ホタ・アラゴネーサ』、第2番『マドリッドのの思い出』といったオーケストラ曲である。

晩年のグリンカの周りにはアレクサンドル・ダルゴムイシスキー音楽評論家のウラディーミルスターソフ、そして次の世代であるロシア5人組リーダーミリイ・バラキレフらが集まっていった。こうして彼によってはっきり形にされたロシア音楽は受け継がれていったのである。

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